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はじめまして、アーティチョークサインライターの栗田貴子です。
メルマガご登録ありがとうございます。
このメルマガでは、私自身が「チョークアート」というものに出会い、チョークアートが一体どういうものなのか、
またチョークアートを仕事にするまでの自分の日記をベースにコラムとして公開していきます。
私はなぜこんなにチョークアートに拘るのだろう?と自分でも時々不思議に思うことがありますが、
私のすべき事と信じて今後もこの仕事をずっと続けていくつもりです。チョークアートに限らず、
何か新しいことを始めたい人、自分と仕事について深く考えてみたい人にも共感してもらえる内容だと信じています。
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さて、私がチョークアートに出会ったのは、かれこれ10年前になります。
オーストラリアのNSW州にあるワガワガという人口5万人の小さな町に居た頃です。
私の黒板という概念を覆すような鮮やかな色、黒板に絵を描くという発想。すべてが新鮮でした。
半年後、私はブリスベンにいました。ゴールドコーストまでは車で30分。海沿いにあるカフェやレストランは、
とてもおしゃれでリゾート風のホテルが立ち並んでいました。そして、そこにもあったのです。
ショッピングモールの中のデリやカフェ、フィッシュ&チップスのお店の看板に、あの色鮮やかなチョークアートが!
おもわず見とれていました。それから、看板というものに強く惹かれ、自分の創作意欲が掻き立てられるような気がしました。
私は美術系の学校出身ではありません。子供の頃から絵を描いたり物を作ることが大好きだったのに、
なぜ親は私をそのような学校に行かせなかったのかと疑問に思うときがあります。
そうしたら、今ごろは!!!と考えるときがありますが、そうしていたら、恐らくチョークアートには出会っていませんでした。
だから、コレでよかったのです。
私の叔父は、50歳から日本画をはじめました。
そして、日本画家になりましたが、私がチョークアートを習いに行く前に癌で亡くなりました。
家の襖には、叔父の描いた日本画があり、他にも墨絵などのたくさんの絵がありました。
子供の頃は、怖い絵だな(龍の絵やお面など)としか思わなかったのですが、今改めて叔父の作品を見てみると、
その素晴らしさが分かるようになった気がしました。
話は変わりますが、日本でカフェラテやカプチーノが一般的に飲まれるようになったのは一体いつ頃からでしょう?
恐らく、私がOLをしていた頃はまだブレンドかアメリカンしかなかったような気がします。
コーヒー自体もあまり飲まなかったようにおもいます。
カフェという言葉が一般的に使われるようになったのもこの6・7年ではないでしょうか?
この文化が日本に浸透してくることで、私のチョークアートに対する考えが少しずつ変わってきました。
「これは、仕事にできるぞ!」と思ったのです!
そう考えると、何だか自分の中で自分以上の力が出せるような気がしてきました。
次号へつづく
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2004年10月
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アーティチョークサインライターの栗田貴子です。
第1回目はメルマガの書式に慣れず、読みにくかった方がいらしたのではないかとおもいます。
すみませんでした。スペーシングを取りながら読みやすいメルマガに改善していきたいと思っています。
ご意見・ご感想などがありましたら、ホームページからメールをいただけると嬉しく思います。
それでは!「好きなことを仕事にする-チョークアートに出会って-」の第2号お送りします。
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チョークアートを学ぶために再渡豪を真剣に考え始めたのは、2000年の夏でした。
第一関門として、両親を説得し、今勤めている会社を辞めなくてはならなかったので、自分なりにこの仕事を始めた場合の
「長期事業計画」を立てました。その頃の資料を見返すと、初心に返る気がします。
事業計画書など書いたことのない自分が、ビジネスモデルや市場について調べたり、お金のことについての本を読んだり、
インターネットで調べたり、とにかく残業もせず会社から帰ってきては毎日毎日慎重に準備を進めました。
会社勤めをしていた私がはじめての留学を決意したときも親にはぎりぎりまで内緒で準備を進め、学校や資金など、
すべての目処が立ったところで会社の上司に相談し、退職を告げたその日に親にすべてを話しました。
なので、今回も強行突破というわけにはいかず、自分のチョークアートに対する情熱や、仕事に対する考え、
さらに自分自身のことを親に理解してもらい、応援されて渡豪したいと思っていました。そのために思いを文章にまとめました。
内容はこのようなものでした。
私は短大を卒業後、事務の仕事をしてきました。その後留学を経験し、念願の英語を使う仕事に就いたのですが、
会社という場所に所属する人間ではないと常日ごろ感じていました。今までの人生の中で、私がした決断の方法は、
「これだったら出来るだろう」、「これだったら無難だろう」という基準でした。
高校も短大も、自己評価を下げて安全圏で進める学校を選んできました。就職についても同じでした。
何がやりたいのか、 調べたり、考えることもせず、お給料や会社の名前で、これならいいだろう!と決断してきました。
そして、それがついに行き詰ったような気がしました。今までの自分の生き方を打ち破って結果を出せば大きく成長できると思いました。
月並みな言い方ですが、自分の力を試してみたい!と思ったのです。
後日、母親に渡豪について話しました。こんなに考えていたにもかかわらず、あっさりと「行ってくれば?」と言われ、
がっかりしたような、でも理解ある両親に感謝すべきだと思いました。
会社に退職届を提出し、大使館に半年の観光ビザの申請を行い、何の資料も見つからないままでしたが、現地へ着けば
チョークアートに関する本や学校があるだろうと楽しみにしていました。
そして、とうとう2001年1月10日にオーストラリアへ。計画は順調に実行に移されました。飛行機の中では興奮気味で、
眠れずシドニーへ到着しました。
次号へ続く
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2004年10月
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アーティチョークサインライターの栗田貴子です。
不定期ながらも、月に2度を目標にメルマガを配信しています。
それでは、「好きなことを仕事にする-チョークアートに出会って-」の第2号お送りします。
日本を出発したところから始まります。
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乗り継ぎでかなり疲れていたにもかかわらず、空港へ到着したとたん元気が出てきました。
シドニーは5年前に来た時とはかなり変わっていました。オーストラリアはいつ行っても、変わらない良さ
がありましたが、さすがに都会は違う。オリンピックのせいだろうか?物価も上昇しているように感じました。
人々は皆携帯電話を持っているし、ネットカフェやフォンカード(※1)など、以前留学していた頃とは全
く異なり、すべてが便利になっていました。
まず、日本を離れる前に連絡をしていた学校があったので、そこへ電話をし、チョークアートについて問い
合わせしました。これが唯一の手がかりでした。5年前に、チョークアート教室という週一回2時間、3ヶ
月のクラスというのがあったので、そのようなクラスは今あるのかどうか聞いたところ、メルボルンにあるらしい
という情報を聞き、調べて早々に申し込みをしました。5年前に前に申し込んだときは、人数が集まらず
開講されなかったので、今回こそは!と祈るような気持ちでいました。
その教室が開講するまで約一ヶ月半、それまでにメルボルンにたどり着けば良いと考えると、時間はたっ
ぷりあったので、それまでシドニー中のカフェやレストランを回り、チョークアートの写真を撮影しようと考えま
した。はじめのうちは、カプチーノを一杯飲んで、その後メニューボードを撮影しても構わないか?と断り、
許可を得て撮影をしていました。それが、一日に何件も回ると、そろそろカプチーノも飽きてきて、何もオ
ーダーせずに写真の許可だけもらい撮影をすることもありました。中には、何故うちのメニューボードを撮
影するんだ!何に使うんだ!と言われ、説明しても撮影させてくれなかった店もありました。
あなたは何人?といわれ、日本人は好きじゃないから、という理由で断られたこともありました。
街の画材屋を回り、店員にどんな材料を使用しているのかを聞いても、おそらくパステルだろうという事し
か分かりませんでした。大きな画材屋の殆どは、サバーブ(※2)にあり、車の無い私は電車に乗り、バス
を待ち、バスに揺られて、歩いてやっとたどりつくような場所ばかりでした。本屋や図書館へチョークアート
に関する文献を探しに行っても、どこにも引っかかるものが無く、私の中に少しずつ暗雲が立ち込めてき
ました。「チョークアートってこんなにあるのに、一体どこにその情報があるのだろう?」と悶々と考えていま
した。
絵画教室のような場所を回り、聞いても、チョークアートはやっていないという答えが殆どでした。
ある日、懲りずに絵画教室に電話をかけていると、一人のアーティスト(絵画教室の先生)がチョークア
ートを教えてもいいという答えをしてくれました。早速、そのアトリエを訪ねてみると、先生がいました。
年は60歳くらいの男性でした。生徒は皆帰った後のようで、中はシーンとしていました。アトリエに入る
と、そこには女性のヌード画が沢山ありました。というよりも、あたりを見回してもヌード画しかありません
でした。私は逃げるように帰りました。
ある日、駅近くのカフェにあったチョークアートを見つけ、店員に、これはどこで作ってもらったの?と聞く
と、「あー、これはコカコーラが作ってくれたんだよ!」と答えが返ってきました。コカコーラ?確かに
、コーラの絵が描いてあるけど、コカコーラがこんなものを???よく聞くと、コカコーラがスポンサーで、
看板屋に描いてもらったということでした。なるほど、看板屋か。
その日から、シドニーの看板屋を電話帳で調べ、片っ端から電話をかけました。当たり前ですが、チョー
クアートを扱う看板屋はあっても、私を相手にしてくれる看板屋などはありませんでした。怒りを覚えな
がらも、就労ビザをもっていないので、表立って働くことはムリですし、今まで看板などの経験もない日
本人の女性、突然やってきて、技術を教えてくれと言っても相手にとってはなんのメリットもありませんし、
その辺は理解していました。ただ、情熱を分かってもらえず悔しいという気持ちでいっぱいでした。
ここはとりあえず、看板屋でひとつチョークアートをオーダーしてみようと考え、シドニーのある看板屋に
電話をしました。見積もりは、幅1メートル、高さ70センチのもので大体、A$(※3)300〜400とのこ
とでした。フレームをつけるなら、50ドルくらい高くなるとのこと。待てよ、その値段だったら、教室の受
講料以上だ。と思い考え直しました。
そうこうしているうちに、一ヶ月近くが経ちました。そういえば、メルボルンの教室はどうなっているのだろ
うか?人は集まっているのだろうか?メルボルンまで移動してよいものだろうか?シドニーからメルボル
ンは約1100kmあります。飛行機は高いので、電車かバスです。
そろそろチケットを取らなければ。。。結局チョークアートが一体何なのかわからないまま、時間が過ぎ
ていきました。
次号へ続く
※1:テレフォンカードは、テルストラという会社(日本で言えばNTTのような)が出しているカードしか
なく、国際電話はそれまで高いものでした。オーストラリアは、市内電話40セント(約35円)で時間
制限なし。現在は、安いフォンカードを使用すると、日本までの国際電話は、夜間などではA$10の
フォンカードで1時間以上話すことが出来る。
※2:サバーブとは郊外の意味です。大きな会社はシティ中心部にありますが、それ以外の会社や、
工場、大型店舗などは主に郊外にあり、車でなくてはいけないような不便な場所にあることが多い
です。
※3:オーストラリアドルは現在約81円(80円から85円の間と考える)
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アーティチョークサインライターの栗田貴子です。
不定期ながらも、月に2度を目標にメルマガを配信しています。
それでは、「好きなことを仕事にする-チョークアートに出会って-」の第4号お送りします。
シドニーに到着して約1ヶ月が経つところから始まります。
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以前にメルボルンに居たという友達に電話をかけ、メルボルンの看板事情を聞きました。
看板など、皆が気に留めるような存在ではないため、情報は得られませんでした。
でも、メルボルンはおしゃれな都会で、芸術なども盛んな場所であると聞き、メルボルンへ
出発することを決めました。
メルボルンへは電車で約10時間。オーストラリアの電車は快適で、乗り過ごすことさえなければ、
窓からの風景を見ながらのんびりと旅ができます。1月26日、最終日のシドニーで何か収穫を
得ることができないか考えていました。しかし、今日は※1オーストラリアデー(オーストラリアの祝日)。
カフェやレストランはもちろん空いていないし、本屋も画材屋もすべて閉まっています。
しかし、※2.バックパッカーズにいても意味がないので、閉まっているお店にチョークアート看板が
無いかフラフラとでかけました。すると、以前に断られた店の店内のチョークアートが窓越しに見える
ことを発見し、ガラス面にへばりついて一生懸命写真を撮ろうと苦戦していたところに。。。
ここで何をしているんだ!と警備員に声をかけられ怪しまれました。しかし、事情を話しはじめると、
祝日で警備員も暇だったらしく、私の話を聞いてくれ、だったら、もっと撮りやすい場所があるよ!
と教えてくれました。警備員さんの身の上話や、中東から来た移民らしく、差別の話や暮らしぶり
など沢山の話を聞きました。そして、「何事もやってみなければ結果は出ない!」と応援され、
なんだかとても気分が良くなりました。
その日の夕方、メルボルンへ出発しました。10時間後にはメルボルンだ!と言い聞かせ、
電車に乗り込みました。となりのニュージーランド人はとてもフレンドリーでした。1時間ほどして
、リラックスしてきたころに、どこからともなくプーンと嫌な臭いが私の周りを囲みました。
なんだこれは!となりを見ると、彼が靴を脱いで眠っていました。なんて臭いんだろう・・・
彼の靴の臭いも慣れた頃、突然電車が止まり、車内アナウンスが流れました。線路の異常を発見し、
ここから先進むことができません。この電車はAlburyで運行を停止しますので、バスに乗りつぎしてください。
バスが嫌だから高いお金をだして、電車に乗ったのに。文句を言いたくなりましたが、
皆おもったよりも文句を言いません。夜中に起こされて、寒い駅で待たされて、バスに乗り換えて、
予定を大幅に遅れて到着するというのに・・・まあ、文句を言っても仕方ない。
わたしは、留学時にこの町の近くのワガワガという町に住んでいたので、そこに何日か滞在しようかと
満点の星をみながら考えていました。
そうこうしているうちに、バスが来て乗り込むこととなり、予定通りメルボルンへ向かうこととなりました。
朝になり、ようやくメルボルンへ到着。着いてみると、ここは綺麗な街。道も広くてきれい。
シドニーで撮った写真をまとめて現像に出しました。(この頃はまだデジカメではありませんでした・・・)
350枚ほど看板の写真が撮れました。次の日、朝からセントキルダ周辺にカフェ看板を探しに行きました。
沢山カフェがあるのに、チョークアートが一枚も見つかりません。帰りにシティモールのフードコートで1枚あっただけでした。
イエローページをみて、看板屋を探すと、たくさんあるのにチョークアートがない!なぜ???
こうなったら、メルボルンのTAFE(国の専門学校)で開講されるであろう教室に期待するしかないと思いました。
しかし、何度電話をしても、生徒が規定人数に達していませんという回答。「一体何人必要なんですか?」
「7名以上必要ですが、応募しているのはあなただけです。」「私が7人分払えば教えてもらえますか?」
そんなやり取りを何度かしましたが、それは無理ですと断られました。
これも期待できそうに無いことがわかり、なぜかここにきてホームシックになりました。
家族の声を聞きたいとおもい、実家に電話をかけました。家に電話すると、父親が出ました。「何か用?」えっ?何か用って。。。
お母さんいる?と聞くと、出かけているとのこと。じゃ、またかけるね。といって電話を切りました。
こんな孤独を感じるのは初めてでした。
その日、はじめて滞在期間中に映画を見ました。今日はチョークアートのことは忘れよう!とおもい、
立ち止まった映画館でやっていたのが、ビョークのDancer in the Darkでした。この映画の内容を全くしらず、
ただ日本では感動する!と宣伝されていたので見てみよう!とおもい、中へはいりました。
内容はものすごく重く、暗いストーリーで、さらに落ち込んでバックパッカーズズに帰りました。
新しいバックパッカーズは最悪で、私の上のベッドに寝ている(2段ベッドが4台ある部屋)イギリス人女性はワキガでした。
でもとてもフレンドリーで、私の名前をキャキャコーと呼びました。私のしている事に興味があるらしく、
よく話しかけてきます。しかも彼女は、寝るときは何も着ず、真っ裸で寝るのです・・
・あー、はやくメルボルンを抜け出したい。と、TAFEからの連絡を待ち続ける日々が続きました。
数日後、TAFEから、人数が集まらず開講しませんという連絡が来ました。そろそろほかへ向かわねば。。。
メルボルンは私と相性がよくないようでした。
次号へ続く
※1.1788年1月26日初代総督アーサー・フィリップ率いる英船団が、流刑囚778名、海兵隊とその
家族約700名を連れて、ポート・ジャクソンに現れ、本格的な入植が始ました。これが現在の「オーストラリア・デイ」となっています。
※2.バックパッカーズズとは、外国に行くとバックパッカーズズとかゲストハウスという名前の宿泊施設が
たくさんあって安く旅行するにはすごく便利です。素泊まりで安く快適で、オーナー、お客さん同士コミュニケーション出来るような宿です。
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アーティチョークサインライターの栗田貴子です。
「好きなことを仕事にする-チョークアートに出会って-」の第5号お送りします。
チョークアートの情報が得られると、大きな期待して行ったメルボルンに失望して、シドニーに戻るところから
話がはじまります。
!N E W S!
アーティチョークサインライターのチョークアートが柴田書店の「カフェスウィーツ」(3月5日号)に紹介されま
すので是非ご覧下さい。
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メルボルンを離れる最終日、ギリシャ人街でチョークアートの看板をさがしていました。そこに私が今まで見
た中で、最も素晴らしいチョークアートがありました。メルボルンに来て、メニューボードの写真を撮るのを断
られ続け、また断られるのでは。と、怯えながらチョークアートの話をすると、写真撮影を快諾してくれまし
た。最後の最後に、とてもよい写真が撮れ満足してメルボルンを出発しました。
シドニーに戻ってひと段落、外に出でると、チョークアートがちらほらあって、まだ見ていないものがあることに
気がつきました。ここでは宝探しをしているみたいに、次から次へと色んな絵が見つかるので、なかなかシド
ニーを立ち去ることができません。しかし、シドニーにはまた帰国前に戻ってこられるので、そのときに気の済
むまで居ようと言い聞かせ、ユースホステルに一泊して疲れをとり、すぐにブリスベンに向かいました。14時
間の列車の旅、目を覚ませばブリスベン。期待が膨らみました。
翌朝、ブリスベンに到着し、日本を離れる前から連絡を取っていたTAFE(専門学校)の事務員の女性ク
ラウディアに、ブリスベンに着いたことを伝えました。彼女は、私がチョークアートを学ぶ事に対してとても協
力的で、とても親切な人でした。彼女とは面識はなかったのですが、電話で何度も話していたため、知り
合いのような感覚がありました。ブリスベンTAFEのアダルトスクールにはチョークアートのクラスがあるのです
が、そこもメルボルンと同様、人数がある程度集まらないと開講しませんでした。結局こちらもぎりぎりまで
待ちましたが、開講されませんでした。
その間に、ブリスベンの絵の教室や看板屋を回り、チョークアートを教えてもらえそうな人がいないか、さがし
たものの大きな収穫はありませんでした。
誰でもいいから私にチョークアートを教えてー!そう思いながら、とにかく会う人会う人に聞きくようにしまし
た。人から情報を得るしかない。知り合いも居ないのだから、カフェの店員さんに、本屋さんで、画材屋さんで、
ニューススタンドで、マクドナルドで隣の席に座ったおじさんに・・・皆、口をそろえて、あれは
vocational(職業上の技術)なものだから、一般に習うことができるのかわからないと言います。
ある日、イエローページを片手に公衆電話を陣取って電話をかけていると、後ろの人の視線を感じました
。「先にどうぞ」と言い、イエローページをめくっていると、「何か探しているの?」と話しかけてきました。
事情を話すと、力になれるか分からないけど、知り合いが画材屋をしているからといって、電話番号をくれ
ました。つくづく、オーストラリア人は優しいなーと思いました。
画材屋さんにも行ってみましたが、やはり分かりませんでした。 ある日、ClaudiaにTAFEのチョークアート
の先生を紹介してもらい、個人的に教えてもらえばいいんだ!そう思い、電話をかけました。電話番号を
教えてもらえたのですが、先生に電話すると、「TAFEの専任講師をしているため、個人的に教えることは
できない」と言われ電話を切られてしまいました。翌日に再度電話をかけ、会って話を聞いてもらえないか
と話しましたが、会ってもらうことができませんでした。頼れるのはこの人しかいない!どうにかしてチョークア
ートに対する自分の情熱を分かってもらえないだろうかと、その日の夕方、電話をもう一度かけました。
そして、言うことを考えてまとめておいた原稿を片手に、ほぼ一方的に読み上げた後、先生がいいました。
「私の弟子がいるから、その人から教えてもらうようにしよう。電話を待っていなさい。」
やった!これでチョークアートが何なのかが分かる!嬉しくてたまりませんでした。
それから、電話を待ちましたが、数日間連絡はありませんでした。
心配になりながら、チョークアート探しをつづけました。その日は、遠出をしようとバスに乗り込み、ゴールドコ
ーストの南にある町を目指していました。バスの中で、携帯が鳴りました。バスの中で話すと、声が聞き取
りにくいので、きちんと話ができないと思い、すぐにバスを降りました。
電話の声はとても感じの良い女性で、チョークアートの事について話してくれました。
しかし、チョークアートの事について全く分からないのと、専門用語が聞き取れず、どういうことを言っている
のか分かりませんでした。しかし、彼女の経営する看板屋を訪れることとなり、場所を聞きました。
看板屋はブリスベン南部の住宅街にありました。
とにかく、これで先生を見つけることができた!と、嬉しさのあまり、バス停で大きくガッツポーズをしました!
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アーティチョークサインライターの栗田貴子です。
「好きなことを仕事にする-チョークアートに出会って-」の第6号お送りします。
ブリスベン市で看板屋を営むフランシスと出会い、いよいよ彼女の経営する看板屋を訪れます。
!N E W S!
栗田貴子著、日本初のチョークアート本が2005年5月発売予定です。お楽しみに!
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私は、オーストラリアに滞在するたび太ります。そして今回も例外なく・・・と思っていたところ、逆に痩せ
ました。今回は、旅行者でもなく、学生でもない仕事につなげるための旅だったからなのか、とにかく1
日1日が貴重で、焦りを感じたまま数ヶ月が過ぎていました。
お金も、画材や滞在費で思った以上に費用がかかり、あと何ヶ月滞在できるだろうかと心細くなってい
たからかもしれません。
私のストレスの原因は、宿泊していたバックパッカーズにもありました。毎晩のように、人が出入りして夜
通しのパーティです。ある晩、疲れて眠りたかった私は、怒りが頂点に達し、同室の女の子と数人で
※1.コモンルームに怒鳴りにいきました。あの時の皆の驚いた顔、思い出すとおかしいです。
私はストレスが溜まったときにすることがあります。それはジョギングです。私は、ジョギングをすると無心に
なりストレスから開放されます。この日も、そんな焦りからストレスを感じ、朝6時におきてジョギングにいき
ました。暑い中、無心になって走っていると、いつの間にか迷っていました。かなり遠くに来たようで、さっぱ
り分からないエリアです。お金を持たずに出てしまったので、水も買えず、タクシーにも乗れず公園の近くで
休憩をしていると、おじいさんに話しかけられました。そこでおしゃべりをしていたら、おじいさんが車で送って
くれるというので甘えさせてもらいました。
フランシスの経営する看板屋には、一週間後に行くこととなっていたので、3日後にゴールドコーストを離
れることにしました。ゴールドコーストのチョークアートの写真を撮り忘れているものがないか、最終チェック
して、ブリスベンに向かいました。バックパッカーズの友達とは、ケンカもしたけど、皆私のしている事に協力
してくれ、最後は皆で食事に行き、見送りに来てくれた時は涙がでました。怒鳴ってごめんなさい。
ブリスベンにやってきて、また一人。新しいバックパッカーズは大きくてホテルのようでした。ブリスベンは留学
時に滞在していた場所なので、懐かしくなりました。昔通っていた学校を見に行った私は、驚きで思わず
立ちすくみました。学校がなくなっていました。大変な思いをして卒業した学校が無いなんて、寂しい限り
です。ブリスベンのチョークアートを探しながら、数日が過ぎ、いよいよ明日はフランシスに会える日!明日
色々な事が分かる!何だか興奮して眠れませんでした。
朝、早く起きてバスを2回乗り換えて1時間半、ブリスベン南部の住宅街にたどり着きました。フランシス
がバス停で待っていてくれ、中に入って挨拶をしましたが、興奮と緊張で何を話しているのか、自分でもよ
くわかりませんでした。
彼女は私より年下で、夫婦で看板屋をしています。家のガラージがアトリエとなっており、階段を上がると
オフィスのようになっていました。旦那さんは、グラフィックデザインをしているそうです。
お茶をしながら、チョークアートの話、看板の話をしていると、もう一人女性が現れました。彼女は、看板
製作の手伝いをしているようで、チョークアートにも興味があり、彼女と一緒に絵を描きました。
彼女は、チョークアーティストになりたいと言っていました。日本にも興味があるらしく、日本にチョークアート
はないのか?日本でどうやって仕事にするのか?何で興味を持ったのか?などなど、質問攻めにあいま
した。
見るもの全てが新しく、アトリエの写真を撮ったり、作業風景を記録したり、質問したり、とにかく一日が
終わりました。一日中、集中して英語で聞いて、英語で答える。当たり前ですが、頭がとても疲れて夕
方にはフラフラしてきました。バスに1時間半揺られ、ブリスベン市内に戻りました。
私は、ドミトリーという4〜6人が一部屋に寝泊りをするタイプの部屋に泊まっていました。画材を広げた
り、スプレーをしたりすると、同室の人に迷惑だし、皆ホリデーで来ているので、楽しい雰囲気を壊してしま
うような気がしていました。コストは倍以上かかりますが、B&Bという朝食のついた小さなホテル
(日本で言えばペンションのような)に移動しました。
一人部屋にたどり着いた私は、心からほっとして眠ることができました。バックパッカーズなどでは、大切な
カメラや、その他貴重品が盗まれたりすることがあります。部屋を離れるとき、外出中も心配が付きまとい
落ち着きません。部屋にこもって絵を描きつづけました。はじめからうまく行くわけがないのですが、疑問を
早くフランシスに聞きたくて、ノートにメモしながら自分なりに絵を描いてみました。
次号につづく
※1.コモンルーム バックパッカーズには、4人から6人部屋がいくつかあり、コモンルームとは共有する
リビングルームを指します。
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アーティチョークサインライターの栗田貴子です。
「好きなことを仕事にする-チョークアートに出会って-」の第7号をお送りします。
チョークアートを教えてくれるフランシスに会い、彼女の仕事場でチョークアートに触れるところから
はじまります。
!N E W S!
栗田貴子著、「はじめてのチョークアート」はMPC出版・アマゾン・セブンアンドワイ・などでもご購入
いただけます。好評発売中です!
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チョークアートに触れることができた私は、嬉しくて毎日部屋で絵を描き始めました。
オーストラリアでは、画材が高く、日本で買うほうが安いものもたくさんあります。本なども高価なため、
オーストラリアの本屋で見て、欲しいと思った本は、直接帰国時までに日本に届くようにAmazon.com
で注文しました。こうすると、持ってかえる手間もかかりませんし、値段も安いのです。こうして頼んだ洋書
の数は10冊以上になりました。現地でしか買えない古本なども含めると、本は20冊近くになりました。
ある日、テラスでフランシスの手伝いをしているニナ(仮名)とコーヒーを飲みながら、私が今までオースト
ラリアを旅して撮った写真をニナに見せていたら、彼女はその数におどろいて、「この写真のネガ全部貸
してもらえない?」と言ってきました。
これは自分の足でまわって苦労して撮った写真で、コピーは遠慮したい・・・ということを説明していると、
彼女の顔色が変わって、「なぜ?」と嫌悪感を持ったような表情をしていました。
私が困っていると、フランシスがそれを聞いて、「貴子が一生懸命撮った写真を簡単にコピーするのは
良くないわ」とぴしゃりと彼女に言ってくれたので助かりました。
フランシスは、オーストラリア人にはめずらしく(?!)とても仕事が丁寧で、細かいことが得意な人で
した。アトリエもきれいに片付けられているし、壁に貼ったボードは、汚れないようカバーで覆われてい
ました。私は彼女が持っているもの、使っている工具、仕事の仕方、オフィスの中、パソコンのソフト、
彼女の持っている本、すべてに興味を持ちました。その中で一番興味を持ったのがカッティングプロッ
ターでした。
カッティングプロッターとは、看板屋なら持っている機械で、カッティングシートという粘着シートをカット
する機械です。業務用のとても高そうな機械だったので、あまり触ることはありませんでしたが、私も
日本に帰ったら、この機械を手に入れなくては!と思いました。彼女が使っているメーカーのものと
同じものが欲しかったので、販売店に行き、さらに詳しい機能や、価格、日本での代理店などを
聞きました。
看板屋では、カメラとメモは欠かさず持っていました。ビデオを持っていないので、動画は撮れませ
んでしたが、彼女の言ったこと、彼女が口にした工具の名前、材料の名前はメモして、あとから調
べました。
自分の描いた始めての絵はホットドックとフレンチフライ・ハンバーガーでした。今、その絵を見ると影
の位置がめちゃくちゃになっていることに気がつきます。絵は独学で、感覚で描くことが多かったので、
「これは絵もきちんと習わなくては!」と、自分に必要なやるべきたくさんの事に気づきました。
宿に帰っては、絵を描き、看板屋の材料を販売している店をまわり、日本に送れる手配をしたり、
相変わらず町の中にチョークアートがあれば写真を撮り、毎日が過ぎていきました。
フランシスのチョークアートは、ドライパステルを使用して描くものと、オイルパステルを使用して描く
2つのタイプのチョークアートを描いていました。ドライパステルはかなり高価なパステルを使用して
いたので、私には手が出ず、オイルパステルを主に使っていました。しかも、ボードは塗るタイプで
はなく、ブラックボードシートのようなものを板に貼って描いていました。オーストラリアでは、このブ
ラックボードシートが手に入りますし、簡単に貼れ、表面が綺麗なので、最近の看板屋は皆この
タイプを使用していると言っていました。
ブリスベン市内のホームセンターには、毎日のように通っていたので、店員さんにも顔を覚えられて
しまいました。この日本人の女性は一体何をしているのだろう?という目で見られながらも、質問
をぶつけると、熱心に色々なことを教えてくれました。オーストラリアのホームセンターはとにかく規模
が大きく、家が一軒建てられてしまうのではないかというような品揃えです。ホームセンターは朝6
時頃から開いているところもあり、5時に起きて朝一で行ったことがあったのですが、ちゃんとお客さ
んが居て驚いたことをおぼえています。それ以上に、その時間に防具マスクや塗料を買っている自
分がおかしくてたまりませんでした。
その後、何度か描いてみても、自分の思ったようなタッチの仕上がりにならず、色々な画材を試して
みました。目新しい画材を見つけては買って試す。結局オーストラリアに居る間には、納得のいく画材を
探し出すことができませんでした。看板材料屋は、基本的には業者向けで、画材屋の脇の階段
を下りていくと、地下の倉庫に商品が並んでいるといった感じのお店でした。日本人の女の人が一
人で降りていくと、「???」と不思議な顔をされます。ここの店員さんにもお世話になりながら、
色々なことを教わりました。そして、日本にチョークアートを広める私の夢を応援してくれる人たち
でした。
画材を少しでも安く買うために、学校に卸している業者を見つけ、電話をしたら、フランシスが使
っている高価なドライパステルのセットが安く買えると知って注文をしました。電話で注文をして泊
まっている宿に届けてくれるとのことだったので、楽しみに待っていましたが、届いたものが注文した
ものと違うものでした。Kevin(仮名)は、” It’s a language thing.” などといって、いかにも私の英語
のせいだと言いたげでした。いや、絶対に私は間違えていない・・何度も繰り返し確認したのに・・・
しかし、ぐっとこらえました。
明日は、Morning side (地名)のTAFE(専門学校)でエアブラシのエキスポがあるとのことなので、
フランシスと一緒に行くことになりました。
次号につづく
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a r t i c h a l k s i g n w r i t e r
■ A R T I C H A L K S I G N W R I T E R ■
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アーティチョークサインライターの栗田貴子です。
「好きなことを仕事にする-チョークアートに出会って-」の第8号をお送りします。
前回よりかなりの時間が経ってしまい大変申し訳ありません。
!N E W S!
9月19日(祝)より25日(日)まで、横浜市港北区太尾町295(大倉山)カフェラプティフルールにて、
日本チョークアート協会の個展が行われます。お時間がある方はぜひいらしてください。
期間中毎日おりますが、時間帯によってはいない場合もあります。
気軽に声をかけてください。
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フランシスにモーニングサイドという町にあるTAFE(国の専門学校)で開かれているエアブラシの
展示会に誘われ、一緒に見に行くことになりました。
エアブラシは以前から興味があったのですが、縁の無いものだろうと考えていたので、
とりあえず勉強と思い、見に行きました。バイクのオイルタンクや、車にエアブラシのイラストは
看板屋でおこなうことが多く、注文が入ることもありました。
ドクロや裸の女性のイラスト、クロコダイルなどのイラストが多く、何故エアブラシには、こういう
グロテスクなタッチのイラストが多いのだとうと不思議に思いながら、眺めていました。
奥のほうで、人の体全身にエアブラシで絵を描いているアーティストがいました。
体が迷彩色に塗られているのですが、どうみても芸術的ではありません。
オーストラリア人の感覚がわからない・・・
アーティストの人々はみな、体のどこかに刺青をしているし、髪の毛も長い。何だろう?この共通点は?!
エアブラシは、コンプレッサーがないとできませんし、道具などもかなり高価なものです。
マスキングをしながら、グラデーションを出して絵を描くところはチョークアートに通じるものが
ありますが、細かいですし、技術と道具もよいものをそろえていないと最高のものは仕上がりません。
エアブラシのショーの会場で、フランシスは忙しそうに色々な人と話をしていました。私は、一通り見て
外へ出て、学校の中を歩き回りました。「あー、また学生になって看板の勉強がしたいな」
オーストラリアには、看板やさんになる専門の課があります。3年間も看板のことを勉強します。
学校の庭はとてもきれいに整備されていて、公園のようになっています。外のほうが風があたって気持ちいいので
ベンチに座って、本を読んでいたら、いつの間にか眠ってしまいました。
フランシスが探しに来て、起きましたが、2時間近く眠っていたようです。
ブリスベン市内に帰ってきて、その足でホームセンターへ行きました。
いつものおじさんが、接客をしてくれます。「今日はどんなことを習ったんだ?」
そんな会話がとても楽しくて、ついつい何も買わないのに、ホームセンターに通ってしまいます。
次号につづく
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