映文振センターレポート「第75回監名会」
桑島まさき
8月24日、京橋のフィルムセンターで開催された第75回「監名会」(主催:NPO法人日本映画映像文化振興センター)の上映作品は山本薩夫監督の75年度作品「金環蝕」。山本監督は、83年8月11日に亡くなられました。
ダム建設をめぐる政財界の汚職、総裁の椅子を狙う壮絶な政治家達の駆け引きを描いた石川達三原作の同名小説を映画化した作品。山本薩夫監督没後20年目の今夏、相も変わらぬ「政治とカネ」の構図に国民の政治不信は募る…、上映はそれ自体意義深い。言うまでもなく山本監督の<演出>が冴える見応えのある作品だ。
映画の後に行なわれる恒例のトークショーには山本薩夫監督に18年間師事し、「マタギ」「イタズ」など数々の名作映画を撮っている後藤俊夫監督に、「キネマ旬報」編集長の関口裕子さんが、話を聞いた。
「山本組での撮影は、いつもピリピリ張りつめた空気が流れていた。現在とは違い、当時は助監督も4、5人いるのが普通だった。監督から指導してもらうのではなく、自分が監督から技を盗み学ぶことが当時のスタイルだった。いいか悪いかは別として、ある意味で厳しかった」。
「金環蝕」の撮影時ではチーフ助監督だった後藤監督は、今では古い<制度>となってしまった叩きあげの映画界の慣習についてそう語る。
かたや映画、かたや出版という差こそあれ、先輩(師匠)から後輩(弟子)へと継承されていく確かな現場を知る者同士。性別や世代を超えて感慨を共にする後藤監督と関口さんに共感を覚えたのは私だけではないだろう。
後藤監督は子供たちに映画製作を指導している。実は西東京市で開催された同法人主催の「夏休み子どもシネマスクール」を前日に終えたばかりだ。後藤監督から伝承された技<創意工夫>の多彩な在りようは、子供達に受け継がれたことだろう。
映画製作の環境は変った。しかし、「金環蝕」に描かれている政治の世界は驚くほど不変だ。20数年を経ても変らないその事実にどう向き合うか。私たちが社会派作品を観る価値はそこにあるだろう。
※「キネマ旬報」2002年10月下旬号より転載
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