時代…通り過ぎた季節、あるいは、くぐり抜けなければならない季節
…「子猫をお願い」
桑島まさき
なんとも懐かしい映画だ。自分の20歳代初期の青春時代を観ているような。そんな時代もあったな〜と。既存の「青春映画」の
多くは、制服をきた登場人物たちの青春群像モノが多いが、制服を脱いだ後も青春は続く。厳密にいうと、人は皆、終生、自己の
内面に青春をもち続けるものだ。
制服を着ている時代の青春は、親の庇護下にあり彼(彼女)の社会である学校という環境は、教師(好き嫌いは別として)の監視
下で、概して安全な日々を送ることができる。制服を脱いだ後、大学へ進学したり、社会へ進んだ者は、20歳をいう年を境に子供
から大人へと引導を渡される。自分の行動や言動に対する責任は、かつて代わりに引き受けてくれた親や教師ではなく、自分自身の
身に振りかかってくる。言うまでもないことだが。
自分たちにその意識はなくても、いつまでも学生時代の延長のように日々を楽しんでいても、20歳という年齢に達した途端「自己
責任」という言葉とは無縁ではなくなってしまう。
「自分は大人だ」と思っているのに周囲が相応の評価をしてくれないと苛立つし、「大人になりたくない」のに肉体ばかり成熟
して年齢にふさわしく精神がおいつかないと自信を喪失し萎縮してしまいがちだ。そして、こう思うのだ。「学生のままだったら、
あの頃だったらこんなこと考えなくてもよかったのに…」と。
だが、人は生きている限り年を重ねていく。そして制服を着る時代が終わると、大方の人は社会へ入り、いやおうなしに壁に突き
当たり当惑する。何度かその壁を意識するうちに、人生と折り合いをつけて、人は「大人」を完全に受け入れ、中年になり壮年に
なり老年へといたる。
本作「子猫をお願い」は、社会人1年生のかつての女子高の仲良し5人組の青春群像だ。社会の壁につきあたったばかりの彼女
たちが、それをいかに受け入れ進むべき道を見つけていくか。新しい道を選択する代償として、かつての友情と決別するほろ苦さも
含めて、いつまでも学生時代に留まってはいられない現実の厳しさをチラリと垣間見せる。
韓国、ソウルから電車で一時間ほどの仁川(インチョン)という都市。かつて女子商業高校で仲良しだった5人組は卒業後、別々
の道へ進んでいる。卒業後もよく連絡をとり集まっていたが、次第にその機会は減ってきている。5人(一組は双子)の中で一番の
出世頭は有名な証券会社に就職した美人のヘジュ。早くに両親を失い祖父母とバラック街(スゴイあばら家)で暮らしているジヨン
はデザインを書いているが就職口がなくイライラしている。5人が集まる時、出世を鼻にかけて話すヘジュの言動がジヨンには不快
で、高校時代ジオンと親友だったがその距離は開いていくばかり。アクセサリーの露店をだして暮らしている双子の姉妹
(イ・ウンシルとイ・ウンジュ)はマイペースで楽天家なので空気のような存在。集まるとピリピリ状態のジヨンとヘジュを諌める
のは、面倒見のいいテヒだ。テヒは裕福な家に生まれ家業の手伝いをしながらボランティアで小児マヒの青年詩人の口述タイプを
している。不自由はないが、ここではない何処かへ行きたい、どこかで自分のやりたいことを見つけたいと模索している。
5人は時々集まってバカ騒ぎをする。誕生パーティーを開いたり、ケータイで連絡をとりあったり。画面分轄やケータイメールの
やりとりを画面に映すなどの演出が、登場人物が若い女性ばかりという作品らしく楽しくイケている。女の子たちの本音が随所に
描かれているのは女性監督、チョン・ジェウンならではだろう。
筆者も、就職したばかりの20代初め、毎日が楽しかった。仕事は覚えなくてはいけないし、見るモノ聞くモノ新しく未知の世界で
の発見は毎日続いた。多忙だからこそ時間調整もスムーズにこなし、精力的に飲み会に参加し、夜中まで騒いでは明け方帰宅すると
いう生活をこなした。不思議なことに、若さは不規則な生活を受け入れるだけの体力やパワーを提供してくれたのだ。
5人の中で一番の出世頭(実はそうでもないのだが)のヘジュも、毎日イキイキしている。向上心も高くマジメで美人だから職場
の人からのウケもいい。聞こえはいいがヘジュの仕事は雑用だ。でも、彼女はまだ気になっていない。商業高校卒業者が皆雑用を
している訳では勿論ないが、作中でのヘジュは商業高校卒業後すぐに人も羨む証券会社に就職し事務職をこなしている。大卒の職場
の人々とは無論、仕事の内容は違う。
ヘジュは初めて壁を意識する。職場の上司は知的でエリート然とした中年女性だ。英語の電話を巧く処理したヘジュに感謝した
上司は、いつまでも雑用でいいのか? とヘジュを傷つけないようにエリート風をふかせないようにさりげなく聞く。証券会社で
雑用以外の仕事につきたいのならそれなりの資格が必要だ。それに挑戦するだけの意欲があるのかヘジュは問われたのだ。ヘジュ
にとってこれまで考えもしなかった問いかけだ。専門職を希望する女性が面接にやってくるのをヘジュは不安そうに見つめている。
これまで可能性は無限にあると思っていたのに、俄かに世界が小さくなったのをヘジュは感じる。
同じ頃、ジヨンに災害が訪れる。あばら家は崩壊し祖父母はあえなく死んでしまい、一瞬にして彼女は天涯孤独の身になって
しまう。茫然自失状態のジヨンは警察の事情聴取に逆らったために、更なる不運が続く…。
ジヨンが拾ったかわいい子猫。5人の間をめぐりめぐって最後は双子が面倒をみることに。子猫が大きくなって生きているうちに
5人は再会を果たすのだろうか? ふとそう思った。
筆者はこう思う。始まりがあれば終わりがあるように、終わりがあれば始まりはある。彼女たちの青春は確かにこの時期、立ち消え
になった。しかし確かに結ばれた友情の絆や純粋な楽しい思い出は、時を経て再会という幸運をもたらしてくれる。その時に又、友情
が再燃することがあれば数年、数10年のブランクは何も意味をなさない。40歳を過ぎた筆者には「通り過ぎた季節」を懐かしく思い
出させる作品として本作を面白く観た。テヒやヘジュたちと同年齢の人たちには、「くぐり抜けなければならない季節」として等身大
の思いを抱いていることだろう。
*6月26日より ユーロスペースにて公開予定