新しい愛に向かって…「世界の中心で、愛をさけぶ」

                                                                               桑島まさき





発売以来ベストセラー記録を更新しつづけ、遂に250万部を突破した片山恭一の同名小説の映画化だが、本作は、原作には描かれ
なかった成人した朔が学生時代に愛した亜紀との純愛に決着をつけていくまでが描かれる。小説と映画の相違点を比較されるという
リスクが心配されたがそれも含めて、ベストセラー小説や平井堅が歌う主題歌「瞳をとじて」の力も相まって公開前から何かと話題を
呼んだ。本作は原作に見劣りすることのない秀逸な作品といえるだろう。

 朔(大沢たかお)は律子(柴咲コウ)という娘との結婚を控えている。律子は引っ越してきたばかりの都会のアパートで、荷物の
整理をしていると、子どもの頃きていたカーディガンを見つける。するとそのポケットの中から86年に録音されたカセットテープを
見つける。なぜ今ごろこれが出てきたのだろう…。台風の近づく都会の町。律子は思いあまって故郷の四国へ旅立つのだった。
フィアンセの朔は直感で律子をおって四国へと急ぐ。
 朔は走る。走る姿は、いつしか86年の朔へと移行し、現在と過去が交錯する構成となる。その対比を明確にするために、朔(少年
時代は、森山未来)と彼が愛した亜紀(長澤まさみ)とのすがすがしい交際の時代をまばゆいばかりの光溢れる映像で描き、過去を
ひきずって生きている朔の内面を象徴するかのように現在をくすんだ色調で区分している。

 朔は昔、広瀬亜紀という学園のマドンナ的存在の少女を好きになった。成績優秀でスポーツ万能、多感でちょっとフツーの少女
とは違う大人びた雰囲気をもった亜紀は少年たちの憧れの的だった。朔にとって高嶺の花だった亜紀が、なぜか朔と交際するように
なった。明るく利発で魅力的な亜紀(イニチアティブは完全に亜紀がとっている)とフツーの少年の朔との溌剌とした明るい交際が
描かれるにつれ、のちに二人を分かつ死の気配が純愛を悲劇へと転じていく。若いながらも二人はお互いを思いやり、テープに
それぞれの思いをふきこみ、より深く互いを知ろうとする。
 朔役の森山未来が朴訥とした気のイイ少年役を好演し、少年時代特有のストレートな熱情で亜紀を見守る姿がイイ。亜紀を演じる
長澤まさみは白血病で倒れる薄幸の少女役を演じるためにスキンヘッドになって役に同化する。病状が悪化し全ての髪が抜け落ち、
血の気のない顔になり、若さが損なわれても、愛という概念を理解できない若者であっても、朔は精一杯“愛する”亜紀のために
寄り添って生きていく。やがて観る者は、病室で亜紀と朔をつなぐ小さなキューピットを引き受けていたのが後に朔のフィアンセ
となる律子だと知る事になる。死の影が亜紀に近づいている頃、彼女の願いを叶えるためにオーストラリアへ向かおうとする空港
で亜紀が倒れるシーン、病室のガラス越しに口づけするシーンなど涙を誘うシーンが多くあり印象的だ。
 若き日の朔と亜紀、大人になった朔と律子、子どもの律子、それぞれの好キャスティングが効を奏し、あざとさのない好印象を
残す。

 朔はたしかに、亜紀を“愛しすぎた”ために忘れられず過去を振り返るのを避けてきた。亜紀が「忘れられるのが怖い」と言い
写真屋のオヤジ(山崎努)の計らいで結婚写真を撮ってもらった。まるで亜紀との約束を守るかのように。忘れられない朔は過去と
決別できずに現在を生きることができない。ところで“忘れることができない”ことはいけないことだろうか? いや、何故忘れ
なければいけないのだろうか?
 朔は結婚をまじかに控えている。人は確かに現実に踏みとどまっては生きていけない。第一新しいパートナーに失礼だ。しかし
なぜ、今ごろ律子は亜紀のテープを見つけたのか? まるで過去と「決別」する時がきたかのように。そう、過去と「対峙」する
機会が巡ってきたのだ。運命的に。死に行く者より残された者がどうその痛手を引き受けなければいけないかは言うまでもない。
だから、敢えて言おう。忘れなくていいのだ。輝かしい時代を浄化しきらめきに変え、新たな未来の輝きをつかむために心の糧と
していけばいいのだ。新しい愛に向かって…。
 涙を誘うこの手の話は、テレビや映画や小説やマンガの恰好の材料となってきた。なのに本作に素直に感動の涙を流すことが
できるのは、あざとさのない手法で、純愛を描き、生きる喜び、死別の辛さを描き、それでも生きていく覚悟を主人公に託した
からだ。私は充分に楽しんだ。


 *5月8日より 全国東宝邦画系にて公開中


戻る