任国外出来事
11-2 土木施工 chipinge
1)出発
本来の出発は12月24日であったが、20日にハラレに上がってから一応もう一度reconfirmをしておくにこしたこと無いと思いサリーちゃんのところに行ったところ、突然フライトが無くなったと言われた。やはり悪名高きエアジン。更にサリーちゃん注1)のところもクリスマスホリデーだから明日の午前中で休みに入ると言われた。フライトを替える為には今までのチケットが必要との事。この時点でK注2)がブラワヨから上がっていなかったので、さあどうしようと急いでKに電話をかける。猶予は明日まででブラワヨから上がってくる為にはすべての準備をして、最低でも今日の夜行に乗らなくてはならない。もし巡回に出かけていて捕まらなかったら任国外が早くも終わってしまう。
電話をかけると偶然にもいた。「早く上がって来い!」と言うが、最初はKも事態がよくの見込めてない様子。とにかく明日の午前中までチケットを持ってハラレに上がるようにせかして言う。それから別の飛行機を探すべく旅行の日程を調べ直す。同日にナイロビ経由の飛行機を見つけたが、一応ケニヤ注3)。事務所にお伺いをたてるがあえなく玉砕。仕方無く調べ直すと1日ずれて25日発で見つかった。
まあKも翌日無事着き手続きが出来たので任国外に行ける事になったが、結局エアジンが飛ばない理由はクリスマスだからという理由だとの事。そんなの100年も前から解っていることなのに。
注1 当時協力隊員がよく利用していた旅行代理店のおネエちゃん
注2 一緒に任国外旅行に行った野球隊員K・K君
注3 ケニヤは危険という事で任国外旅行立入禁止でした。
2)ダイビング
タンザニアにて、ダイビングの免許が三日で取れるということでチャレンジしてみた。自分とK、それと同期のザンビア隊理数科教師Yっち。同じザンビア隊11-1Nさんの紹介のダイビングショップを使用した。一応320US$が300US$に値下げ。
Nさんの紹介では、自分達は「タフ」な奴らだから3日でも大丈夫だということになっていたらしかった。インストラクターはクラウスというドイツ人で元軍人。この「タフ」という言葉に敏感だったらしい。「タフ」と紹介されてしまったばっかりに、必要以上に厳しく指導されたらしい。1日12時間拘束されて、なぜか2日で免許を取らされた。
初日が1月1日。朝日を見ながら初泳ぎをするということで、朝7時頃から海辺で泳いでがっつりと疲れた後、ダイビングスクールに行く。初端はやはりプール講習、これを10時過ぎまでやらされ、その後ダイビングのビデオを見されられた。もちろん英語で何を言っているのかようわからん。それからテスト問題。これも単語に苦しむ。海に行き始めたのは午後2時過ぎ。ポイントまで船で行ってそこから2ダイブ。
2日目は前日にニューイヤーということで夜遊びに出かけ、寝不足のまま昨日と同じメニュー。疲れてたのか発熱して体がきつい。プール、ビデオ、問題とこなし、やはり海に出かけたのは2時過ぎ。ポイントに着いたら、この日はまずシュノーケルを付けて船の周りを顔を上げずに10周泳げとのこと。これは「タフ」のしごきなのか?それからコンパスの使い方や泳ぎながらのタンクの取り外し。これもなんかしつこい。これも「タフ」だからか?海は多少波が高い。日が陰っていて寒い。それから2ダイブ。2ダイブ目なんて5時半頃でめちゃくちゃ寒い。しかも暗くて良く見えない。みんなとはぐれたらもう方向がわかんなくなって死んでしまうんじゃないかと思った。
まあ結局2日でPADIのオープンウォーターの免許は取れたが、ダイビングが嫌になる寸前であった。(というかその時はもう嫌であったが・・・。)でもどう見たら自分達がタフに見えるんだろう?
2)キリマンジャロ
ルートその他はマガジンによく書いているので割愛。よく1日目は楽勝とみんなは書いているが、雨がザーザーと降っていたので、とてもきつかった。ずぶ濡れで1日目にしてもう帰りたくなった。料金が50ドルぐらいだったら帰っていたかもしれない。結局この時濡れた物は下山まで乾かず。マンダラハット注4)についても寒いし、霧で周りはよく見えない。
2日目。多少小雨気味だったが、昨日よりは大分まし。ハットはほぼ富士山と同じ高さ。ここでは高山病にはならなかった。
3日目。相変らず天気はあまりよろしくない。この日泊まりのキボハットは4700m。途中まで元気だったのがキボハット近くになって、急激にペースが落ちる。だるい。何とかキボハットに辿り着くも今度は飯が食えない、というか食いたくない。完璧高山病。Kが食べるのを横目にベッドに横たわる。さすがに4700mは寒い。だるいし寒い。もう帰りたいが、Kが帰るというまで意地でも帰れない。
そのままいつしか寝てしまって、夜12時頃頂上アタックの為起された。起きるとなんかちょっと調子がいい。寝ている内に高度順応したのか?まあ多少だるいことには変わりないが。山を登り始める。この日は満月の月明かりで結構明るい。登り始めてしばらくしたらいきなりKが岩陰で吐き始める。キボハットでは全然大丈夫そうに見えたが。吐いたら少し直ったのか、大丈夫そうなのでまた登り始める。ひたすら月明かりの下登る。ジグザグ登る。何も考えずに登る。いいかげん嫌になってきた頃、朝5時半頃ようやくギルマンズポイント(仮頂上)に到着。ここまででKは4回吐き、ギルマンズに着いたとたん5回目を吐いた。
ここから先降りるかウフルピーク(本頂上)に行くか選択であった。寒いし霧で周りの景色もぜんぜん見えない。Kは吐いて速攻降りることに決定。自分は一応ウフルまで行くことに決めた。ウフルまでは約1時間半。だんだん吹雪のようになってくるし、景色は相変らず全然見えない。結局朝7時頃ウフルピークに着いたが、吹雪いていて視界も悪く、結局頂上には5分もいなかった。
それから直ぐに下山。降りるだけだから楽であろうと思っていたら、とてつもなくきつい。急斜面で踏ん張りが利かない。登りはジグザグで上がっていったが、下りはまっすぐに降りていく。足が利かなくてころころと転がりながら降りていった。もう途中歩けないほど疲労して、ストレッチャーを頼もうかとも思った。必死の思いでキボハットまで辿り着いた。そこからすぐ第二ハットまで下山予定だったが、もう歩けない。頼み込んで2時間ほど休ませてもらって、それから下山した。
5日目下山は天気もそこそこ良く、快調に下山する。無事登山口まで辿り着いたがもうこのような山登りは二度としたくないと思った。もし金を全部出してくれるといっても次はキリマンには登らないだろう。Kがいたからダウンするのが嫌で登ったが、独りだったら途中で止めてたかもしれない。
モシまで辿り着き、11-2柔道隊員兼ツアコンのM君の家でその晩ご馳走になったトンカツはめちゃくちゃ美味かった。でも筋肉痛はとても痛かった。そういえば5日間全く体を洗わなかったが気にならなかった。
注4 第一ハット(山小屋)。確か2700mぐらいの標高だったと思う。
3)ウニを食す
タンザニアの海にめちゃくちゃウニがたくさんいた。それを自分とK、YっちとケニヤのNGOで働いているというSさんの4人で捕まえて食してみた。事前の調べではトゲが白いのが美味しいとの事。4人で捕まえたのを浜辺にてナイフで割ってみる。うにょうにょ動くのを強引にナイフで割る。ちなみに味付けはYっちとSさんがマイキッコーマン(小ビン)を持ってきていたのでそれを使用。まず割ってみたところどろっと何かが出てきた。力を入れて半分に割ってみても、どろどろしたものがあるだけで実が無い。おかしいなあということで議論の結果、これはオスだから身が無いんだという結果に達した。次を割ってみる。また実が無い。次も・・・。結局全てオスなのか?そしたらYっちがこれじゃないと言って、ウニの身らしいものを探し当てた。でもちょっとだけしかない。しかし見た目はウニのようだ。一応醤油をたらして食べてみる・・・。磯臭い。言われてみたらウニのような味がするが。本当にあれはいわゆるウニだったのか?今でも疑問である。
自分達がウニを割っていると、他の観光客や現地の人たちが円陣を囲んで見ていた。とても興味があるようだ。このチャイナ達は一体何をしているのだろう?といったところか。ウニを食べ始めるとそれを生で食べることが信じられないようだ。現地の子供に勧めてみたが、怖がって逃げてしまう。イタリア人はビデオを回して自分達を撮っている。俺達は見世物か?彼はイタリアではスープに入れると言っていた。でも世界的に見てウニを生で食うのは珍しいようだ。勧めたら一応口に入れてみたが、不味そうだった。たぶんあんなものを生で食べていた自分達は、ある意味頭のおかしい人達と思われていたに違いない。
結局殆ど身が取れず、割られてもまだうにょうにょ動いている可哀想なウニ達を砂浜に埋めて帰った。
4)カリアコ
ダルエスでモスリムの衣装を探してほっつき歩いていたら、偶然にもカリアコに行くことが出来た。ここでもモスリムハットと給食着みたいな服を探したがなかなか見つからず。こっちが見つける前にKがお買い物。買った物はドジャーズと書いてあるバスケのユニフォーム。しかもNBAという文字も付いている。それからナイキの野球ユニフォーム注5)。野球隊員として買っとかねばいけない物だそうだ。
モスリムの衣装はなかなか無い。みんなはどこで買っているのだろうと不思議に思ったが、ようやく1軒見つけた。帽子が結構高い。しかしここで買わねばモスリムに変装できないとKにお金を借りて購入。
ジンバに帰ってからうれしくて少し着てみたが、今は着ていない。結局あれはいつ使えば良いものなのだろうか?
注5 当然バッタもんです。
おまけ マラウイ
ほんの2泊3日だけ。実質2泊2日。しかも同期には誰も会えず。マラウイドミにいる時は、みんなは何処かにいて、マラウイ湖に行った時にみんなドミに帰ってきて、自分たちがドミに帰って来た時、みんははどこかに去って行った。
ドミでマラウイ隊員に何日いるのか聞かれて、2日と言ったら、「マラウイをなめてますね。」と。
しかもクリスマスで店がぜんぜんやってなく、買うものも無し、空港で交換した50USは結局使えきれず、1200クワチャぐらい余ってしまった。(当時1ジンドル=1マラウイクワチャぐらい)