いささかも古びることのない「刑事映画」の傑作「三十六人の乗客」

丸山 哲也

 



 アクション映画の傑作として名高い「ダイ・ハード」について、私は一つだけ不満がある。それは、ブルース・ウィリス扮する
ジョン・マクレーン刑事が「強すぎる」ということだ。確かに完全武装した大勢のテロリストに比べたら非力だが、あそこまで八面
六臂の大活躍をするに及んでは、ちょっとマンガ的に過ぎるのではないかと思う。これがもし、拳銃を持ってはいるが、一度も人を
撃ったことのない気弱な刑事として設定されていたら、もっとサスペンスが盛り上がったのではないか。
 刑事映画に登場する刑事が皆、肉体的にタフであるとは限らない。中には「アームチェア・ディテクティブ」みたいな人だって
いる。しかし、コメディやシリアスな作品を除いて、気弱な刑事、自信を失って悶々としている刑事の登場する作品となると、
どんなものがあるだろう。

 自分の職務に嫌気がさしてしまった臆病な刑事の登場する映画というと、私が即座に思い出すのは東宝映画「三十六人の乗客」
である。
 杉江敏男監督、井手雅人脚本によるこの昭和三十二年度作品は、強盗殺人犯の東京脱出の手段として、当時小田急バスが運行して
いた草津行きのスキーバスを使うというユニークなアイディアを使ったことで知られている(原作は有馬頼義)。
 スキーバスに乗り合わせた乗客三十六人の中に、凶悪な殺人犯が紛れ込んでいる。妙に思い詰めた顔をしている男、大きなカバン
を大事そうに抱えている男、やたらと時間を気にし、せわしく時計を見ている男・・・、どいつもこいつも怪しく見える。この中の
誰が犯人なのか? しかも奴は拳銃を持っている。 
人を殺すことなど何とも思っていない。もし下手に刺激して犯人が逆上したらどうなるか。井手雅人による練り込まれた脚本と、
杉江敏男の衒いのない正攻法の演出が最後の一瞬まで緊張感を持続させるサスペンス映画の秀作として、本作は高く評価されている。

 今回久しぶりに観直してみて気付いたのだが、本作はスリラーとして申し分が無いのと同時に、刑事映画としても無類によく
できた作品なのであった。
 主人公・渡辺は警視庁の刑事なのだが、徒労の多いこの仕事にすっかり嫌気がさしてしまっている。おまけに妻子ある身で
ありながら、愛人まで作っている始末。以前にもこの女と一緒になるために辞職・離婚を企てたことがあるのだが、同じ刑事である
義父に諭され、あきらめたことがある。
 昼も夜も無く歩き回り、人を疑わなければ成り立たない職業と、その苦労をわかってくれない妻との生活に疲れてしまった刑事。
邦洋問わず刑事映画は数多くあるが、こういう刑事が出てくる映画というのは珍しいだろう。
 一大決心をして愛人とスキーバスでの逃避行に踏み切った渡辺だが、まだ心は煮え切らない。おまけにバスが浦和で休憩のために
停車した際、浦和署の刑事から「乗客の中に殺人犯が紛れ込んでいる可能性あり」との警視庁からの伝達を受ける(例の義父は、
渡辺の行動をちゃんと察知していたのである。さすが警察!)と、身についてしまった「デカの目」が動き出してしまう。あれほど
刑事という職業を忌み嫌っていたはずなのに。
 そんな彼も一度だけ、このバスの中での「捜査活動」から手を引こうとする。怪しいと睨んでいた男が実は、試験に落ちたことを
苦にして死を考えていた学生だったと判明した時だ。渡辺は愛人に漏らす。「僕があの男を怪しいと思っていた時、彼はとても
苦しんでいたんだ。思い詰めて死のうとしたくらい。そんな人を疑わなければならない職業なんて、僕には我慢がならない」と。
 その一方、彼は酔っ払いの男(実はスリ)に「刑事なんて人間のクズがやることだ」という言葉には強く反発する。男はもちろん
渡辺が刑事であることなど知らないので遠慮会釈なく口走ったのだが、彼の心ない言葉は、渡辺にとって、自分や自分と同じように
現場で苦労している仲間への侮辱であるとしか思えなかったのだ。やはり渡辺は刑事という職業を捨てきれなかったのである。
 そしてついに渡辺は、刑事としての職務を全うする決意を固める。突如、意外なところから犯人が姿を現し、バスをハイジャック
した時である。目の前の道が崩れて通行不能になっているにもかかわらず、犯人はさらに奥へ進めと運転手に命令する。一歩間違えば
バスは谷底へ転落だ。人質の危険など全く意に介さない犯人に対し、渡辺は怒りを爆発させた。「俺はお前のような人間を、やっと
憎む気になれた。俺は絶対にお前を逃がさない。この手で捕まえてみせる」
 この渡辺刑事を演じたのは、小泉博。どちらかというと、科学者や新聞記者、サラリーマンが似合う、温厚なタイプの俳優である。
実写版「サザエさん」ではマスオさんを演じたくらいで、その優男ぶりには定評がある。
 そんな彼が狂犬のような殺人犯に向かって先述したような台詞を吐くのだから意外と言えば意外なのだが、このシーンの小泉が
実にいいのである。それまでは弱腰で優柔不断だった男がギリギリの状況で見せたありったけの勇気。これを小泉が見事に体現して
見せるのだ。
 事件が無事解決した後、草津にたどり着いた渡辺を、彼の妻が出迎える。その時の彼の複雑な表情も忘れ難い。妻に対する申し訳
なさと感謝とが入り交じった気持ちをほんの一瞬で見せた小泉の演技は素晴らしい。彼くらい、小市民の持つ弱さと強さを表現し
得る俳優はいないのではないか、とさえ思わせる。
 「野良犬」で三船敏郎が演じた刑事もよかったけれど、「三十六人の乗客」の小泉博も捨て難い。いや、むしろ、小泉の演じた
渡辺刑事の方が、本物の刑事像に近いのではないか。様々な矛盾や挫折に直面し、ともすればポキンと折れてしまいそうになる自分
に鞭打って、己の職務に忠実であろうとする「強くて弱い」人々。それを見事に描いて見せた「三十六人の乗客」にはぜひ、
刑事映画の傑作という称号を与えたいものだと思う。

(7月26日、日本映画専門チャンネルにて放映予定)

   


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