ある使命に関する物語……「ミラーを拭く男」
桑島まさき
あまり例をみない主人公だ。一言も喋らないのだ。本作「ミラーを拭く男」の梶田征則監督は試写室の挨拶でその理由を「日本の
父親像を描きたかった。無謀とも思える行為をする訳や主張を排除し、男の表情や行動を通して観客に男の選択を委ねたかった」と
述べた。
定年をまじかに控えた皆川勤(緒形拳)は、典型的な日本のお父さんだ。マジメに会社に忠誠を尽くしもうじき無事に勤め上げ
ようとしている。寡黙で責任感が強く、良き夫、良き父を黙々とこなしている。そんな彼が交通事故を起こした。といっても相手の
少女はカスリ傷ですみ大事には至らなかった。しかし少女の祖父が事を大げさにふっかけてくるものだからたまったもんじゃない。
軽い鬱症状にかかった勤は苦情処理を妻の紀子(栗原小巻)にまかせ自宅に引きこもってしまったもんだから、家族は困惑している。
事故現場を訪れた男は、カーブミラー越しに事故当時の記憶を辿る。大事に至らなかったが、もし…と思うと不安が募り、カーブ
ミラーがあったおかげで交通殺人犯にならずにすんだのだと感謝し、一心不乱にミラーを磨く。そのうち男は、その現場は元々危険
な場所に指定されていたことを知り、“ミラーを拭く”ことで設置されているミラーが有効に機能するように尽力していく。それが
自分に課せられた<使命>のように。
家族は仰天する。一家の主である勤にはまだ会社勤めという義務がある。家計は苦しいのに、彼はそっちのけで“ミラー拭き”に
忙しい。そして男は、遂に全国の“ミラーを拭く” 旅にでるのだが…。
マジメ一徹の勤は夫として父としての使命をほぼ果たしてきた。男の前に突如として浮上した使命は、カーブミラーの重要性だ。
大事が起きた時に急いでミラーを設置する腰の重い行政のあり方も問題だが、男には行政を動かすなどという目的はあまりない。
予算維持目的のために設置してあるミラーも、お飾りのように設置してあるミラーも、元来の使命を果たさなくてはいけない。
そのためにはミラーが正常に機能するために、ミラーが曇っていたり汚れていて見えない状態にないように、男は丁寧にミラーを
拭く、のだ。自分が住む町のミラー拭きがすむと全国制覇の旅へ出て、自転車に脚立を積み、夜はテントをはって休む。日本の
田舎町の四季折々の情緒的な風景を背景に、男が淡々とミラーを拭く光景は滑稽だ。それどころか、<全国のミラーを拭く>という
行為そのものが無謀で滑稽とも言えるだろう。それなのにその無鉄砲さが心を打つのは、男のひたむきな信念がチラリと見える
からだ。そう、デビット・リンチ監督の「ストレート・ストーリー」の主人公の行動も勤のそれと似ているではないか。
効率が良いとはいえない男の行為は<仕事>ではない。ボランティアだ。仕事という点からいえば、本来ならミラーが設置されて
いる管轄の行政機関がやるべきだ。なのに彼らはそれをやらない。行く先々で役所に足を運び、ミラー増設を申請したが、余所者
の男に冷たい反応を示すところもある。それでも男はミラーを拭く。これは男の<個人>の問題であり、使命なのだ。
そう言えばトム・ハンクスが主演したロバート・ゼメキス監督の「フォレスト・ガンプ」もそうだ。フォレストはある日、哀しみ
や鬱々とした心の穴を埋めるために突如走りだしたくなりそのまま二年以上走りつづけた。さざなみのたった心が静かに凪ぐまで、
自分自身のために走り続けた彼のとてつもない<行為>に共感し行動を共にする人々が群れになって彼に続いた。
勤の無心な<使命>からくる行為は、やがて人々の目にとまり口の端にのぼり、やがてテレビ報道されるようになる。結果として、
行政の怠慢ぶりや矛盾点が浮き彫りになり、さらにフェリーで知り合った饒舌な上野(津川雅彦)が広報担当の形で勤を宣伝する
ものだから、テレビの効果は全国に「反射鏡会」を誕生させるに至る。しかし、報道が過熱するにつれ、男は自分の思惑とは違う、
つまり<個人>の問題が<公共>の問題へと飛躍していくことに披露困憊していく。
皮肉なことに勤は、ミラー掃除中に事故に遭うのだが、気が付くと“ミラー拭き”を家族と離れ三年間も続けていた。多分、
これからも続けるのだろうと予感させる結末、そしてその後に続く妻の姿を見出した時、男の<使命>が達成されることを心から
願っている自分を感じて穏やかな気持ちになる。
不器用だが自分の信念に向かって突き進む真摯な姿は、ストレートに心の琴線に響き、静かな感動を呼ぶ。
*8月21日より テアトル池袋ほか夏休み全国ロードショー