優しさに包まれたなら……「陽のあたる場所から」

                                                                           桑島まさき
                                

  

 「もしあなたの身近に、心に病を持つ人がいたら、どう向き合いますか?」「『私を助けて』そんな声を聞いたなら、あなたは
どうするでしょうか?」。
 いきなり問いかけで失礼。これは本作のプレスシート(イントロダクション)から抜粋した文章だ。そして、私がもっとも答え
にくい質問でもある。本作を試写でみた瞬間、あまりにも現代的な題材を扱っているだけに是非書かねばならないという意欲に燃えて
いたのだが、そう思うと日をおうごとにストレスがたまっていった。書けないのだ。あまりにも取り扱いを慎重にしたい問題を孕んで
いるために。そうこうするうちに本作は劇場公開されてしまったことをまず述べておきたい。
 本作は心を病んだ自分の患者(身元不明、それほど長く看た訳ではない、話すことをやめ心を閉ざしたかなり重症)を救いたいと
いう一心で、海をこえ患者の暮すアイスランドへ旅した一人の若き女医の、医者として一人の人間としての心の軌跡を描いた物語で
ある。

 フランス、パリ(多分)。若く優秀な精神科医コーラ(エロディ・ブシェーズ)は仕事も恋も順調。美人でステキな恋人がいて
ここまでの人生で不満は特別ない。ある日、勤務する病院でロア(デイッダ・ヨンスドッティル、アイスランドの詩人で本作が映画
初出演)という女性患者と出会う。髪はボサボサ、精彩がなく哀しい目をしている。身元不明で何も話さない重症の患者だ。死んだ
ように静かな世界に生きているロアだが、突然なにかに怯えるように暴れだしてしまうのを目にしたコーラは、何とかしてあげたいと
思い勤務時間外にもロアと接するようになる。そんなコーラにロアも徐々に心を開き彼女を頼って電話をかけてくる。回復の予感に
酔いしれるコーラは満足していたのだが、ある日、出勤してみるとロアは退院していた。身元が判明しアイスランドへ強制送還されて
いたのだ。海の向こうのアイスランドからどうやって一人でフランスまでたどり着いたのか? 治療も終わっていないのにロアは社会
復帰できるのだろうか? 気がかりなコーラは医者としてロアを訪ねる旅にでる。
 一人の人間を救う(医者として、同じ女として)という使命感に燃えていたコーラがそこでみた現実は……。

 はるばるロアをおって海をわたってきたコーラを見てもロアは覚えていないのかまるで反応しない。そこには、夫がいて子供もいる
 主婦としてのロアがいた。無心に食事の支度をしている。その上、ロアの夫に聞くと、ロアが失踪したのは初めてではない、
という。海辺の寂しい村には病院はあるが精神科の医者は一人もおらず、それでも人々の生活は朝がきて夜がくるように淡々と続く。
無駄足だったこと、これまでの努力が報われなかったことを知り愕然とするコーラ。泊まる宿もなく底冷えのする初めて訪れる異国で
凍死寸前にまで陥りいやがおうにも自分の無力さをつきつけられるのだ。
 うら悲しい生気のない村だ。人々の大半は缶詰工場で働いて変化のない毎日を生きている。おそらくそんな生活に満足できないロア
は無意識のうちに行動し、その結果として何度も失踪しては家族を困らせてきたのだろう。静かなロアが缶詰工場で全裸になり大声を
あげて走り回るシーンは、窒素しそうな現実に抗えず不満と忍耐がせめぎあっているロアの内面の葛藤を如実に表わしている。
 そんなロアを誘拐同様に連れ出し自分の病院で看ようとするコーラに、村の医者は、医師は誰かの人生を救うのではなく、
ただ生きる手伝いをするだけ、と諭すように言うのだが……。

 その実、私の周囲には鬱病や鬱症状の友人知人がかなりいる。ストレス社会の現在にあって誰でも陥る危険性を孕んだ心の病だから
少しも恥じることはないが、当人たちに、そんなこと気にやむことはない、といっても何の気休めにならないことは重々知っているし、
まして“がんばって”などという言葉を軽々しく使用することの不遜さも承知している。 私は私なりに彼らの役に立てるには
どうしたらいいかその手の本も沢山読んだし、専門家に相談もした。そして明解な答えをだせず悶々としていた時にこの村の医師の
言葉を聞いてハッとした気がした。そう、これなのだ。これしかないのだ。ただ聞き役になり回復の<手助け>をしてやることで、
決して彼らを<救う>などと気負ったりしないことが重要なのだ……。
 他者の人生に必要以上に入り込むことなどできはしない。事実、ロアの夫は心を病んだ妻を深く愛しているのであり、何度ロアが
失踪してもいつもで帰ってこれるように待っている。そう、ロアが生きる場所はここしかないのだ。

 ロアにコーラの努力は届かなかった(?)のかもしれない。でも、傍にいて自分は一人ではないという実感を共有したことで、
どれほど癒されたかは言うまでもない。ぽかぽかと陽だまりのような温かい心の通い合う一瞬があったこと、互いを気遣う優しさに
包まれたこと、をロアは決して忘れないだろう。そして完璧な医師人生を送っていたと思い込んでいたコーラが、無謀なアイスランド
での日々を通して、自分のアイデンティティーがガラガラと音をたてて崩れていく危機を覚えながら同時に再生していくのは、
言うまでもなくロアという純粋すぎるがゆえに壊れたしまった女に、コーラが自分を見たからなのだ。 
 監督は精神病理学の修士号を取得しているソルヴェイグ・アンスパック。寒々としたアイスランドを背景にしながらも、じんわりと
心温まる、奥の深い作品だ。


 *日比谷シャンテシネにて公開中

   


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