死亡的遊戯 ★★☆

    丸山哲也


 
 新藤兼人の新作「三文役者」は、俳優・殿山泰司の人生と、彼が携わった数々の映画のバックグラウンドをビビッドに描いた秀作であった。しかしながら、殿山を演じる竹中直人の登場シーンと、作中に挿入される、本物の殿山泰司の出演作のフィルムの間には、いかんともし難い違和感が漂っている(いかに竹中が好演であっても)。
殿山本人の姿が映っている映像を見てしまうと、どうしても竹中演じる殿山の部分の印象が弱くなってしまうのだ。
 実在した人物の映像と、芝居によって再現した映像を一つのフィルムの中でいっしょくたにするというのは、やはり、かなり無理があるように思う。

 本作「死亡的遊戯」が、どういう意図をもって作られたのかはわからない。たぶん、ブルース・リーが「死亡遊戯」を作ろうとした真意を明確にし、さらに、その結果生まれた“作品”の片鱗を、できる限り故人の遺志に忠実に仕上げたかったのだろう。
 残念ながら、その意欲も上すべりに終わってしまったようだ。特に、ブルース・リーのそっくりさん(全然似てないが)を登場させた前半部分など、まるっきりムダである。先述したように、本人が映っているフィルムと俳優が演じているそれとの間にはとてつもなく大きな隔たりがあるからだ。
 以前「ドラゴン ブルース・リー物語」という映画があったが、あれは全編がドラマ仕立てだから、まだいい。しかし、こちらではリー本人が遺したフィルムがふんだんに使われているのだ。下手な「再現フィルム」など、ないほうがいい。「死亡遊戯」の製作意図を探りたいならば、関係者の証言のみに頼った方が、まだマシと言うものであろう。

 それに比べると、リーが生前に撮影を済ませていた120分のフッテージを編集した後半は本当に素晴らしい。小柄だが、無駄な肉の一切ない身体に殺気をみなぎらせたリーが見せる技の数々に、ただひたすら圧倒されてしまう。鋭さばかりではない。時折見せるユーモラスな表情も見逃せない。また、度重なる死闘の果て、ボロボロになって弱音を吐くという、それまでのリー作品では見られなかった表情が映し出されるのも面白い。

 結局、本作で見るべきものと言ったら、生前のブルース・リーの勇姿だけで、後は蛇足。ファンの人々は満足だろうが、全体としては、「作品」とはとても呼べぬシロモノである。


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ブルース・リー in G.O.D 死亡的遊戯 ★★★

 渡辺一弘




 映画『死亡的遊戯』(原題)の未完成素材をもとに、『燃えよドラゴン』(73)のロバート・クローズ監督が完成させた映画が、『ブルース・リー 死亡遊戯』(78)だった。けれど実際に本人が出ている場面は13分程度しか使われておらず、未公開フィルムが大量に残存。その映像を部分的に使用した『死亡の塔』(80)という珍品まで派生した。しかし、長らく未発表状態だったその激レア映像が、いよいよ解禁!。それが、この『ブルース・リーinG.O.D死亡的遊戯』(英題『GAME OF DEATH』の頭文字と原題の合体題)だ。生誕60周年にあたる今年、このミレニアムから21世紀にむけて不死鳥のごとくよみがえった【ドラゴン】。彼の新たなる神話は、本作からはじまる!。

1.観客それぞれの思いが、本作を完成させる

  監督は、本作の製作元【アートポート】の代表で、大のブルース・ファンとしても知られる、大串利一氏。監督と共同で脚本を担当したのが、今春に公開された『うずまき』や、TVアニメの脚本でも活躍している、映画ライターの新田隆男氏。このふたりをはじめ、彼に対する多くの人々の思いが結実した本作だが、映画単体としての完成度にさほどこだわる必要はないような気がした。門外不出の映像をついに見れるといった希少性と、その【よろこび】に思いきりヒタリまくるための、ファンによる、ファンへの贈り物として本作をとらえた方が、賢明な解釈だと思うのだが?。
「観客のみなさんが、おのおののイメージの中で、本作を作りかえて下さい。」ってな感じで、完全にファンたちからツッコまれることを前提に、観客側にゆだねてしまっている。

2.オイシイ部分を引き立たせるための調理法

  映画の構成は、A.『死亡的遊戯』製作中の彼を、代役をあてて再現したメイキング・ドラマ、B.関係者たちによる、当時の証言、C.本人直筆の演出プランにそって再構築された、『死亡遊戯』のラストの、【五重塔での決闘】場面、という3つのパートに別れている。まずAは、『死亡遊戯』という映画をサカナに遊んじゃおうという、【『死亡遊戯』的遊戯】の実験の場といったおもむきが。彼の死後、数々の亜流作の中でファンの間からヒンシュクをかってきたソックリさん系は、もちろんさけている。彼に似せる必要も過剰な演技も不可の役者が、「こいつがブルース・リーだったんだ!」みたいな違和感を観客側にいだかせつつ、一刻もはやく核心部分を見たいファン心理をワザといなすかのように、もったいぶった芝居が連続。だが、この計算の上での【じらし戦法】が、ジワジワと効力を上げてくるから、なんともコソクな戦略だ。

3.未完成版に、いかに近づけるかという試み

 また、Bでは、『燃えよ〜』の中でも有名な【ムーンサルト・キック】のスタント・ダブルをし、未完成版の方にも参加予定だったユン・ワー、【五重塔での決闘】では最初に立ちはだかる、フィリピン人棒術師ダン・イノサント、『燃えよ〜』では助監督をつとめたチャップリン・チャンなど、ゆかりの方たちが出演。過去に作られたTV特番やドキュメンタリーなどは、妻のリンダさんや家族、弟子たちなどが登場するインタビューにより、彼の人物像にせまった形のものが多かったが、この人選から考えると、既成のやり方より、『死亡的遊戯』になんらかの形でかかわっていた者たちからのコメントを引き出し、外堀から埋めていこうといった意図が見てとれる。

4.【截拳道】の神髄が味わえる、3つの闘い

  そしてCは、A、Bという前フリ部分があったおかげで、まるで模範解答が披露されているみたいなアンサー・パートとなっている。それはまさに、【格闘技の学術研究書】みたいな感触さえただよわせているから不思議だ。『死亡遊戯』では1〜3階の間でおこなわれていた対戦の完全型が、順に展開されていく。

(1)ダン・イノサントとの対決

  Bでもゲストとして登場、ブルースがあみ出した格闘体系【截拳道(ジークンドー)】の師範にしていまだ現役のダン・イノサント。【五重塔での決闘】では、最初の刺客役として見参。ただし本作では、実は、ジェームズ・ティエン(少林派の達人)、チェン・ユアン(元ボディビルダーで、マレーシア系の華僑)扮する【死のゲーム】の挑戦者2人が、ブルース扮する主人公と同行してのハンディキャップ戦だったということが、あらたに判明!。また、『死亡遊戯』の中で、ブルースと戦う前のダンの顔になんとなく戦った痕跡が残っていたという謎も、ようやく解明されている。しかも、【截拳道】の優位性をわかりやすく演出するため、それぞれ別の流派である2人の戦い方とは対局に位置する戦術で、ブルースがダンと死闘をくり広げるといった印象になるよう、強烈な差別化がなされている。彼のコンセプトが、その動作のすべてから明確に伝わってくるので、現在の格闘界においても、歴史的な資料としての価値が多分にある。
  彼の輝かしい戦歴の中で、のちに【截拳道】を共同で創始する同士の、しかも指導者クラスの同門対決がフィルムにおさめられたという点でも、特に貴重な対決だ。かつてL.A.のチャイナタウンで、当時、まだ排他的だったカンフーの道場開設に協力し合ったブルースとダン。他の流派から門下生を守るために使っていた入り口での合図(「タ、タ、タン、タン」というノック)を、ブルースは【バンブー・スティック】で、ダンは【フィリピーノ・カリ】で、合い言葉のごとく戦う寸前にならし合う。空手での【押忍】のかけ合いみたいで、相手に敬意をはらった上での【開戦宣言】としては、すこぶるカッコイイのだ!。
 また、【スティック】の竹としての【やわらかさ】を、構えを排したブルースの【柔軟さ】にたとえ、ダンが使っている【カリ】から受ける【剛直】な雰囲気との極端なちがいを強調。それをムチのようにしならせ、相手のスキをつく彼の格闘哲学は、まさに【截拳道】の真骨頂!。そして究極は、ブルースとダンによる【ヌンチャクの二重奏】。これはもう、【映画】というワクをあざやかに越えた、達人同士の記録的な【文化遺産映像】だ!。

(2)チー・ハンサンとの対決

  今年のシドニー五輪で、正式種目になった韓国の伝統武術【テコンドー】。その流れをくむ合気道の最高位に君臨していたチー・ハンサンが、次の対戦相手。前述のイノサント戦は、役柄の上では他流派戦だったが、ハンサン戦は、スクリーンの内外ふくめ、本当の意味での【異種格闘技戦】なので、ブルースは得意の怪鳥音を封印。壮絶な【間合い地獄】と化す。今回の彼は、まさに【初代タイガーマスク】こと佐山聡みたいな動きで、相手をほんろう。【截拳道】は、【異種格闘技戦】でこそより真価を発揮できる格闘理論なので、まさに水を得た魚のように躍動するブルースは、相手との【拳質の差異】をさらに打ち出した組み手でいどんでいく。また、先述した同行者2人も加わっての複数の戦いが、同時進行してるという点も、なにげに見逃せない。

(3)カリーム・アブドゥール・ジャバールとの対戦

  NBA【ロサンジェルス・レイカーズ】の元スター選手にして、ブルースの直弟子だったジャバールが、3人目の相手。『死亡遊戯』でのジャバールは寡黙だったが、本作ではブルースと言葉を交わす様子が復元されている。色盲という設定のジャバールが、それゆえに劣勢に立たされ、それでも後に引けないといった闘志をフツフツと燃え上がらせる場面は、その時の会話あってこその相乗効果だと思う。
 また、ブルースがジャバールを介錯する時、死にゆく相手を見守るかのような【フロントからのネック・ロック】をフィニッシュ・ホールドとして使い、武道家としてのケジメをキッチリとつけてあげるといった男気にも、目頭が熱くなった。激闘の果てに、けだるい喪失感に襲われていたブルースが突然さけぶ、「ゲーム・オーバー!」というセリフは、彼の映画歴の中での最後の遺言となってしまったが、この後の彼の急死をさっすると、かなり意味深かつ不可解な【ラスト・ワード】だ。

 もし、天国にいる彼が本作を見てくれたら、いわば神秘の部分である未完成のフィルムを発表されてしまったことに対し、【映画作家】としては憤慨していたかもしれない。けれど、【格闘家】としては、逆によろこんでくれるだろうと思いたい。なぜなら、多くの格闘家や映画ファンは、「少しでも彼の勇姿を見ていたい」という夢で彼とつながっていて、その思いは、簡単に消え去るものではないから。
 【武道家】と【映画人】という2面性を、なんとか結び付けようと模索していた彼は、限りなく実戦に近いアクションを映画という虚構の世界にも定着させようと、全人生を賭けていた。立ち技系の【K−1】や総合格闘技系の【プライド】など、激動の格闘技界の中でさえ、彼の伝説は進化し続け、その遺志は確実に次世代へと受け継がれている。格闘技ブームの現在、本作を公開することは、かなり劇的な【彼の復活祭】となることだろう!。
 


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