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川島央子ノート
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 25 Aug. 2003
母の味


ある日の食卓
 夏休みなので歯医者に行きました。先生がひとこと、「頑丈な歯ですねぇ〜」

 私は下の歯並びが悪いのですが、歯そのものはいたって丈夫。なぜかというと、幼い頃海辺で育ち、また祖父母も同居していたので、毎日毎日海産物ばかりを食べていたせいのようです。

 お肉が食卓に上ることは本当にまれで、大抵は鰯(いわし)とか秋刀魚(さんま)とか鰺(あじ)、わかめや海苔、そしてアサリが近所で取れたのでよく食べました。

 わたしの大好物はアサリのフライ。

 ええっ?アサリのフライなんて食べたことない」というのが普通の反応です。あさりのむき身(かなり大きいもの)を3つ串に刺して、それをフライにするのですが、これが食べ出したら止まらないやみつきになる味です。

 今はむき身も高いし、大体フライになるような大きなむき身を探すのが一苦労なので、すっかりごぶさた。しかも絶対にお惣菜屋さんでは売ってません。だからこそ、アサリのフライはわたしにとって特別な母の味なのかもしれません。


 17 Aug. 2003
リローデッド


ひとなつっこいハトでした
 今は個人の生徒さんはほとんどいないのですが、夏休みになると、なつかしいお弟子さんが遊びに来たり、ちょっとした音楽上の相談に来たり、とにぎやかです。皆それぞれに成長する姿を見るのはとてもうれしいものです。これから留学する人あり、大学院で論文の準備をする人あり、仕事をしながら地道に自分の勉強を続ける人あり、大学の宿題に頭を悩ませている人あり、とさまざまですが、一生懸命音楽に取り組んでいる人は表情も生き生きとして、こういう時に、教育に携わることの幸せを強く感じます。

 話題は変わりますが、夫が御盆休みで東京にいるので、「マトリックス・リローデット」を観に行ってきました。CGの技術やアイディアもさらにパワーアップして、スピード感も断然すごく、観終わった後は多すぎる情報量を頭の中で処理しきれなくて、脳みそがショートしてしまったのでした。唯一不満な点はザイオンの場面がいわゆるハリウッドの典型、スターウォーズやハリーポッターなどと同系列に並んでしまったことかな。あとは(名前を忘れてしまったけど)キー・メーカーを捕らえている男の手下とのアクションシーンがちょっと長過ぎたことかな。まぁそれだけアクションのアイディアが豊富にあるということだから、手を替え品を替えあれだけのことができるというのはものすごいことだとは思いますけど。とにかく今から秋の完結編が楽しみです。


 8 Aug. 2003
イマジネーション


rainbow2
 先日初めてピアノ・オーディションの審査をしました。現代音楽で、しかも演奏審査を受けたのはたったひとりでしたが、若手の演奏を聴く機会が増えてきて思うことがあります。

 最近のピアノ弾きは皆難しいレパートリーを弾きこなすし、私が聴くほとんどのピアニストは、たぶん私よりずっと指も回り、頭の回転もよく、しかもよくさらい込んでいて、「ちゃんと弾いている」という印象です。

 でもいつも思うのは、「イマジネーションが足りない」ということ、ピアノを弾くことそのものに夢中になってしまって、ピアノで何をどのように表現するとのか?いうことがそもそも欠落しているということです。

 要するに演奏の核がない感じ。

 それは小さい頃からの教育に原因がある場合が多いようです。大人になるまでピアノを続け、情熱もあり、まがりなりにもピアニストになるくらいのテクニックがあるということは、小さい頃から毎日粘り強くピアノに向かい、きちんとした熱心な先生についた証拠です。

 ところが1週間に1度のレッスンでは、新しい曲は読譜するだけで精一杯です。そんな状態ですぐに、先生が「そこはフォルテで」とか「粒をそろえて」とか、あ〜だこ〜だと指示を与え過ぎ、いかにも先生が形を作ってあげて、生徒を矯正するような形で曲を仕上げようとすることに問題があるのではないでしょうか?

 確かにピアノは旋律楽器と違って、メロディーを歌うのも不得意だし、メロディーも伴奏も、時には対旋律も一人でやらなければいけないので複雑ではあります。でも、フォルテが書いてあるからといって、「そこは大きく」という注意でいいのでしょうか?なぜこの場所が大きいのか?どんな風に大きいのか?がなければ、表現は上辺だけのものになってしまいます。

 まず曲の「雰囲気」や「性格」、部分部分の「感情」や「気分」、ちょっとした「仕草」等は、楽譜に記されているものから演奏者が想像力を駆使して膨らませて行くものです。そこをすっとばして実際的な注意を直接与えるのはナンセンスです。

 例えばドビュッシーの「子供の領分」の中の「雪が踊っている」を演奏する時に、曲頭のピアニッシモにまず、雪がしんしんと降る冷たい静けさを思い浮かべること、音もなく少しずつ降り積もって行く様子を想像すること、そこからこの曲の勉強が始まるのです。実際の体験があることがもっとも近道ですし、雪を実際に見たことがない子供には写真を見せながら、お話を聞かせることで想像力を膨らませることができるでしょう。

 ドビュッシーは「イマージュ第2集」の「金の魚」を一枚の絵を見ながら作曲したそうです。素晴らしいイマジネーションだと思いませんか。作曲家が楽譜に封じ込めたイマジネーションを、演奏家は作曲家にも勝る想像力を駆使して、再び形にするのだということを、先生が生徒さんに、日々のレッスンの中で自然に教えてあげられることが理想ですね。