人生は、終わらない!……「死に花」

                                                                           桑島まさき
                                

  
 


この原稿を書いている現在(4.15)公開中の米映画「恋愛適齢期」では、初老にさしかかったジャック・ニコルソンとダイアン・
キートンが期せずして訪れた本当の恋にどぎまぎし取り乱し、泣いたり笑ったりの顛末が描かれたが、恋愛するのだって仕事に情熱を
燃やすのだって、ジジイやオバアに引退はない、ということをしっかり証明してみせた。人生80年といわれるこの時代、フツーの
サラリーマン生活者は突如60歳(もしくは65歳)になったら、ハイご苦労さま、といわれ残りの人生をどう生きればいいのか? 
大方の人々は、定年を前にして不安になり、定年生活に入り慣れるまでに鬱状態に近い状況に陥るそうだ。
 以前から思っていたのだが筆者はこの「定年」という言葉がどうも好かない。テーネンという言葉は、会社や学校とか組織に属する
人間にのみ該当する言葉じゃないのだろうか? 世の中、会社人間じゃない人たちは沢山いるし、筆者の大先輩のモノ書き稼業の方々
はそれに該当しない。70歳をゆうに越える著述業の方は精力的に書きまくっておられる。テーネンという響きが、どうも引退を催促
しているようで気になっている。そう思っていたら、某雑誌が「定年」に変わる言葉を募集していた。

 さて、本作「死に花」は、それぞれの分野で活躍していたが引退している70代のジジイたちが主な登場人物だ。つまり、とっくに
テーネンしているジジイたち。山崎努、宇津井健、青島幸男、谷啓、藤岡琢也、松原智恵子、加藤治子、という日本映画界のベテラン
役者たちがそれぞれの個性をキラリと発揮してイイ味を出している。
 東京郊外の洒落た高級老人ホームで暮すジジイ達は、最初全く覇気がなかった。生活環境としては申し分ないが、ワクワクドキドキ
が欠如しているため生きた心地がしないのだ。寂しいのだ。藤岡扮する源田は、桧の香りのする棺おけを作り、仲間のジジイたちは
その眠り心地を試していたりする。さらに源田は自分の葬式まで生前にプロデュースし、自分らしく死ぬ支度を整えている。後腐れの
ないキマジメさは買うものの、なんか観ていて悲しい。
 しかし、ジジイ達は死んだように生きている訳ではない。源田は加藤治子扮するオバアと、山崎努扮する菊島は松原智恵子扮する
鈴子オバア(この年にしてこの可憐な女優にこの言葉は似合わないが)と、しっかりホーム内恋愛中でいつもイチャイチャくっついて
いる。

 ある日、源田は逝ってしまった。突然に。愛する男を失って後をおうオバアの情熱に鈴子は血が騒ぐのを覚え、さらに源田が残した
途方もない計画にジジイたちは乗る…。それは本当にとてつもなく無謀でありえない計画だ。ある地点から銀行へ通じる穴を掘り
つづけ、銀行強盗をやろうというド偉い計画だ。
 ところで、ジジイたちは決して金に困っている身分ではない。先述したとおり、高級老人ホームに入居できる身分の人たちだ。
それは、生きている証を心と体で実感できるものであれば何でもよかったのだ。つまり、生きがい。昼間から作業着に着替え、せっせ
と穴を掘りつづけるうちに、彼らは次第にイキイキしてくる。仲間と衝突することにさえ情熱の日々を思い出し体中にエネルギーが
漲ぎってくるのを実感する。はたしてジジイたちは計画を成し遂げることができるのか…。
 設定上のムリがあることは否めない。昼間から作業着きていそいそと出かける彼らにホームの誰も気づかないのも、ホームレスの
居住地をベースとしているとはいえ穴堀をやっているのに誰も気づかないというのも変だ。さらに、都心の巨大ビルが…(未見の人
のために省略する)ピサの斜塔同然の状態になっているのに、人だかりがないというのは不自然すぎる。あまりにもアンビリーバブル
な衝撃的なクライマックスだ。
 
 それでも尚、本作はしみじみとした奇妙な味わいを残す。テーネンになったからといって絶望するんじゃない、俺たち先輩ジジイ
たちはやったじゃないか、と檄を飛ばしているようだ。情熱を持ち続ける限り、人生は、終わらない。そう言っているような爽快さを
覚える。


 *5月8日から 全国東映系にて公開予定

   


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