祖母在りき……「佐賀のがばいばあちゃん」
桑島まさき
原作はベストセラーとなった島田洋七の自伝的小説「佐賀のがばいばあちゃん」。実際に島田自身が生活の困窮から佐賀の祖母に
預けられて経験した少年時代の思い出に基づいている。
ところで、〈がばい〉という言葉だが、佐賀の方言で、〈すごい〉という意味。お隣の県出身の筆者でもその意味は知らなかった。
つまり、「すごいばあちゃん」という意味。どんな風にすごいのか……。
新幹線の中、デッキで仕事の電話をして戻ってくると主人公・岩永明広(三宅裕司)は、一人ぼっちで泣きべそをかいている少年を
みて、ふと意識だけ自分の少年時代へとタイムスリップしてしまう。
昭和32年広島。原爆症で夫をなくし居酒屋で働きながら子供二人(兄と明広)を育てる母親(工藤夕貴)は、いろいろ考えた末、
下の子の明広を佐賀でくらす母親にひきとってもらうことに決めた。まだ幼い明広は泣き虫で母親が恋しい時。いえば必ず駄々を
こねるとわかっているので、母親は姉(浅田美代子)に頼んで騙して明広を汽車にのせてしまう。
汽車の中でオイオイ泣いた後、諦めておとなしくなった明弘は、初めて祖母の家を訪れる。広いが殺風景で、いわゆるボロ家。
初めてみる祖母(吉行和子)は、余計なことは何もいわない。ただ、ついた途端、「ついてきんしゃん」と言い、早速飯の炊き方を
教えるのだった。
ばあちゃんと二人の生活が始まった。今でも掃除婦として働くばあちゃんのために明広は朝早くおき、飯をたき、支度をして学校へ
いく。兄ちゃんも母ちゃんもいない寂しさから、線路づたいに広島へ帰ろうとするができず、ホームシックで泣く日もある。
ばあちゃんの家はオンボロだが、家と炊事場をつなぐ渡り廊下の下を川が流れていて、そこには野菜が次々に流れてきた。野菜市場
で使い物にならないモノが次々に流れてくるのだった。ばあちゃんは「川はスーパーマーケットだ」と言い明広を笑わせる。
少しずつばあちゃんとの生活に慣れてきた明広だが、ばあちゃんの楽しく底抜けに明るい逞しさにとまどうばかり。
「拾うもんはあっても、捨てるもんはなかとばい」と言い、仕事の帰りに腰にヒモを巻いて鉄くずなどを拾ってくる。剣道を
やりたいという明広に、「走る地べたはタダ、道具もいらん」といい陸上をやるようにうまく説得する。たどり着いた精霊流しの供え
物の果物までありがたくいただこうとする。豆腐売りがくれば、崩れた豆腐を半額でかうと決めている。節約第一を信条として生きて
いるが、ケチではない。義理がたく決して人様の世話にならないと決めている。
そんなばあちゃんの性格を知っている周囲の人たちは、ばあちゃんを尊重し温かく見守る。崩れた豆腐などないのにわざと崩して
半額で売る豆腐売りのオジサン(緒形拳)。運動会に日の丸弁当しか食べれない明広のために、わざと腹痛を訴えて自分の弁当と変えて
やろうとする先生たち……。
代償を求めたり恩つけがましい親切ではなく、本当の優しさや思いやりとは、こんな行為をいうのだろう。いや、昔の人々はこんな
行為を人と人との関わりの基本としていたのではなかったか?と、ふと失ってしまったモノを垣間見た気がした。
どんな役柄でもこなす日本の大女優・吉行和子が、明るく逞しくまっすぐな〈がばい〉ばあちゃんぶりをユーモラスに演じている。
ばあちゃんのがばいぶりには目を瞠るものがある。ほとんど即興なのだ! 貧乏を悲観的に思わず、苦しいのにポジティブに思考し、
明広が悲しまないように的確に、しかも即答し明広を説得させるのだから。
〈キャプテン〉の意味がわからない無学(多分)のばあちゃんだが、明弘が勉強中、「歴史が嫌い」だと言うと、「過去には
こだわりません、と書いとけ」と隙を与えない妙案を思いつくのだからなー。やはり、このばあちゃんはただものではない!
原作本のキャッチコピーは「読んだら人生がラクになる本」だが、全くその通り! がばいばあちゃんが明広に与えた数々の名言は
貴重な人生哲学となり、泣き虫少年を立派な大人へと成長させた。こんなばあちゃんみたいな女性はかつて沢山いたのだろうなー。
戦中・戦後の混乱期を生き抜き、時代がどんなにめまぐるしく進歩しようとも流されず、モノを大事にし、先祖から教わった教えを
しっかり子供たちに授けた女性たちが。そんな女性たちから教わった大事なモノを忘れずに後世に伝えて欲しい。
「昭和」を顧みる本や映画があい次いでいる。本作には〈懐かしい〉モノがいっぱいあふれているが、それ以上に当時確かにそこに
当然のようにあった〈温かさ〉に満ちている。見えないが、静かに徐々に心に染みてくるモノが。 監督は、倉内均。素朴な温かさに
触れた!
*6月3日〜 銀座シネパトス他にて公開予定