自由民権名言集

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民権是れ至理なり 自由平等是れ大義なり

中江兆民 「一年有半」より


自由の詩 安藤国之助「自由の歌」より 川上音二郎「オッペケペ節」より オッペケペ節

板垣死すとも


板垣退助が岐阜市での講演のときに暴漢に刺され、
虫の息で残したとされる言葉。だが、板垣は一命をと
り留めたばかりか、一時はこの言葉も新聞記者の創作
とも噂された。
現在では、これが彼自身の言葉であったことが確認さ
れている。

コハダ
民権派の粘り強い活動を謳った 詠み人知らずの都都逸
自由党宣言 高知県人民「三大事件建白書」より 「自由党史」(下)に収載 我に自由を与えよ
アメリカ独立運動の闘士・ パトリック・ヘンリーの 言葉。 自由民権運動に関 わった多くの若者たちの血 を沸かせた。
泣いて読むルソーの民約論
西南戦争に参加した熊本県の 士族宮崎八郎の漢詩の一節。 ここで「泣いて読む」ほどに感 激したと書かれたルソーの民 約論こそ、中江兆民が翻訳し て各地に写本の形で広まっ ていったものである。 宮崎は西南戦争のさなか、熊本 までやってきた中江兆民と面会 もしている
民権数え歌 植木枝盛「民権数え歌」の3番より


あれ見やしゃんせ




民権家青年の間で歌われた、
ルソーの思想と自由をたたえる歌


胸中に未来を抱くもの





植木枝盛の言葉










自由の棲まう処是吾が郷なり

「自由の棲まう処是吾が郷なり」 元土佐海援隊士で坂本竜馬の右腕となり、 後に神奈川県令・自由党副総理・初代衆議 院議長になった中島作太郎信行が、東京町 田の自由民権運動家村野常右衛門のために したためた書。この言葉は当時の流行語の ようになっていたものらしい。




自由は取る可き物なり 貰ふ可き品に非ず

中江兆民「自由平等経綸」より