【アンチェイン梶】という、未確認飛行物体を探知せよ  ★★★★ 

   渡辺一弘


 自分は【映画ファン】かつ【格闘技好き】でもあるのだけれど、この2つの趣向が幸福に結びついた本作について書くために、いままで物書きをしていたと見栄を張ってもいいくらい、ストライク・ゾーンど真ん中の作品だった。辰吉丈一郎に密着した『BOXER JOE』(95、阪本順治監督)や、モハメド・アリの人生にせまった『モハメド・アリ かけがえのない日々』(96)など、1人のボクサーに焦点を当てたドキュメンタリー映画の場合、だいたい2通りに分けられるように思う。1つは、その人物そのものに肉迫していくタイプ。もう1つは、その人物の周辺にいる人々から、本人を浮き彫りにしていくタイプ。本作は、どちらかというと後者の方で、【アンチェイン梶】というリング・ネームでボクサーをしてた主人公の人物像を、彼と関わりのある3人の選手たちを通してあぶり出してみようといった試みがなされている。

1.【アンチェイン梶】という男

 本名=梶利裕。69年大阪生まれ。生後まもなく、養子として母方の叔父のもとへ。元キック・ボクシング王者で、のちに阪本監督作『鉄拳』(90)で俳優デビューもするシーザー武志が85年に創始したシュート・ボクシング(従来のキック・ボクシングに【投げ】と【関節技】をミックスした立ち技系の格闘技)系の道場【力炎館】に15歳で入門。19歳でボクシングに転向後、【陽光アダチジム】からプロ・デビュー。通算成績6敗1引き分け。7戦目の後、ドクター・ストップにより現役引退。その後、便利屋【とんち商会】を経営するが、95年、阪神淡路大震災後の復旧もままならない頃、釜ヶ崎労働者センターになぐり込み、第1級障害者認定を受けて精神病院入り。退院後、現在にいたる。リング・ネームは、「アンチェイン・マイ・ハート」(レイ・チャールズの名曲)からのいただきで、「おのれの心にクサリをかけるな!」というその歌のメッセージ通り、本人も自由奔放な生き方をつらぬく。

2.梶と交流のある3人のボクサーたち

 1人目は、ガルーダ・テツ。本名=竹本哲治。70年岡山県生まれ。高校でボクシングを始め、卒業後、梶同様、大阪の【陽光アダチジム】からプロ・デビュー。のちにキック・ボクシングに転向し、日本キック・ボクシング連盟のリングで活躍。元関西ライト級王者。インドネシアのワシの神様【ガルーダ】からリング名を取り、梶が命名したという。2人目は、永石磨(おさむ)。70年大阪生まれの在日朝鮮人2世。19歳で、先述した2人同様、【陽光アダチジム】からプロ・デビューし、23歳で西日本フェザー級新人王に。釜ヶ崎労働センターになぐり込んだ梶を、彼の母の頼みもあり精神病院へと引率。一時、【対馬オサム】のリング名でも試合をしていたが、27歳で引退。3人目は、西林誠一郎。70年大阪生まれ。7歳で両親が離婚、梶と同じく、父方の祖母へとあずけられる。16歳で【力炎館】に入門し、19歳でプロ・シュート・ボクサーとしてデビュー。3人の中で唯一、釜ヶ崎労働センターになぐり込んだ梶につき合った。仕事や婚約者を振り切ってまでいどんだタイトル戦(相手は現在、シュート・ボクシング界のエース選手、緒方健一)で負けて以来、試合には出場せず、28歳にして活動中断状態。

3.退院後の梶と、2人の元ファイターたちとの再会

 中盤以降、何年かの月日をへて梶と彼の親友3人とが再びめぐり会うのだけれど、それぞれの現状が微妙にからんでいて、かなり対照的だった。まず、引退後、梶が入院中に、彼の元恋人だった女性と結婚、子供たちに囲まれてつつましくも幸せに暮らす永石との再会は、けっこう緊張感があり、その点など、そのキズがいかに大きかったかということを逆説的にかいま見せてくれたように思う。また、選手活動休止中に別の仕事についていた西林との再会は、まるで兄と弟がひさしぶりに会ったかのようなうちとけ方で、はなれてても気持ちだけは通じ合ってるみたいなものを観客にも感じさせてくれる、ほほえましい雰囲気だった。

4. 4人の中でも特に個人的な思い入れの強い、【ガルーダ・テツ】という男

 映画の後日談として、昨年の12月9日、後楽園ホールでのガルーダの引退試合は、ボクサー生命最後の輝きを思う存分に見せつけてくれたので、本人にとっても完全燃焼できたこと思いたい。その時の相手にして宿命のライバル、小野瀬邦英(現在、日本キック・ボクシング連盟ウェルター級王者)とは、過去4度戦い、結局ガルーダの5連敗でリベンジできなかったけれど、持ち前の闘志みなぎるそのファイト・スタイルはいまでも鮮明に記憶に残っている。本作の最後に、99年12月の時点では3人の中で1人だけまだ現役バリバリのガルーダと梶との再会が描かれていて、前述した2人とはちがい1対1での直接対面ではなく、ガルーダの試合を梶が見に行くといった形で実現。梶自身も長らくボクシング会場とは縁どおかったらしく、その感触を味わうようにかみしめていた姿が象徴的。本作ではガルーダとのツー・ショットまではおさめられてないけれど、逆にそこまで描き込まなかった点に、かえって彼らのリアルな距離感がにじみ出てて印象深い。ラストの、梶からのダメ押しのセリフもお楽しみに!

   豊田利晃監督のデビュー作『ポルノスター』(98、その主演俳優、千原浩史が本作のナレーションを担当)に続く2作目が本作。約5年にもわたる長期取材の末、梶の輪郭だけはオボロゲに見えてきたけど、本作を最後まで見てても、【アンチェイン梶】という男はいったいどんなヤツなのかなんて、ハッキリいってようわからん。けれど、そのわからなさ具合こそ、ひとりの人間がかかえる【多様性】への、監督の視点から見た【信頼のあかし】でもあると思わずにはいられない。それを証明するかのように、【格闘技の聖地】として知られる後楽園ホールの、だれもいない静まりかえったリング上で黙々とシャドー・ボクシングを披露する梶の姿で、映画はフェイド・アウトしていく。それはまるで、いま終わろうとしている記録映画に終了のゴングが鳴ってしまうことを、極力きらってるようにも見受けられる。というのも、【アンチェイン梶】というもう1人の自分を相手に、梶自身がその虚構をキッチリと打倒してから身を引くといった【決別の儀式】のようにも見えてくるから。きっと、彼の現在進行形の【なまなましさ】がフィルムの中に息づいていれさえすれば、彼にはもう何も語ることなど必要ないからかもしれない。



   ※4月、テアトル新宿ほかにて公開   


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『ガール・ファイト』の中の、いくつもの戦い  ★★★ 

  渡辺一弘


 昨年のサンダンス映画祭でグランプリ&監督賞を受賞した本作。ボクシングを題材にしてることもあり、さすがコンペを勝ち抜いてきただけの気骨が充分に感じられるアツイ作品だった。20代前半にボクシング経験があるカリン・クサマ(父親が日本人!)が監督・脚本を担当して映画初挑戦。同年、東京国際映画祭協賛企画【カネボウ国際女性映画週間】にも参加したのだけれど、監督への取材記事の中に、「ボクシングはあくまで素材で、主人公の成長を描くための手段でしかない。」とのコメントがあり、キッパリと割り切ってるその姿勢が逆にいさぎよく、たのもしい。
1.いぜんとして根強い【偏見】にいどむ、勇ましくも等身大のヒロイン誕生!

 17歳という微妙な年齢の高校生ダイアナは、学校にも家庭にも居場所を見い出せず、悶々とした日々を送っていた。でもある日、弟が習ってるボクシング・ジムを訪れた瞬間、人生が一変。ボクサーとしての訓練を通し、ジムのトレーナーとの信頼や、そのジムの有望選手エイドリアンとの恋愛関係も芽ばえはじめる。やっと「ここにいてもいいんだ」という場所を見つけたと思ったけれど、女性ボクサーへの一般的な認知度があまりにも低すぎるので、彼女はリング内外の両方でいろんな壁にぶちあたるハメに〜。

 たとえば体育の授業で、本人はごく普通にやってるつもりなのにまわりから浮いてしまう彼女への、同級生たちの冷たい視線。「なにマジでヒッシこいてるの〜」といった差別的な目線に耐え続けるのは、彼女なりに無視できない学校生活の中でも、かなりツライ試練。さらに、アマの選手層がまだうすいので人材不足のプロの方へとすぐ引き抜かれてしまい、対戦者が見つからずマッチメイクされなかったりと、問題ヤマヅミ。特に強敵なのは彼女の父。彼女に「スカートをはけ!」と強制するようなマッチョ系で、むろん実の娘がボクシングをやることなど言語道断。そういった障害と格闘し、それを乗り越えた上でしか、彼女はあこがれのリングの上に立てないのだ。

2.たとえ、いのちをすり減らしたとしても、つかみ取りたいものとは? 

 本作を見ててつくづく身に染みたことは、女性の方が普段の生活においても戦わなくてはならない向かっててもO.Kみたいな風潮が許されているが、女性の方は、いまだその風当たりが強い。まして本作は【拳闘】というキビシイ世界が舞台。男でも夢をつかめる者はほんのひと握りなのに、そこに女性が割り込んできたら、同じジムのボクサーたちもいくら性別がちがうとはいえ、内心おだやかではないハズ。

 本作の設定で最も劇的だったのは、彼女とエイドリアンを偶然にも同じフェザー級(57キロ前後)にしていた点。2人がいっしょに食事する場面でも、彼女は体の小ささをカバーするだけのパワーを身につけるため食事制限はしてなさそうだけど、彼の方はあきらかに節制中。彼女が本当にボクシングを続けていく気があるのか彼には見当もつかないので、劇中でも彼女への技術的なアドバイスは、彼からはいっさいしていない。同じ土俵に上がってしまった以上、悲しいかな彼らは、すでにライバル同士。もしかりに【男女が対等に戦える領域】があるとしたら、【ボクシング】という競技はまさに肉体至上主義であるがゆえに、逆説的にそういった環境が成立するのではないか?といった問いかけがなされていて、そこを突きつめてみようという心意気が画面からにじみ出ていたので、すごく好感が持てた。

3.あくなき闘争本能を解放した先にしか、分かち合えないもの

 『ロッキー』シリーズ(76〜90)は、ビル・コンティ作曲のシンフォニックな音色とロック系の合体『レイジング・ブル』(80)は、マーティン・スコセッシ監督お得意の既成曲を使い、劇中当時の時代背景に合わせたジャズやスタンダード曲を配していたのだけれど、本作は、ダイアナがラテン系ということもあり、感情がほとばしるトレーニング風景ではパーカッションを主体とした打楽器系の音楽で全体のリズムを構成。彼女の脈打つ鼓動にも通じるそのグルーブ感は、ボクサーとしての生理を体感した監督ならではの、躍動感あふれる表現としてかなりポイント高し。そしてクライマックスでは、彼女とエイドリアンが運命のイタズラにもてあそばれて対戦することに。彼女にしてみれば、失うものなど何もないかもしれないけれど、彼の立場からすれば、もし負けたら今後の選手生命を奪われかねないほどリスクが大きい勝負。そのファイト・シーンを影からささえていたのが、まるで【聖歌】のごとく響きわたってくる重低音の調べ。試合開始のゴングが鳴ってしまえば、たった2人だけの【男女差のない聖域】と化すリング上。そんな空間をおごそかに演出してくれた効果音のおかげで、なにか荘厳な行為にでも立合ってるかのような気にさせてくれるからなんとも不思議だ!

 それに、試合そのものの展開に密着するのではなく、まるで恋人同士を深く結び付ける【ちぎりの儀式】でもあるかのように、勝敗を超えた部分でキャメラが彼らの拳の交錯を切り取ってくれていた点も、より興味深かった。明暗がハッキリ分かれてしまうことの【いたみ】以上のものを、おたがいに昇華し合えたと思っていたのに、その結果として突きつけられた【現実】をどうしても素直に受け止めることができずにとまどう2人の若きボクサー。勝った方が負けた方のその後の人生まで飲み込みかねないほどシビアなサバイバルのはてに、多くの代償が重くのしかかってくるラストは、かなり意味深かつ残酷ではある。けれど、白く渇ききった部屋の片隅で寄り添っている彼らの後ろ姿に、ふとうっすらとした微光がそそがれてて、希望へのかすかな【きざし】みたいなものもちゃんとたくされている。リング上とちがい、【生き方】においてはどこまでいっても明確な判定なんてだれもつけてはくれないけど、新たな境地に到達してみようと模索した彼らの突破力をたたえるのに、安っぽいはげましの言葉など必要ないような気がした。

   余談になるけれど、実際にも女子ボクシングはまだあまりメジャーではなく、日本でもようやく2年前の1999年、【日本女子ボクシング協会】が発足したほど。でも、そんな日陰の状態を打ち破ってくれたのが、モハメド・アリの娘レイラ・アリの登場だった。どの分野でもスターの出現がその業界そのもののブレイクにつながっているので、レイラにはぜひガンバって未来を切り開いてもらいたい。また、【女子プロレス界最強の男】の異名を持つ【LLPW】のトップ・レスラー、神取忍(TBS系火曜夜9時放送のバラエティ『ガチンコ!』で、女子プロレス学院のコーチとしても活躍)との異種格闘戦も企画されてて、もし実現したら【モハメド・アリ対アントニオ猪木】戦の再現ともいえるビッグマッチの可能性大なので、思わず期待がふくらんでしまう。



※4月、丸の内ピカデリー2系にて公開


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