笑の大学  ★★★☆  丸山 哲也



 語り口は軽妙で笑いどころも多く、爽やかな後味を残す作品だが、それ以上に、ズシリと重い手応えを感じた。
 この物語は明らかに、検閲や弾圧によって檜舞台から追われた多くの演劇人、映画人、作家に対する慰藉の念が込められている。
日本における戦前・戦中の検閲のみならず、アメリカにおける赤狩りや、中国における文化大革命などによって、世界中で多くの
表現者が作品を発表する場を奪われ、時には命までも奪われた。「笑の大学」は、そうした歴史的事実を踏まえ、「楽しみ、楽しま
せる」自由の素晴らしさ、その自由を守るための闘いの尊さを高らかに謳い上げている。

 カート・ウィマー脚本・監督、クリスチャン・ベール主演の「リベリオン」では、「感情」を禁じられた近未来の世界が描かれて
いる。喜びや悲しみを想起させるとして本や音楽も許されない世界は、確かに平穏ではあるが、全てが灰色の壁で覆われてしまって
いる。
 ラストでは、この世界の住人たちは笑いや涙を取り戻す。しかし、それは同時に怒りや憎しみといったマイナスの感情をも手に
するということになる。心の起伏は人間を幸福にするだけでなく、戦争や破壊という、巨大な不幸を招くこともあるのだ。
 人間にとって、果たしてどちらが住み良い社会なのだろう? 数々の悲劇と隣り合わせでありながら、同時にささやかな喜びを
多くの人々と分かち合える社会か。それとも、喜怒哀楽とは一切無縁で、退屈だがただひたすら砂漠のような静けさに包まれた社会
か。答えはおのずと明らかだろう。

 本作に登場する検閲官・向坂は、まるで「リベリオン」の世界の住人のような男だ。これまで心から笑ったことがなく、ダジャレや
冗談は大嫌い。したがって、軽演劇など軽薄で有害なものとしか思っていない。つまり、エンタテインメントとは全く縁がない人物
なのだ。大陸では多くの兵隊が血を流しているというのに、「お笑い」などもってのほか。皇紀二千六百年を迎えた今、日本民族は
一致団結して東亜新秩序を実現すべし! 向坂の頭の中にあるのは、それだけだ。
 「進め一億火の玉だ」を絵に描いたようなこの男を、しかし三谷幸喜は決して悪人としては描かない。そのことは、向坂が食べ物に
非常に敏感なことからも 
容易に窺い知れる。劇団「笑の大学」の座付作家・椿がご機嫌取りのために持ってきた今川焼きに妙に執着したり、いきなり
「世間話」と称してわんこそばの話を始めたりする向坂は、決して冷血漢ではない。ただ単に、少しばかり融通が利かないだけなの
だ。「食べることの楽しみ」を多少なりとも理解している人間が、悪い奴であろうはずがない。
 この向坂を演じる役所広司が素晴らしい。笑いを憎んでさえいた男が次第に笑いを生み出すことに喜びを見出していく様を微笑まし
く演じるだけでなく、時として「公権力の鬼」の顔を、血も凍るような迫力で見せるなど、およそ余人の及ぶところではない。

 それにしても、なぜ、向坂はあそこまで椿との「共同作業」に没頭したのだろう。彼が出した数々の「直し」の要求は明らかに
イジメである。その無理難題に椿は屈することなく立ち向かってきた。ありとあらゆる手管を使って台本の中に笑いを滑り込ませ、
懲りることがなかった。その戯作者根性に感服したのは間違いない。しかし、それだけでは冷徹な役人根性に凝り固まった向坂の心を
動かすことはできまい。そういう類いの「抵抗」を試みた作者が椿一人だけだったとは到底思えないからだ。
 恐らく向坂は、椿が「孤独」であることに惹かれたのだろう。彼は自分の背後に警察という組織、ひいては国家という巨大な存在が
あることを充分認識している。しかし、椿はたった一人だ。劇場のモギリのおばさんからは「裏切り者」「権力の犬」と呼ばれて軽蔑
され、劇団員からは殴られ罵られている。味方してくれる者など、誰もいない。それでもしぶとく孤高の闘いを挑んでくる椿の中に、
向坂は、大陸で死んでいった兵隊たちに劣らぬ「勇気」を見たのではないか。「お国のため」に銃を取るだけが全てではない。自分の
信念に従い、それを貫き通すこともまた尊いのではないかと気付いたからこそ、向坂は七日間もかけて椿の作品の直しに付き合ったの
ではないだろうか。
 決してマッチョとは言えない(むしろ優男と言っていい)椿だが、彼には「内なる男気」があった。孤独な闘いを強いられても
それをやり通そうとする意地があった。頑なだった向坂の心を動かしたのは、まさにそれではなかったか。

 最後になってしまったが、ここで、椿を演じた稲垣吾郎にも賛辞を贈りたい。私は以前から、SMAPのメンバーの中では稲垣が一番
芝居ッ気があると思っていた。CMやテレビのバラエティなどで珍妙な芝居を照れることなくやってのける彼こそ、最も芝居向きだろう
と。それが今回、見事に実証された。気弱さとしたたかさと内に秘めた頑強さを巧みに見せられるだけでなく、役者としての華も
ある。これからが楽しみな人である。

 (シネクイント他にて上映中)


  


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