「映画の論理」

発行・みすず書房
著者・加藤幹郎
定価・2800円+税

松村清志


 「映画批評家の仕事は、同時代に不当に評価された映画作品の意識を(再)発見することにある。」(59ページ)、と述べる著者が日本
では正式公開されておらず、ほとんど観る機会もない作品を中心とした論考をまとめた本書は、どなたにもオススメできるといった類
の本ではない。゙通゛むけの本である。
だが、上記の文から始まる第3章のニコラス・レイについての論は、いまだに日本ではジェームス・ディーンの「理由なき反抗」(55)
でしかしられていないといってよい不当に評価の低い作家の先駆性を、デビット・リンチへの影響やジェンダー・トラブルといった
側面から、男性メロドラマとして考察した卓抜な論考となっており、著者の訳による「私は邪魔された ニコラス・レイ映画講義録」
(みすず書房)をかっていっきに読了した事のある僕にはこれだけでも本書を手にして良かったと思える収穫であった。
ジョセフ・コーネルという美術家の作った実験映画を論じた第4章など、あまりに一握りの読者にしか向かっていないように思えて
好感をもてなかったが、第2章の「マトリックス」「タイタニック」などCGI批判には共感したし、最近作を中心にミニ・レビューと
エッセイをつなぎ合わせたような第6章はとても判りやすく、難解な本は苦手という読者はまずここから著者の思考の世界に入って
いけばいいであろう。
僕が個人的に最も共感したのは、第5章の「かって映画館はさまざまな騒音に満たされた祝祭空間であった。(中略)映画館に静粛性が
求められるようになったのは、100年ほどの映画史においてもつい最近の事に過ぎない。(187ページ)という記述であった。本当に
そう思う。かって僕たちが育った祝祭空間としての映画館を忘れたくはない。著者が映画館における観客の映画受容と映画共同体の
歴史を論ずるという近刊「映画館の文化史」(中公新書)に大いに期待したい。


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