第81回 監名会レポート

「錆びたナイフ」

桑島まさき



 1987年7月17日、惜しまれつつも他界した日本映画界のスーパースター、石原裕次郎の人気は今でも褪せることなく続いて
いる。今年は生誕70年、裕ちゃんも生きていたら70歳なのだ。
 2月14日、京橋のフィルムセンターで開催された第81回「監名会」(NPO法人映文振センター主催)の上映作品は舛田利雄監督
の「錆びたナイフ」。監督作品三作目となる石原裕次郎主演映画。1958年、製作・配給は日活。石原慎太郎の原作を舛田利雄が
脚色(石原慎太郎と共同)しメガホンをとる。

 上映後、(ゲストの一人舛田監督が病気で欠席のため)本作の撮影監督・高村倉太郎さんが撮影秘話などを話された。「最初台本
を開いた時、<ある地方都市>と書いてある、どこにすべきか考えたが結局、門司に決まった。門司以外のロケ地としては、最後の
対決シーンは月島、トラックがぶつかりあうシーンは深川の倉庫街、それで最終的に全体をまとめた。当時、ロケ地は裕次郎人気の
せいで見学者が実に多かった。私は新人監督9人と仕事をして、その後コンビを組んできましたが、舛田監督からは3作目に声を
かけられたので色々と話し合いました。彼は日活のムードアクションを確立しました。裕次郎は最初からスター的要素をもった華の
ある人だった」
 
 又、33本の裕次郎作品のスチールを手がけた井本俊康さんが特別参加して話された。「裕次郎との出会いは『太陽の季節』が最初
だったが、一目みた時から182センチという体格は目立ったし、笑顔で折り目正しい挨拶に好感を持った。作品(ポスター)の中で
一番好きなのは、『赤いハンカチ』。スチールの仕事は、台本を読んですぐに、自分のイメージで画をつくりどのように表現する
べきかを考えなくてはいけない。場合によっては、実際の映画のシーンにはない場面を作って撮影することもある」
 
 人の心を打つ作品というのは、言うまでもなく、映画を撮る時に情熱を傾けて出来た作品だ。今から40数年前の作品が少しも
色あせないのは、“不世出のスター”裕次郎の魅力と製作陣の多大なる努力があったからに違いない。会場は50代・60代のかつての
裕次郎ファンで一杯、男性はジャケットの襟を立て、女性は裸の付き合いをしてきた二人の話にため息をついていた。
 それにしてもラストシーンに流れる裕ちゃんの歌は心に沁みた。          (文・桑島まさき 写真・竹下資子) 


 *2004年4月下旬号「キネマ旬報」より転載




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