「吉田喜重の全体像」
発行・作品社
編者・四方田犬彦
定価・3600円+税
松村清志
9月11日(土)〜10月1日(月)まで東京はポレポレ東中野で開催され以降全国順次開催予定の吉田喜重の全長編劇場映画といくつかの
中・単編ドキュメンタリー作品を上映する「吉田喜重 変貌の倫理」、本書はそれに合わせて出版された吉田喜重の全貌に迫る、
初めての評論集である。
「松竹ヌーベルバーグ」の三羽カラスの中で、吉田喜重は最も孤高の作家といった印象がある。常に時代の先端に立ってジャーナリ
スティックな話題を提供しつつ過激に作品フオルムを革新し続けて来た大島渚、同時代的な若者のアイドル的存在を起用した動的で
軽快な感覚の風俗的エンターテイントメントで出発しつつ「普通」の商業監督へとスライドしていった篠田正浩に比べて、吉田喜重は
最も静的で思索的、内省的な作家ではないか本当にこの時代の大島渚作品はどれも得体の知れない熱気と殺気があって刺激的で面白
かったと今でも思う。そのほとんどの作品が撮影開始から公開までわずか1ヶ月前後の早撮り、
「帰って来たヨッパライ」(68)など実質2週間の撮影期間で仕上げられている事には驚かされてしまうが、熱い時代の息吹きを
フイルムの皮膜に定着するには、そうした疾走感こそが不可欠であったのだと妙に納得させられもするのである。こんな風に映画と
時代とが並走出来た時代というのはかってなかっただろうし、これからもないであろうあろうと思える。大島渚はとても幸運な映画
作家であったのだ。
本書では大島の語り下ろしの他に、大島のパートナーである小山明子、組員で俳優の佐藤慶、やはり組員でいつもへんな脚本ばかり
書いていた佐々木守の3人のインタビューも収録されていて、それらもとても興味深いものであり、この時点で美術の戸田重昌による
論文が、こちらの頭が悪すぎるせすか何とも判りにくくて困ってしまったからなのだ。
女性の論者ではもうひとり木下千花が小津と吉田を比較した論を寄せていて、そちらはよく判ったが無難にまとめられたといった
程度で、四方田犬彦、平沢剛、山本直樹という男性による論と比すると、いささか読み込えがなく思われた。
ここで告白しておくと、僕は吉田喜重の映画は9本しか見ておらず、特に岡田茉莉子主演によるメロドラマの枠内で撮られたものは
ほとんど未見なので、エラそうな事はいえないのだが、わずかに見た作品の中での女性の存在感とか羊水を思わせる水のイメージとか
「母の母の母」というセリフとか、吉田の作品にはもっと女性に多く見て論じられるべきだと思わせるものがあるのである
そんなわけで、今回の吉田喜重作品の連続上映はぜひ多くの女性に通って欲しいし、本書はもちろんだが、女性にこそ読んでみて
欲しいと思うのだ。
ともあれ、大島渚はさほど女性に語って欲しいとは思わないが、吉田喜重はもっと女性に語って欲しいと思わせる作家なのである。
今後の吉田喜重研究への優れた女性論客の参加を期待したい。