「クール・ハンド・ルーク」 ドン・ピアース
文遊社  2000円


森田祐子


  ポール・ニューマン主演の「暴力脱獄」(67)の原作である。

 酔ってパーキング・メーターを壊し、労働刑務所にやってきた男、ルーク。日中の過酷な作業も、夜毎のポーカー・ゲームも「とことんクールにやる」伊達男だ。塀の中は、所長以下、看守たちの絶対的な権力が囚人たちをがんじ絡めにしているが、ルークは常に微笑みながら自分流を崩さない。他の囚人たちは、自分たちとは何かが違う彼を尊敬しはじめ、ヒーロー扱いする。やがて彼は脱獄をはかっては捕まり、そのつど足の鎖が増え、懲罰小屋に送られる。反抗すればするほど、懲罰という名の理不尽な暴力で人間性を否定され、徹底的に痛めつけられるルーク。権威に屈するしか生きるすべのない世界で、最後に彼がとった行動は…。

 権力と自由。ビッグハウスもの、殊に脱獄もので描かれるテーマはそれに尽きるだろう。塀の外側にいたって、我々は世のしがらみや諸々のつまらんルールに縛られて生きざるを得ないのだ。自由への希求は誰の心にもあるもの。ムショという場所は一見、特殊に感じられるが、実は社会と人間の関係をシンプルな形で抽出した雛型であり、普遍的なテーマをはらんでいる。

 権力を恐れず超然とした精神性を持つルークは、囚人たちの心を魅了し希望を与える。そして、実に率直に神に向かって思いをぶつけるので、周囲からは「神の冒涜」と愁眉の的となり、信仰心のある(と本人らは思っている)看守たちから「改心」を迫られる。この図式はやはり、聖書のパリサイ人とイエス・キリストを髣髴とさせる。一方で、ゴッドフリー(神="ゴッド"の音が含まれる)という看守とルークの2人は、神と人間の関係を暗示する。
「ゴッドフリーはいつも遮光サングラスをかけ、まるで目というものがないかのようだ。」(本文)  その見えない目が、主人公の一挙手一投足を監視する。我々には見えない神が、我々の行動のすべてを見ている、といった具合に。ルークの運命を握っているのも、この男である。

 この2重構造が、主人公の複雑な内面性を象徴している。このルークという男は、棄教を公言しつつ最後まで神に"事の真偽"を問い続けた堕天使なのである。

 映画のほうも、未見の方は、ぜひ見ていただきたい。原作のエピソードを過不足なく、と言うか、映像のレトリックが際立つよう細部をアレンジして盛りこんでいるのが見事。例えば、原作で作業中のルークがゴッドフリーに彼の杖を渡すシーン。映画では作業中に捕まえたヘビを放り投げて、「ほら、あんたの杖だ」とやる。これは「十戒」でお馴染み、旧約聖書の出エジプト記でモーセが杖をヘビに変えてみせる奇跡のもじりだ。脚本は、本作の原作者ドン・ピアース。17歳で船員になり、ヨーロッパで犯罪に手をそめムショ入りした後に脱獄。アメリカに戻ってからも金庫破りで逮捕され重労働刑に服役したという経歴の持ち主だ。本作はその時の体験を元に書かれている。

生真面目に堕ちていくこと。これこそがクールというものだ。

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