美しくあることを体現した真のスター「市川雷蔵」
桑島まさき
11/27〜12/24 シネスイッチ銀座にて「映画デビュー50周年企画 市川雷蔵祭 艶麗」が催され、全41作品が連続上映される。
さて、本映画サイトをご覧になって下さる若い映画ファンの方々は「市川雷蔵」という名前を聞いたことがない人が多いのではない
だろうか。誰それ? 何やっていた人? と疑問に思う人は本映画祭のチラシをご覧になるといい。横向きの雷蔵は切れ長の涼しい目
に虚無と悲哀を漂わせ、この世の者とは思えない気品を備え、見る者を強烈に惹きつける。本当のスターとはこんな人のことをいうの
だと納得するだろう。そして興味をもち作品を観たならば、その口から発せられる物言いの高貴さ、艶やかな殺陣、着流し姿の凛々
しさ、にうっとりするだろう。
市川雷蔵は1931年、京都に生まれる。生後すぐに歌舞伎俳優、市川九団次の養子となり、15歳の時に大阪歌舞伎座で初舞台を踏む。
翌年、関西歌舞伎界の長老である市川寿海の養子となり、同年「市川雷蔵」を名乗る。53年、大映から入社を依頼され、翌年大映
入り。表現の場を梨園から映画界へ移した雷蔵は、精力的に映画に出演し、37歳の若さで他界するまでの15年間の映画俳優人生で
158本の映画に出演している。単純計算すると1年間で10本は出演していることになる。これは相当スゴイことだ。
かくいう私が「雷蔵」という名前を耳にするのは、小さい頃、雷蔵と同じ年の母が彼の出演作をみるたびに「ライゾー」と
うっとりした顔で語っていたからだ。(ちなみに母は、同時代に活躍した長谷川一夫にも熱をあげていた)
現在、日本はTV放映終了後も「冬ソナ」ブームが続いているが、家庭の主婦が「ヨン様」に酔いしれるように、当時の母は
「雷様」に夢中になったのだと思う。勿論、「雷様」などとは呼んでいなかったようだが。
市川雷蔵といえば、「眠狂四郎」シリーズを思い浮かべる人が圧倒的だと思うが、彼が出演した作品は多岐に渡り、系統的に分類
すると次のようになる。
<歌舞伎もの>…「弁天小僧」「若き日の信長」
<眠狂四郎シリーズ>…「眠狂四郎 勝負」「眠狂四郎 無頼剣」
<明朗時代劇>…「浮かれ三度笠」「濡れ髪牡丹」
<文芸もの>…「炎上」「新源氏物語」「婦系図」
<三隅研次監督/剣三部作>…「斬る」「剣」「剣鬼」
<大菩薩峠>…「大菩薩峠」「大菩薩峠・竜神の巻」「大菩薩峠・完結篇」
<傑作選>…「薄桜記」「沓掛時次郎」
<シリーズ作品>…「忍びの者」「陸軍中野学校」
映画祭に先駆けて行なわれた試写会で私は「眠狂四郎 無頼剣」(66・三隅研次監督)を観たので、感想を述べることにしたい。
本作は、柴田錬三郎の時代小説の映画化で、シリーズ8作目にあたるものだが、もし今、この「眠狂四郎」をリメイクしようと
企画したとして、主役を演じる者はかなりストレスを覚えるだろう。それほど「眠狂四郎」は市川雷蔵と一体化している。
前時代的なエロスを感じさせる楚々とした美人女優・藤村志保が全裸のまま威勢よく川に飛び込んだり、故人となった天地茂が
狂四郎と屋根の上で決死の艶やかな戦いを繰り広げたり、見所はタップリ。シリーズ5作目の「眠狂四郎 炎情剣」(65・三隅研次
監督)では、中村玉緒が共演しているのだが、これが実にカワイイ! 今ではひょうきんなイメージが定着している中村玉緒は、
実は美人女優だったのだと発見するだけで楽しめるのではないか。
37歳という早すぎる死。だからこそ神話化され死後も全国各地で特集上映などがあいついで開催されているのだろうが、生きて
いれば73歳。人生を重ねた円熟した魅力を楽しめたはずなのに、と惜しまれるが…。異人の復讐心からレイプされて出来た子という
忌まわしい出自を背負って生きる孤高の狂四郎と雷蔵が私の中で切り離せないだけにそう思うのかな?
*「映画デビュー50周年企画 市川雷蔵祭 艶麗」
……11/27〜12/24 シネスイッチ銀座にて開催
問い合わせ先(シネスイッチ銀座) http://www.cineswhitch.com