
8/15 「最近感動した曲」追加!
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前古典派(プレ・クラシック)の音楽について |
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最近、私には嬉しくてワクワクしていることがある。 それは、前古典派(プレ・クラシック)の、今まで私が知らなかった作曲家の作品を、CDで聞けるようになったからである。 私は学生時代に、西洋音楽史のことを詳しく知りたくて、良い本が無いかと探し回ったが適当な本が見つからず、そのままになってしまっていた。その当時は勿論だが、現在でもレコード店で入手できる国内盤のレコード(現在はCD)は、バロック、古典派、ロマン派、現代音楽などの、それもポピュラーなものに限られている。最近では、輸入盤を扱う外資系のレコード店も多く、かなりマイナーな作品まで扱われていて、私も時々利用してい るが、自分の知らない作曲家の作品には手が出せないのが実状である。 ところが最近、柴田南雄氏の「西洋音楽の歴史」(全4巻、4巻目未刊)という本を見つけた。初版が1967年ということで、私が大学を出た後で刊行されたらしいが、サラリーマン生活を始めたばかりで、精神的に余裕が無かったせいか、この本の存在には全く気付かなかった。 今まで前古典派の作品で私が知っていたのは、C.P.E.バッハ以外は、L.モーツァルト、ソレール、モン、シュターミッツ、アルブレヒツベルガーなどの僅かな作品だけである。この本を読んで、バロック時代と、古典派の時代の間に、時代的に言えば、柴田氏の説をそのまま借用すると、1740年〜1760年のたかだか20年ほどの短い期間だが、数多くの作曲家と、その作品が存在している前古典派の時代があったことを、はっきりと知 ることが出来たのである。 ちょうど同じ頃、アメリカのCDNOWという通販会社の存在を、インターネットで知った。試みに、$ショップ(輸入盤関係)のホームページを開いて見ると、柴田氏の本で知った前古典派の、ヴァーゲンザイル、ホルツバウアー、グラウン兄弟、クヴァンツ、カンナビヒ、サルティ、コレット、フィルツ、プニャーニ、ベンダ兄弟、ヨメルリなどという作曲家の作品が、カタログに載っていた。送料を払っても、国内で買う輸入盤より20〜30 パーセントも安いのである。私は片端からインターネットでこれらの作品を注文し、送られてきたCDを夢中になって聴いた。 かねがね、C.P.E.バッハの、耳障りは良いが、これといった特徴の無い音楽に物足りなさを感じ、この時代には、もっと独創的な作品があるのではないかと考えていた私は、今回これら一連の前古典派の音楽を聴き、この時代にも独創的な、数多くの作品が存在することを知って、意を強くしたのである。 これまでに聴いた作品の中で、私が特に気に入ったのは、ヴァーゲンザイル「チェロ協奏曲イ長調」、コレット「オルガン協奏曲No.6」、サルティ「ミゼレーレ」、ホルツバウアー「交響曲ニ長調」、クヴァンツ「フルート協奏曲ト長調」などである。 このようにして、私の西洋音楽史に関するの知識の中で、バロック音楽と古典派の間で、すっぽりと抜け落ちていた前古典派の音楽が、ミッシング・リンクのように繋がったのである。 ちょっとしたきっかけで、私にとって未知の大きな知識の鉱脈を発見でき、まるで渓魚を豊産する有望な水系を発見した時のように、喜んでいるのである。私は当分の間、この鉱脈を掘り進むつもりでいる。 |
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フェルメールの美 |
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ワイン・グラスを持つ若い女
過日、上野の国立西洋美術館に「レンブラント、フェルメールとその時代」展を見に行った。私は、レンブラントとフェルメールの名前が併記されていたので、てっきりフェルメールの絵が複数展示されているものとばかり思って楽しみにしていたのだが、たった1点しか展示されておらず、がっかりすると同時に、何だか騙されたような気持になった。 私がフェルメールの名前を初めて知ったのは、約40年前の学生時代に読んだ嘉門安雄氏の「西洋美術史要説」によってであった。当時は、その本の中でも、フェルメールはそれほど大きな扱いは受けておらず、彼の絵は数点の小さなモノクロ図版で紹介されていただけで、あまり印象には残らなかった。当時、わが国ではフェルメールは殆ど無名に近く、勿論個人画集などは出版されてはいなかった。 私がレコード会社に就職して、ジャケットの企画・制作の仕事をしていた頃、ある画集で、カラー版のフェルメールの《エピネットの前に坐る若い女》を初めて見た時、これはクラシック・レコードの良い表紙になるなと職業意識が働いたのが、フェルメールに興味を持ったきっかけだった。その後、レコード・ジャケットの企画は日の目を見なかった。 フェルメールの個人画集が、わが国で初めて出版されたのは、1975年の「新潮美術文庫13」だったらしいが、恥ずかしながら、私はその画集が出たことを知らなかった。ここ数年、フェルメールに関する本が相次いで出版されたり、テレビの番組で取上げられたりして、フェルメールが静かなブームになっている。ちなみに、フェルメールの作品は、全部で36点が知られているが、43年という決して長いとは言えない生涯であるが、36点という作品数は、いかにも少ないと言わざるを得ない。 私は展覧会から帰って、「新潮美術文庫13」と、講談社から出ている「赤瀬川原平の名画探検 フェルメールの眼」という本を取り寄せた。後者は、フェルメールの全作品が収録されていた。私は、改めてフェルメールの作品を熟々眺めた。 「芸術は自然の中にある。唯そこからそれを引き出せる人のみが、それを有しうる」とデューラーが述べたと言われる。ここにある『芸術』は『美』と置き換えても差し支えないだろう。 私は嘗て、『美と祈り』という卒業論文を書き、その中で美の可能性について考察したことがある。最近、私はその論文を読み返して見た。表現については稚拙なところが多々見られるが、基本的には、当時も今も『美』(芸術美)についての私の認識は変わってはいない(卒業してから美学とは疎遠になってしまったので、全然進歩していないというのが本当のところである)。その論文の中で、私はデューラーと同じ趣旨であるが、美が自然の中に遍く存在し、天才のみが、その美を作品として表現できることを証明しようと試みた。美が自然の中にどういう形で存在するのか、また、天才がそれをどのように見出し、作品として残すことができるのかということについては、自分なりの解釈を加えたのである。 今の私の言葉より、当時の文章の方が美学的には正確だと思われるので、当時の論文の中から、重要と思われるものを幾つか書き出してみた(この論文は、400字詰めの原稿用紙で約150枚あり、とても全部は引用できない)。 『芸術の内容が、美的なるものであれば、美的なるものとは、表象性によって、個々に捉えられた人間と、自然と、人間と自然の関係(世界)の失われた可能性であり、隠されてある可能性の総称であると言えるのではないだろうか?すべて未知なる可能性は、我々を感動させずにはおかぬものであり、我々は我々の感動を唯一の根拠として、美的なるものを判定するのである。』 『未知なる可能性の実現のみが、美的価値を持つのであり、法則(様式)として捉えられたものは、もはや未知なる可能性ではなく、多くの人々にとって現実であるが故に美的なるものではない。』 『<本質>への欲求は、ヤスパースの<存在自体、無限なもの、別のものに対する欲求>であり、これこそ、人間の根源的な欲求であり、祈りである。芸術は美的なるものを内容とすることによってのみ、この内容を満たすことが出来るのである。この欲求が過去のあらゆる芸術家達を駆り立ててきたのである。人間と、自然と、人間と自然の関係(世界)の本質に対する欲求は、人間の根本的欲求であり、この欲求は、芸術のみならず、宗教、哲学の発生の起源なのである。芸術においては、この欲求が、本質を表象によって捉えんとする欲求となるのである。』 『可能的に存在する自然は、表象可能なすべての状況であり、我々は想像によって現実の自然を、その偶然性と恣意性の支配から開放できるのであり、可能的に存在する自然が、例えば、アンリ・ルソー、ヴァン・ゴッホによって描かれた自然は、自然が持つそれぞれの可能性であり、隠されてあった可能性が絵画によって実現化されたのであり、それらは、歴史的時間性の持つ偶然性と恣意性の支配から独立して存在する自然なのである。』 『想像によって、すべての人が、質的意味の純粋感情の領域に入ることが出来るとしても、想像力自体個性的形式を持った自我によって制約されているものであるから、全的自我の領域において、すべての個性的形式を了解できると思うのは誤りであろう。簡単に言えば、天才は想像においてもその形式が天才的なものであろうということである。このことは、表現の形式についても当てはまることであると思われる。』 『一般に芸術家は往々、常人の見逃すものを見ることができると言われている。これは結局、芸術家の精神構造(形式)──換言すれば、特殊の方向に働く精神の選択作用──が常人とは異質のものであり、芸術家自身、常人の持たぬ異質のものを持っているということに帰せられるのではないだろうか。この異質の構造自体は、我々の認識の限界を超えたものであり、認識不可能なものである。』 以上が私の「美」についての考察の骨子である。私はこれを『可能性の美学』と呼ぶが、この『可能性の美学』を、フェルメールの絵画に敷衍してみたい。 私はフェルメールの絵を見ていて、もしかしたら、それまでどんな画家も描いたことが無いのではないかと思われるものを見つけた。しかしながら、フェルメールの絵は、これまでに何億という人々が眼にしてきたのだから、これを私が初めて見つけたなどというつもりは毛頭無いことを、最初にお断りしておきたい。私は今まで、フェルメールの画集を2冊見ただけで、研究書など1冊も読んだことが無いので、フェルメールが、これまでにどのように評価されてきたのか良く知らないのである。私は、私の『可能性の美学』をフェルメールに敷衍して得た結論を述べたいと思うだけで、既に私と同じ事を主張した人がいたとしても、私は私と同じ考え方の人が他にもいたということで満足するだろう。 フェルメールの絵に登場する人物は、せいぜい三人である。登場する人物は、誰も怒ったり、泣いたり、嘆いたり、悲しんだり、哄笑したりしない。そこには、激しい感情の表出は見られないのである。 フェルメールは、若い女の微妙に移ろう表情や、女同士の隠微な気持ちの交錯に、特に興味を持ったように見える。男の表情には、あまり興味を示さない。そして、わざわざ表現するのが難しい、『羞恥』、『困惑』、『不安』、『揶揄』、『侮り』、『気後れ』、『不貞腐れ』、『冷やかし』、『下心』、『作り笑い』、『心得顔』、『自己陶酔』などを、しかもそれらが入り混じった複雑な表情を描こうとしているように見える。 フェルメールは、女性の微妙な表情の中に『美の可能性』を見出し、それをキャンバスに定着化することによって、『美』を捉えたのである。恐らく、フェルメール以外に、このような微妙な表情を描く事に成功した画家はいなかったのではないだろうか。 個々の絵を見ながら検証してみよう。(絵のタイトルは、新潮美術文庫13に準拠した) 《手紙を読む女》隠れて手紙を読む女の、期待と不安。皺になった手紙。 《仕官と笑う娘》控えめではあるが、心底幸せそうな若い娘の笑顔。 《紳士とぶどう酒を飲む婦人》覚悟を決めてぶどう酒を飲む婦人と、見つめる男の下心。 《ワイン・グラスを持つ若い女》困惑、羞恥、作り笑いの娘の複雑な表情。部屋の隅に不貞腐れた男の顔が見える。 《ターバンの少女》恥じらい、気後れ、不安の混交。 《手紙を書く女と召使い》召使いの揶揄と半ば呆れたような表情。 《真珠を秤る女》恍惚と陶酔。 《真珠の首飾り》鏡に見入る女の、自己陶酔と喜悦。 《青衣の女》満ち足りた女の、深く静かな歓び。 《リュートを弾く女》好奇心。 《手紙を書く女》貞淑ともコケットとも取れる仄かな微笑を浮かべた婦人。 《女と召使い》当惑。 《ギターを弾く女》恋する喜びで上気した女。 《恋文》召使いが見せる揶揄、冷やかし、侮り、心得顔と女主人の困惑、狼狽。 《エピネットの前に坐る若い女》放心状態で振り向いた顔。 フェルメールと同時代の画家フランス・ハルスは、『グロテスクな笑い』の中に『美』を見つけ、それを描くことによって美術史に不朽の名を留めている。フェルメールと同じ時代に、同じように室内に題材をとったピーテル・ド・ホーホや、ヤン・ミーンス・モーレナールなどの画家は、『美』を見つけることが出来ず、凡庸の画家で終わってしまった。 |
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白日夢 - ベックリーンの風景 |
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最近私は、インターネットで古書を探すことが多い。本のタイトルとか、著者名が分かっている場合、インターネットは非常に便利である。古書検索エンジンで、探求書の「題名」または「作者名」の欄に名前を打ち込みさえすれば、数十秒で、本の有無や、本が複数ある場合は、本のリストが打ち出される。本の探求者は、そのリストの中から自分の好きな本、予算に見合った本を選択できるのだ。 しかし、なにか面白そうな本はないかというような場合には、インターネットでは探しようがない。古本屋の店頭や、古書展(古書展示即売会)の会場や、時折送られてくる古書展の目録等で探す他はない。時には自分の知らなかった本を見つけて狂喜したりすることがあるが、こういうことは、インターネットの古書検索では殆ど起きない。 先日、あるデパートの古書展の目録を眺めていて、偶然「アルノルト・ベックリーン展」のカタログを見つけた。私はベックリーンの名前は、学生時代から良く知っていたし、興味も持っていたが、実のところ私は彼の絵については、本物の絵は勿論、カラー図版でも見たことはなく、たった2枚のモノクロ図版を見たことがあるだけだった。私は日本でベックリーンの展覧会が開かれたことなど、恥ずかしながら全く知らなかった。 ベックリーン(1827年〜1901年)は1900年頃、フランス絵画の隆盛に対抗して、ドイツ至上主義者達によってドイツ絵画(ベックリーンはスイス人であるが)の代表格に祭り上げられて一世を風靡し、我が国でも戦前には良く知られた存在であったらしいが、現在では殆ど忘れ去られてしまっている。 私は早速、ベックリーンのカタログを出品している古書店に注文のハガキを出した。古書展では通常、事前に顧客に出品目録を配布して予約注文を取り、複数の申し込みがあれば開催日の前日に抽選をするのが慣わしとなっており、注文した本が、必ずしも手に入る訳ではない。 私は、以前「ベックリーンの風景」という文章を読んだことを思い出した。誰が書いたかすっかり忘れてしまい、昔読んだ美学、美術史関係の本を片端から引っ張り出して調べてみたが、どうしても見つからない。私は半ば諦めて文庫の棚をぼんやり眺めていた。何気なくジンメルの「芸術哲学」(斎藤栄治訳/岩波文庫)を手に取って開いてみた。あった!「芸術哲学」の冒頭に「ベックリーンの風景」という小論文が載っていた。 早速読み返してみた。読んでいるうちに学生時代に何度も読み返したことを懐かしく思い出した。繊細で、鋭く、的確な文章は、難解ではあるが、文章自体がまるで芸術作品のように独創性と美しさに満ちている。タイトルの横に副題として、≪そこにはもう空間はない、まして時間はない≫というゲーテの『ファウスト』からの一節が添えられている。ジンメルは、ベックリーンの絵は、詰まるところ、この一行に集約されると言いたかったのかも知れないが、この集約に至る過程を、彼は絵を詳細に観察し、分析し、緻密に論理を組み立てている。 幸いなことに、2週間ほどして『バーゼル美術館所蔵作品によるアルノルト・ベックリーン展』(1987年1月24日〜3月8日、国立西洋美術館)のカタログが届いた。私は早速、そのカタログを開いてみた。 ベックリーンのカタログを見てまず感じたことは、絵画に描かれた題材が多岐に渡って豊富なことである。ギリシャ神話の神々、聖書に登場する英雄、キリストの受難、歴史上の人物や史実、人魚や死神など、とりとめもなく多彩であるということであった。 私は、先に『フェルメールの美』の中で「『美』とは表象性(イメージ)によって個々に捉えられた人間と、自然と、人間と自然の関係(世界)の失われた可能性であり、隠されてある可能性の総称である」と述べた。そしてまた、「未知なる可能性の実現のみが美的価値を持つ」とも述べた。これは私の「可能性の美学」の結論であり、私の「美」に対する判断の基準なのである。私は、「可能性の美学」をベックリーンのカタログに載っている作品に敷衍してみたい。 ベックリーンという画家は、想像力が飛び抜けて豊かな人であったらしく、一つのイメージが浮かぶと、そのイメージがまるでウィールスのように変形し、増殖し、一人歩きを始めてしまうように見える。それは、彼の作品に、同じテーマで幾つものヴァージョンが存在していることからも推測できる。「ペスト」(1898年)では、かのフリードリヒ・シュレーダー=ゾンネンシュターン(1892年〜1982年、精神病者にして売れっ子の画家)も真っ青というくらいの突飛なイメージで死神を描き、「戦争」(1896年)では、シャガールと見紛うばかりの天駆ける馬を描いている。 ベックリーンの想像力は、自然を時間の偶然性や恣意性からだけでなく、空間の呪縛からさえも開放してしまう。 「葦の中のパーン」(1859年)では、きわめて現実的な葦原の風景の中にパーン(牧神)を佇ませる。また「忘れられたヴィーナス」(1856/1860年)では、古代庭園の泉の中に、「メディチ家のヴィーナス」のようなヴィーナス像を隠れさせる。私には、このヴィーナスが彫像ではなく、古代の庭園に現れた女神が自分の裸身を羞じて、野草や葦の茂みに身を隠しているように見える。 この2作品には、ベックリーンの表象性の特性が端的に現れている。それは、一枚の絵の中に、異質の事物が時間や空間の制約を無視して、何の違和感もなしに混在していると言うことである。リアルな葦原とパーン、古代の庭園とヴィーナスの像などの組み合わせに見られる通り、時間的、空間的に全くかけ離れたもの同士を、ありふれた日常の風景として組み込むのである。 さまざまな細部が極めてリアルに見えていながら、現実には決して起こり得ないシチュエーション、これは、まさに白日夢であり、現代風な言い方をすればヴァーチャル・リアリティーである。 「死の島」(1880年)は、ラフマニノフがこの絵を見て、交響詩「死の島」を作曲したことでも知られている。島全体が一つの巨大な墳墓であり、今まさに一つの棺が納められようとしている。岩塊に穿たれた幾つもの大きな窓、高い糸杉と暗い海、白布に覆われた棺と二人の人物を乗せた小さなボート、それぞれの部分はリアルであるが、それらが組み合わさると、現実の世界を越えてしまう。自然の中に隠されてあった「死の静寂」が、ベックリーンによって一瞬でもあり、永遠でもあるような真空の世界として具現化される。
死の島
「聖なる森」(1882年)は、「死の島」とともにベックリーンの傑作としてよく知られた作品である。プラタナスと樫の森がある。森の向こうにギリシャ神殿の柱のようなものが立っている。手前で三人の白衣の僧侶が燔祭を執り行い、森の中から六人の僧侶がこちらに向かって進んでくる。それぞれの人物や事物が極めてリアルに描写されている。現実のどんな宗教でもない、いわば宗教の原型がそこにはある。時間と空間を超えた異質の事物や人物の組み合わせが、隠されてあったひたむきで厳粛な「祈り」の本質を、白日の下に描き出している。 ベックリーンの想像力は、世間の常識の埒を逸脱する。「キリストの死を嘆くマグダラのマリア」(1867年)は、私がベックリーンの最高傑作だと考えている作品だが、それまでの宗教画の常識を破って娼婦マグダラのマリアを主人公とし、横たわるキリストを膝から先を省略して描いている。「ピエタ」(1877年)では、キリストの死を嘆く聖母マリアを、皺くちゃな老婆としてリアルに表現する。
キリストの死を嘆くマグダラのマリア
ジンメルは、ベックリーンの絵の「形姿の奇怪さ、描法上の不完全さ」を指摘する。確かにベックリーンの風景画や宗教画の中には、人体のバランスが悪いと感じられるものが幾つもある。ベックリーンの想像力は、時として形象さえも超越してしまうのだろう。ベックリーンの想像力をこの世に繋ぎ止めるものは、もはや何も無いのかも知れない。 (2001/5/12)
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ヘルダーリンとクレッチメル |
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何かのきっかけで、それも自分では思いもよらぬ、脈絡の無いことから、長い間理解出来なかった事柄や疑問が、一瞬のうちに了解できたというようなことが、時として起きることがある。 私は詩が好きで、学生時代から多くの詩人達の作品を読んできた。外国の詩では、ゲーテ、ハイネ、ヘッセ、リルケ、ロンサール、ヴィヨン、ボードレール、ヴェルレエヌ、グウルモン、アポリネール、シュペルヴィエルなど、ドイツやフランスの詩人達の詩を中心に、手当たり次第に読んだのである。 外国語の詩には、翻訳という問題があり、これを逆に置き換えて考えると、たとえば島崎藤村の詩を、外国語に翻訳したとして、外国人が、藤村の詩のリズムや、響き、言葉のニュアンスなどを完全には理解できないだろうと思われるのと同じように、私には外国人の詩が、日本人に完全に理解できるとは到底思えないのである。しかし、リズムや、響き、ニュアンス等を取り去っても、なお残る、心情やイメージは理解可能あり、私は、優れた詩には翻訳という壁を超える、強い独自の心情、イメージが存在していると考えている。 「心の琴線に触れる」という言葉がある。これは人の心情に共鳴し、感動することを意味しているが、感性の良い人というのは、心の琴線を何本も持っている人に違いない。私はいろいろな詩人の詩を読んだが、私の感性が鈍いのか、琴線の数が少なく、ヘルダーリンの琴線と波長が合わないのか、ヘルダーリンの詩を読んでも、少しも感動を覚えることがなかった。言葉の意味は理解できるのだが、ヘルダーリンの心情が全く伝わってこないのである。私は、長い間ヘルダーリンの詩が理解できないでいた。 ある時、私はクレッチメルの「体格と性格」(相場均訳、文光堂)を読んでいた。以前から、私は「人間の可能性」が知りたくて、もしかして精神病者の中で、人間の性質や行動が、純粋な型で発現しているのではないかと考えて、精神病理学関係の本をよく読んでいたのである。このような考えは、ヤスペルスが今から九十年近くも前に「精神病理学総論」(内村祐之・西丸四方・島崎敏樹・岡田敬蔵訳 岩波書店)の中巻(44頁)で、『・・・・精神病質や神経症や精神病においては、何かの健康基準からの偏りが現れるのみならず、人間の可能性一般の根源も現れるからである。異常者の中に生起し、体験されるものは、人間としての人間に関するものの示現であることが稀でなく、それは観察し物的に取扱う精神病理学者には認め得なくなっているが、人間に対して人間であるところの、運命を同じくするものにだけは認められるのである。』と述べている。また、クレペリンも同じ頃、≪精神医学4≫(遠藤みどり・稲浪正充訳 みすず書房)の「精神病質人格」(184頁) で、『今日すでに精神医学が、健全な生活の多くの現象の中に病的傷害の理解への鍵を見出しているように、逆に病的なものの細い根を個々の人格の中の至る所で明らかにできるならば、人間に関する我々の知識は極端な深まりを経験するであろう。ここには、純粋に医学的な問題を越えて、人間の最奥の本質に関する教えに到達する、精神医学的研究領域が存在する。』と述べているのである。 「体格と性格」(190頁)で、クレッチメルはヘルダーリンについて次のように述べている。 『分裂病患者ヘルダーリンの生涯を、若い詩人の時代の著しく感じ易い繊細さから、彼の数十年に及ぶ長い緊張症罹患時代の、おぼろになってゆく感情鈍麻の状態にまでたどってゆくと、彼はかかる移行の範例となる形態を示しているのである。高感性の極から、無感性の極への移行は、相当発達した人格にとっては、次第に心の冷えて行く感じとして恐ろしいほどはっきりと体験されるが、ヘルダーリンはその冷却を次のように詩のかたちでうつし述べている: いまお前の立っているところは?生きること少なかった私なのに、 はや私の生の夕がたのそよぎは冷たい。そして無言の影のように こごえている心は胸の中にうずくまってうとうととねむる。 この解説と詩を読んで、私は始めてヘルダーリンの心情が理解できたのである。私は、ヘルダーリンの深い悲しみを思って、溢れてくる涙を抑えることができなかった。 クレッチメルが取り上げたこの詩は、「ヘルダーリン全集」(手塚富雄・浅井真男訳 河出書房)で調べると、第2巻 ≪詩U≫に収録された『希望に寄せる』という題名の詩の第二節であることが判ったが、『希望に寄せる』という題が、なんとも痛ましく感じられる。 1770年に生まれたヨーハン・クリスティアーン・フリードリヒ・ヘルダーリンは、この全集の解説によると、1802年に既に彼の様子にただならぬところがあったろうことは確実だとされ、『アポロが私を撃った』という言葉を残している。1800年から、1803、4年にかけてのわずか三年余が、ヘルダーリンの詩業が頂点に達した時期とされているが、この『希望に寄せる』もこの時期の傑作である。 多くの精神疾患の発症時期が、思春期から青年期とされていることから、私はこの時期、ヘルダーリンの病状がかなり進行していたものと想像するが、高感性の彼は疾うに自分の異変に気づいていた筈である。一流のアスリートが、自分が筋萎縮症に罹っていると判った時以上の衝撃が、彼を襲ったことは間違いない。 1806年、ヘルダーリンの病状は絶望的に悪化し、その後再び快方に向かうことは無く、1843年にその生涯を閉じている。時として、厚い雲の切れ目から一条の光が射すように、インスピレーションの煌きを見せることがあったようで、次のような言葉を残している。
いまはじめてわたしは人間を理解する、 (2002/3/15) |
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隠れた名曲を求めて |
| CDNOWが日本から撤退した後、私はクラシックの輸入盤の購入を主としてamazon.com.jpに頼っている。このamazon.com.jpという会社は、音楽CDだけでなく、ビデオやDVD、書籍などの他、家電製品まで幅広く扱っていて、私はDVDや新刊書などの購入でも大いに利用させて貰っている。ここは、¥1.500以上のCD、DVD、書籍などを購入すると送料が無料になるので、極めて割安に買い物ができる。私の自宅から、大型書店のある駅前に出るにも何百円というバス代がかかることを考えると、その有り難さが分かって貰えるだろう。 私は以前このホームページで、前古典派の音楽について述べたことがある。私は前古典派の音楽の鉱脈を掘り進むうちに、古典派との境界を越えてしまっていた。そこでも私は、私の知らなかった数多くの名曲があることを知ったのである。 柴田南雄氏の説に従うと、 前古典派 およそ1740年〜1760年 初期古典派 およそ1760年〜1780年 盛期古典派 およそ1780年〜1810年という区分になる。 この区分は、作曲年代ではなく、作曲様式で分類されることは言うまでもない。従って、グルック(1714〜1787)のように、世代的には当然前古典派に入るべき作曲家が、その時代を先取りした作曲様式から初期古典派に分類されるということが起きるのである。 古典派全体を俯瞰する上で、ハイドン(1732〜1809)、モーツァルト(1756〜1791)、ベートーヴェン(1770〜1827)の、存在期間は記憶に留める必要がある。彼らは、当時の数多くの作曲家達と多くの関わりを持ち、互いに影響しあい、複雑な蜘蛛の巣のような相関図を形成しているからである。 私は、自分の感動を唯一の拠りどころとして、自分の聞いた曲の評価をする。もう少し具体的に言えば、1曲の中に独創的で魅力のある、美的な旋律(主題)が1箇所でもあれば、その曲を名曲と判断するのである。 取り上げる曲の順序は作曲家の誕生順である。 初期古典派 アーベル(1723〜1787) Carl Friedrich Abel〔独〕 「交響曲 第1番ト長調op.7」、「同第6番変ホ長調op.7」 アーベルには「6つの交響曲」がop.7とop.10の2種類あるが、これはいずれもop.7のものである。2曲とも初期古典派の音楽に共通する爽快さ、瑞々しさに溢れた佳曲である。 ブリクシ(1732〜1771)Frantisek Xaver Brixi〔ボヘミア〕 オルガン協奏曲の作品の数はそれほど多くはないが、古来、不思議に優れた曲が多い。「オルガン協奏曲ハ長調」 ブリクシのハ長調のオルガン協奏曲は他にもあるが、Adagioを第2楽章に持つこの曲は、このAdagioが、しみじみとした安らぎを与えてくれる。 アルブレヒツベルガー(1736〜1809)Johann Georg Albrechtsberger〔墺〕 アルブレヒツベルガーは、ベートーベンの師として有名であるが、作品としては「ハープ協奏曲」や、「トランペット協奏曲」がよく知られている。この「オルガンと弦楽のための協奏曲変ロ長調」は、前2曲に劣らぬ傑作である。 レオポルト・ホフマン(1738〜1793)Leopold Hofmann〔墺〕 ハイドンと同時代にウイーンで活動したホフマンは、当時ハイドンに嫉妬されるほどの成功を収めていたそうだが、今日では全く忘れ去られてしまっている。この「チェロ協奏曲ニ長調」は、5月の草原を駆け抜ける風のように爽やかで、チェロ協奏曲はやや重いと感じていた私は、この曲を初めて聴いたときその軽快さに少なからぬカルチャーショックを覚えたほどである。 ヴァンハル(1739〜1813)Johann Baptist Vanhal〔チェコ〕 ヴァンハルは、初期古典派の作曲家の中で最も豊かな才能の持ち主の一人だと私は思っている。「交響曲ニ長調(D17)」、「同ハ長調 (C11)」、「同ニ短調(d2)」、「同ト長調(G11)」、「同ホ短調」など、いずれも完成度の高い傑作である。 ディッタースドルフ(1739〜1799)Carl Ditters von Dittersdorf〔墺〕 「オヴィディウスの<メタモルフォーゼ>による6つの交響曲」の、殊に第3曲「交響曲ト長調」は傑作であり、第2楽章にベートーヴェンの「田園」そっくりのメロディーが現れる。おそらくベートーヴェンは、この交響曲から多大な影響を受けたものと思われる。「弦楽四重奏曲 第1番ニ長調」も、がっちりと組みあげられた骨太の秀作である。 サン=ジョルジュ(1739〜1799)Joseph Boulogne Saint-Georges〔仏〕 貴族と黒人婦人の間に生まれた混血児。「ヴァイオリン協奏曲ハ長調op5-1」、「同イ長調op5-2」、「同ト長調op-8」、「同ハ長調op3-2」は、いずれも傑作で、前3曲の入ったCDは私の愛聴盤の一つである。 盛期古典派 クレメンティ(1752〜1832)Muzio Clementi〔伊〕 ソナチネ・アルバムの第7番の作曲者としてよく知られている。「交響曲ニ長調op18-2」、「ピアノ協奏曲ハ長調」の2曲を聞くと、この作曲家がただ者でないことが良く分かる。2曲とも古典派の様式を体現した、端正な堂々たる傑作である。 クラウス(1756〜1792)Joseph Martin Kraus〔瑞〕 クラウスの名前は、世界的にも殆ど知られていないようで、殊にわが国では、たとえば、柴田南雄氏の「西洋音楽史」や、「クラシック音楽作品名辞典」(三省堂)などにもその名前が載っていないように、完全に無視されている。私がクラウスの名前を知ったのは、輸入レコード店の店頭で偶々クラウスのCDを見つけたことによる。私はそのCDを買い求め家に帰って聴いてみて、その素晴らしさにびっくりしたものである。 クラウスについての資料は殆ど無いが、CDの解説を読むと、モーツァルトと同じ年にドイツで生まれ、スウェーデンに渡り王室の庇護を受け、その音楽活動の全てをスウェーデン国内で行い、国王から大陸に音楽の見聞を広めるために派遣されたとき、ハイドンやグルックと知り合ったことなどが書かれている。ハイドンはクラウスのことを「私の会った中で、最も才能豊かな一人」と絶賛している。 「交響曲変ホ長調(VB144)」は、彼の作品の中でも最高の作品で、殊に第2楽章は、私の知る限り最高の音楽の一つである。この他、「同ハ短調(VB148)“Funebre”」、「同ハ長調(vb138)“Violin obligato”」、「同ハ長調(VB139)」、「同ハ短調(vb142)」など、いずれも優れた作品で、滾々と湧く澄み切った泉のように、叙情的な旋律が全編を途切れることなく流れている。もし存在するなら、クラウスのピアノ協奏曲や、ヴァイオリン協奏曲を是非聴いてみたいものである。 プレイエル(1757〜1831)Ignaz Pleyel〔墺→仏〕 プレイエルの名前は、現在ではプレイエル・ピアノに残っている。「交響曲ハ長調op.66(B154)」、「同ハ長調(B128)」は、彼の数多くの交響曲の中でも比較的良くできた作品であるが、彼の交響曲は、統一感を欠いていると感じられるものが多い。彼は、交響曲などの大作より、むしろ室内楽などの小品に優れたものが多く、殊に「六つのヴァイオリン二重奏曲(6 Duets for Two Violins,op.24)」の中の「第1番ハ長調」、「第2番ト短調」、「第3番イ長調」は、軽快で歯切れの良いプレイエルの特長がよく表われた傑作である。 ケルビーニ(1760〜1842)Maria Luigi Cherubini〔伊〕 ハイドンや、モーツァルトなどの大家を除けば、ケルビーニはこの時代の最も才能のある作曲家の一人である。とりわけ「交響曲ニ長調」、「“Il Giulio Sabino”シンフォニア」の2曲は傑出した作品である。この他、「弦楽四重奏曲 第1番変ホ長調」も素晴らしい。 メユール(1763〜1817)Etienne-Nicolas Mehul〔仏〕 「交響曲 第1番ト短調」はメユールの代表的作品である。この時代の作曲家の作品を聴くと、それぞれ同時代の作曲家と相互に影響し合っていたことが良く理解できる。 ウェズリー(1766〜1837)Samuel Wesley〔英〕 「交響曲ニ長調」 オルガンとヴァイオリンの独奏部分を持つ、盛期古典派らしい堂々たる作品である。殊に第2楽章が美しい。「交響曲イ長調」 全編に抒情味が溢れ、聴く者に安らぎを与えてくれる。 E.T.A.ホフマン(1776〜1822)Ernst Theodor Amadeus Hoffmann〔独〕 「大ピアノ三重奏曲ホ長調」 この曲を聴けば、彼がどれほど音楽に造詣が深かったか、作曲技法に精通していたかがよく分かり、彼の小説に対する理解が格段に深まる。 フンメル(1778〜1837)Johann Nepomuk hummel〔墺〕 現在、フンメルの作品では「トランペット協奏曲」や「マンドリン協奏曲」などがよく知られているが、この「ピアノ協奏曲イ短調op.85」は、ショパンや、グリークなどの作品に劣らないピアノ協奏曲の大傑作である。この他、「ピアノ協奏曲第4番op.110」や、「ピアノとヴァイオリンのための協奏曲op.17」は非常に優れた作品であり、現在演奏されることが少ないのが惜しまれる。 ジョン・フィールド(1782〜1837)John Field〔愛蘭〕 ジョン・フィールドは独奏曲としての夜想曲の創始者として有名。「夜想曲全集」 一度は聞いておきたい名曲である。「ピアノ協奏曲第3番変ホ長調」 ピアノ独奏部分が後のショパンを予感させる。ショパンは、この曲の影響を多分に受けたのではないだろうか。そうでないとしたら、両者の資質がよほど似ていたに違いない。 シュポーア(1784〜1859)Louis Spohr〔独〕 シュポーアは、パガニーニも一目置いたと言われるほどのヴァイオリンの大家で、ヴァイオリン協奏曲を数多く作曲しているが、私は、彼のけれんみの多い曲が鬱陶しい感じであまり好きになれなかった。しかし、この「二つのヴァイオリンのための二重奏曲へ短調op.39-1」と、「ヴァイオリンとハープのためのソナタ・コンチェルタンテ ニ長調op.115」の2曲を聴いて、彼の見方が変わってしまった。それくらいこの曲は素直で、繊細で、叙情的な名曲である。 チェルニー(1791〜1857)Carl Czerny〔墺〕 「チェルニー30番」などのピアノ練習曲でよく知られているが、この「四手のためのピアノ協奏曲ハ長調op.153」は、いかにもピアノの大家らしい絢爛、華麗な傑作である。また、「交響曲第1番ハ短調op.780」は、勇壮、豪快で、厚みのある音は古典派盛期音楽の頂点の一つと言えるだろう。(2004/10/10) |
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母国語で西行を読む喜び |
| ジョージ・ギッシングは、その著書“ヘンリー・ライクロフトの手記”の中で、「私がイギリスで生まれたことを嬉しいと思う数多くの理由のうち、最初に来るものの一つが、私がシェイクスピアを母国語で読めるということである」と、主人公に語らせている。(”夏”の章の最後)(THE
PRIVATE PAPERS OF HENRY RYECROFT by GEORGE GISSING p.136~137 PUBLISHED,1927,BY
E.P.DUTTON & COMPANY) 私がこの言葉を最初に目にしたのは、私が大学に入ったばかりの頃であった。私は当時から英語は不得手であったし、英語の文章を読んでいてもそのニュアンスなどを感じることはとても出来なかったので、ことさらこの言葉に共感を覚えたのかも知れない。 ギッシングが述べたことと同じ意味で、私は、自分が日本に生まれて良かったと思うことの一つが、西行の歌を日本語で読めることであると、最近熟く感じている。<五、七、五、七、七>や、<五、七、五>などの音節のリズムに、我々は幼い頃から接しており、それを心地よく感じるようになっている。言葉のリズムだけでなく、四季の移り変わりの鮮明さ、我が国固有の歴史、風俗、習慣、思想、感情(もののあわれ、わび、さび、無常観)などに培われたこの日本独自の感覚は、ネイティヴの日本人だけにしか理解できないだろうと考えるのは、思い上がりであろうか。 横書きで和歌を記述するのは、他のページとの兼ね合いでやむを得ないとは言えいささか抵抗感があるが、ここでは目をつぶることにする。(尤も、上下左右、どういう書き方も出来る融通無碍なところが、日本語の良さかも知れない) 願はくは 花の下にて 春死なん そのきさらぎの 望月のころ なんと言う響きの良さ!その中に含まれる万感の思い!私は全ての和歌の中でこの歌が一番好きである。 私がこの歌を知ったのは、小林秀雄の「西行」という短文を読んだ学生時代である。そのとき、西行が願いどおりの月日に死去したことを知り、私は非常な衝撃を受けた。このことは、私が知らなかっただけのことで、疾うの昔に西行と同時代の人々を驚かせ、西行を一躍歌聖として崇めさせる要因となったということである。 西行の素晴らしさを教えてくれたのも小林秀雄である。当時の私は、小林秀雄の文章に盲目的に追従した。天才的な外科医の、熟練したメス捌きを見るような彼の文章は、私を圧倒して止まなかった。後年、小林秀雄が太平洋戦争の勝利を信じて疑わなかったと言う事実を知って、私は、或いは彼は大局を見ることの出来ない人ではないかと疑い、全幅の信頼は揺るいだのであるが、彼が私を西行に目を向けさせてくれた恩人であることに変りはない。 西行は、生涯かけて悟りを求めて放浪し、「迷ひ来て 悟りうべくも 無かりつる」 と、悟りを得ることが出来なかった人であり、また、そのことを「心を知るは 心なりけり」と、自覚出来た人である。 惑ひ来て 悟りうべくも 無かりつる 心を知るは 心なりけり 世の中を 反き果てぬと いひおかん 思ひしるべき 人はなくとも 鈴鹿山 うき世をよそに ふり捨てゝ いかになりゆく 我身なるらん 世の中を 夢と見る見る はかなくも 猶驚かぬ 我心かな いづくにか 眠り眠りて たふれ臥さんと 思ふ悲しき 道芝の露 愚かなる 心にのみや まかすべき 師となることも あるなる物を 心から 心に物を 思はせて 身を苦しむる 我身なりけり 逢ふとみし 其夜の夢の 醒であれな 長きねぶりは うかるべけれど 捨てたれぞ 隠れて住まぬ 人になれば 猶世にあるに 似たるなりけり 世中を 捨てゝ捨てえぬ 心地して 都離れぬ 我身なりけり うらうらと 死なんずるなと 思ひとけば 心の軈て さぞと答ふる 世中を おもへばなべて ちる花の 我身をさても いづちともせん 世をすつる 人はまことに すつるかは すてぬ人こそ すつるなりけれ ましてまして 悟る思ひは ほかならじ 吾が嘆きをば われ知るなれば 惜むとて をしまれぬべき 此世かは 身を捨てゝこそ 身をもたすけめ 西行は天性の詩人であり、彼の並みはずれた鋭い美的感性が、悟りを得ることを拒否したのではあるまいかと、私には思われてならない。詩人と悟りは共存できないのではないだろうか。 うぐひすの 声ぞ霞に もれてくる 人目ともしき 春の山里 柴の庵に よるよる梅の 匂ひ来て やさしき方も ある住居かな 花にそむ 心のいかで 残りけん 捨て果ててきと おもふ我身に 心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫たつ沢の 秋の夕ぐれ 物おもふ 心のたけぞ しられぬる よなよな月を 眺め明して なげけとて 月やは物を おもはする かこちがほなる 我なみだかな 物おもへど かゝらぬ人も ある物を 哀なりける 身のちぎりかな 斯る身に おふしたてけむ 足乳根の 親さへ辛き 恋もするかな 哀々 この世はよしや さもあらばあれ 来む世もかくや 苦しかるべき つくづくと 物を思ふに うちそえて をり哀なる 鐘の音かな かゝる世に 影も変らず すむ月を 見る我身さへ 恨めしきかな 鶯の 声に桜ぞ ちりまがふ 花のこと葉を 聞く心ちして きりぎりす 夜寒に秋の なるまゝに 弱るか声の 遠ざかり行く 初時雨 あはれしらせて すぎぬなり おとに心の 色をそめにし 西行には、「地獄絵を見て」の詞書に続く連作があるが、自分の業(ごう)の深さを思って恐れおののいたものであろうか。西行の優れた感性は、地獄絵図に描かれた以上の地獄を、想い描いたに違いない。 見るも憂し いかにかすべき 我心 かゝる報ひの 罪やありける 罪人は 死出の山辺の 杣木かな 斧の剣に 身を割られつゝ 何よりは 舌抜く苦こそ 悲しけれ 思ふことをも 云はせじの刑 なべてなき 黒きほむらの 苦しみは 夜の思ひの 報ひなるべし あわれみし 乳房のことも 忘れけり 我悲しみの 苦のみおぼえて ゆくほどは 縄のくさりに つながれて 思へば悲し 手かし首かし 西行は、晩年の六十九歳のときに詠んだ次の歌を、「これぞわが第一の自讃歌」と、慈円に述べたと言う。 風になびく 富士の煙の 空にきえて 行へも知らぬ 我思ひかな 西行の「我思ひ」とは、彼の懊悩する心であり、煩悩であり、宿命であり、もっと言えば「人間の業」ではないだろうか。西行はこの「業」の中に人間の可能性(本質)を認め、それを歌として表現した詩人であり、西行はこのことによって「美」を捉えることが出来た稀有の芸術家なのである。 (歌の漢字を新字に直し、字間を一字空けた以外、漢字・仮名遣いは尾山篤二郎校註「西行法師全歌集」【冨山房百科文庫】1938に準拠した) 「西行法師全歌集」は、読むたびごとに新しい発見がある。汲めども尽きぬ泉のように、彼の想いがひしひしと伝わってくる。西行(1118〜1190)は、シェイクスピア(1564〜1614)より400年以上も前に生まれているが、私はこれほどの詩人が、シェイクスピアより400年以上も前に我が国に存在していたことを、またその西行を母国語で読めることを誇りに思う。 ジョージ・ギッシングは、ヘンリー・ライクロフトに、次のようにも語らせている。 「すべての国の人々は、自分の国の詩人を享受しなさい」と。(2005/5/1) |
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比類なき名演奏〜カザルス、デュプレ、C.クライバー |
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これまで何度も聴いた曲なのに、時として初めて聴いた曲のような鮮烈な印象を受ける演奏がある。これまで聴いてきた曲とは全く違う、まるで別の曲のように聞こえるのだ。 (2005/4/13) |
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「ギルガメシュ叙事詩」のこと |
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自分の無知を晒すようで恥ずかしいが、最近「ギルガメシュ叙事詩」(月本昭男訳、岩波書店、1996年)を初めて読んで、私はその素晴らしさに感動した。このような見事な古典に、私は今までどうして気がつかなかったのだろうと訝しささえ覚えたのである。本の帯には、「すべての物語はここから生まれた」と書かれているが、誠にその通りであると思った。「あとがき」には、ライナー・マリア・リルケやヘルマン・ヘッセがこの書を絶賛したことが書かれている。 (2005/11/10) |
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往年の名歌手達 |
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前古典派(プレ・クラシック)探索の旅が一段落し、最近私は専らCDでオペラの全曲盤を聴いている。 (2007/3/10) |
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ヴィヴァルディの六つのチェロ・ソナタ(作品14) |
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私はこの曲を、十数年前オーフラ・ハーノイの演奏で聴いた。このときはただ地味な曲だなと感じただけで、あまり印象に残らなかった。最近、普段あまり聴かない古いCDを聴きなおしていたら、この曲が耳に留まった。以前聞き流してしまった曲が、このときは全く違った曲のように私の胸に胸に迫ってきたのである。何と哀感に満ちた曲だろう。これまで慣れ親しんできた、あの華麗で軽快なヴィヴァルディと同一人の作品とはとても信じられなかった。私はライナーノート(J.H.ミカエル)を読んでみた。それによると、この作品はヴィヴァルディが亡くなる1年前に出版されたもので、一世を風靡したこの作曲家はこの曲を出版した翌年(1741年)、貧民層の共同墓地に葬られたと記されていた。 (2007/9/3) |
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ショーペンハウエル雑感 |
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最近、私は漸くショーペンハウエルの「意志と表象としての世界」(全巻)を読むことが出来た。私の学生時代、ショーペンハウエルの主著「意志と表象としての世界」(正編、続編)の訳本は市販されていなかった。当時(1960年)私は、卒業論文の参考に読みたいと思い、古本屋を探し回った。辛うじて昭和16年(1941年)発行の岩波文庫の「意思と表象としての世界 正編(1)」を手に入れたが、その後、この続編は発行されないままに終わってしまい、私は「表象」に関する部分を読んだだけだった。この他、姉崎正治訳が改造文庫で「意志と現識としての世界」という題名で出ていたのを見つけたが、全巻揃わず読まなかった。「意志」とは何かについて、他の本で「盲目意志」という言葉を知り、「宇宙の意志」、とか「自然の意志」など超越的なものと勝手に解釈していたが、本当のところはよく分らないでいた。 (2008/12/17) |
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最近感動した曲 |
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オンスロウ:ピアノ三重奏曲ハ短調op.26 (2011/7/20) |