「人生を学べる名画座」
発行・主婦と生活社
著者・弘兼憲史
丸山 哲也
私が最初に読んだ弘兼氏の漫画は「ハロー張りネズミ」。この作品の中に旧ソ連のレポ船が暗躍するエピソードがあり、そこに、
「俺は『シャーキーズ・マシーン』という映画が好きでな」とのたまう殺し屋が登場する。それを見た時「ああ、この作者は映画が
好きなんだな」と思った。
「シャーキーズ・マシーン」は1982年のアメリカ映画。バート・レイノルズ監督・主演の刑事アクションである。正直な
ところ、大した話でない割に上映時間が長く、アクションものとしてかなりユルい作品。そういうものをわざわざ自作の中に引用して
しまうところに、弘兼氏に同じ「映画好き」として強烈なシンパシーを感じたものだ。なぜなら、名作、ヒット作の類いは別に
「好き」な人でなくても劇場に足を運ぶが「シャーキーズ・マシーン」のような小品アクションとなると、かなりマメな映画ファンで
なければ恐らく観ることはないだろうからである。
大して話題になっていない作品でも、自分が観たいと思ったらどんなものでもきちんと観る。こういう「映画好き」の言うことは
(失礼な言い方だが)、信用できる。
さて、本書「人生を学べる名画座」だが、ここに取り上げられた作品のほとんどは語られに語られ尽くした「名作」ばかりである。
あまりにもセレクションがアタリマエ過ぎるので、正直、ちょっと拍子抜けであった(意外だったのは、ロバート・ワイズの
「砲艦サンパブロ」が入っていたことくらいか)。
もっとも、そんなことは著者である弘兼氏も先刻承知だったと思しい。だから、名作と呼ばれる作品を「ここが素晴らしい」
「こういうところがいい」とヨイショするのでなく、ちょっとしたディテールやセリフを抽出してそこを重点的に語ることで、名作の
さらなる味わい方を提示している。
たとえば、マイク・ニコルズの「卒業」。ここではストーリーやテーマなどには一切触れず、「愛し合う男と女の年齢差」に字数を
費やしている。「あまりに世代が違いすぎると、見て来たものや感じてきたものが違いすぎて、共通の話題がない。だから退屈になって
しまうのです」とは、まさに至言。やたらと若い女に入れ込んでしまうオッサンどもなど、ちっとは映画を観てそのへんのことを会得
すれば、飲み屋のねえちゃんに騙されたり、援助交際やら出会い系やらに手を出して身を持ち崩すこともないと思うのだが。
よくできた映画には、それがどんなに荒唐無稽な物語であったとしても、そこにいる人間の「人生」が反映される。それは作り手が
意図して生み出すこともあれば、監督や役者の人間性が偶然にじみ出ることによって生まれる場合もある。映画が、血の通った人間が
生身の人間の肉体を通して作り出される媒体である以上、それは当然のことである。ならば、せっかく身銭を切って観るのだから、
それらをじっくりと味わって自分の糧にしない手はない。いろんな国に住んでいるいろんな人々の人生の側面を、たった2時間か
そこらで見聞できるなんて、とても素晴らしいことではないか。
先日、ある映画を観にいった時、隣のカップルの会話が耳に入ってきた。
「『・・・』って映画、観た?」
「観た。泣けたー」
「『・・・』は?」
「うーん、なんかイマイチ」
たったこれだけである。なんともったいないことだろう。彼らは映画を「観て」はいない。ただ「消費」しているだけだと思う。
作品世界に入り込んで作中人物に心を寄り添わせることもしなければ、作品に描かれた場所や時代について想像力を働かせることも
しない。これでは、食べ物を口に放り込んで、噛みもせず味わいもせず、さっと飲み込んでしまうのを同じではないか。
こういう人達にこそ、本書は読まれるべきであろうと思う。ただボケッと映像を眺めるだけでなく、そこに映し出されたものの奥に
ある何かを感じ取るようになれば、もっともっと映画を楽しむことができる。映画を観るということが、単なる娯楽に留まらず、
豊かな知的体験となる。
シネコンで次々に上映されては消えていくハリウッド映画しか観ない人、映画を観るなんてメンド臭い、テレビドラマで充分、
なんて思っている人に、お勧めの一冊である。