「「砂の器」と「日本沈没」 70年代日本の超大作映画」
 

発行・筑摩書房
 著者・樋口尚文
 定価・1700円+税
 
丸山 哲也




 さて、最近の日本映画の中で、いわゆる「超大作」というやつがあっただろうか? ここ二、三年あたりの作品を振り返ってみると
「陰陽師」「バトル・ロワイアル「」「スパイ・ゾルゲ」「あずみ」「T.R.Y」「突入せよ!あさま山荘事件」「RED・SHADOW 赤影」
・・・、他にもあるかも知れないが、まあ、こんなもんだろう。
 世が世なら「超大作」の冠をつけられてにぎにぎしく公開されたであろう作品群だが、「タイタニック」や「ロード・オブ・ザ・
リング」を観てしまっている今の観客には、まず、これらが「チョータイサク」であるとは思ってもらえまい。確かにそこそこ金は
かかっているだろうが、世界のマーケットを相手にした、ハリウッド製ビッグ・バジェッド作品の前ではとても「超」という言葉は
使えない。

 ところが、今から約三十年ほど前には、信じられないことかも知れないが、その「超大作」がこの日本において雨後のタケノコ
みたいにボコボコと生み出されていたのだ。中には、なんでこれが、と思うような作品にさえ、この大看板が掲げられていたりする。
例えば、あの「幸福の黄色いハンカチ」。これなど、公開当時は「松竹超大作」として宣伝されていたのだ。同じ松竹の「陰獣」の
惹句も笑える。曰く「上映時間、堂々二時間!」 そんなことを宣伝文句にして大作感を煽ろうというのだから、いやはや、
もの凄いセンスである。
 本書「70年代の日本の超大作映画」は、そんな時代の代表的な大作・話題作を列挙しつつそれらを詳しく分析し、併せてその
製作過程を追うことで、当時の日本映画界(そして現在の)を考察した、極めて有益な書だ。

 70年代の「超大作作り」の筆頭と言えば、これはもう、言うまでもなく、角川映画である。76年の第一作「犬神家の一族」に
始まって、77年の「人間の証明」、78年の「野生の証明」、80年の「復活の日」と、普段は日本映画など観ない観客までも
動員すべく、話題作りにありとあらゆる手を使った角川映画は、当時から批判と揶揄の的であった。出版界から映画界に飛び込んで
きた角川春樹プロデューサー(後に監督も手掛ける)は、今では別に珍しくもない異業種映画人のハシリなのだが、そういう人物が
入り込んで作った映画が大ヒットを飛ばしてしまったというところに、日本映画がいかに息絶え絶えであったかを知ることが
できよう。角川作品がどんなに空疎で不出来なものであっても、既存の映画会社が作る作品に見向きもしなかった若者(私もそう
だった)が大勢集まった。そのことをきちんと押さえておかないと、それこそ、故・笠原和夫氏が指摘したように、これからの日本
映画は組織的戦闘などできず、個々のゲリラ戦で戦果を上げることしかできなくなってしまうだろう。何しろ、今の日本映画界は、
「斜陽」と言われた70年代よりもさらにヒドい状況になっているのだから。

 今、周囲の声(それも、普段はあまり映画を観ない人)の声を聞いてみると、現在の日本映画、それも、比較的カネのかかった
大作に対する期待度は最悪である。そりゃそうだ。作品名を挙げて悪いが、木戸銭取られて「ドラゴンヘッド」や「あずみ」などを
見せられた日には、「日本映画なんかダメだよねー」という気持ちになるのも仕方がない。
 もちろん、本書の著者である樋口氏は、先述した作品がいくらヒドいからと言って、「それに比べたら『空疎』『大味』と
言われたかつての超大作のほうがはるかに面白い」などという、バランスを失した持ち上げ方はしていない。ここでは辛うじて日本
映画が「産業」として成り立っていた時代の、「とにかく器のデカい映画を作って客を呼ぼう!」とリキ入れまくりの大作がどの
ようなものであったかが冷静に論じられており、その姿勢には大いに好感が持てる。
 「砂の器」「日本沈没」「新幹線大爆破」といった大作群をリアルタイムで楽しんだ人々はもちろん、これらを今、DVDでツッコミ
を入れつつも新鮮な気持ちで鑑賞している人々にも参考になる一冊である。


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