
私は、子どもの頃、鉄道好きだった。小学校の先生に、「将来何になりたいか?」と尋ねられると、即座に「特急こだま号の運転手」と答えた子どもだった。親友のO君も鉄道好きで、当時の国鉄の踏切に、二人でよく汽車を見に行っては手を振っていた。二人は鉄道模型にもはまっており、模型(HOゲージ)を持ち寄って運転してよく遊んだ。時刻表が大好きで、模型を時刻表通りに走らせた。
O君は、ついにあこがれのC62の模型を購入した。それがずっとうらやましかった。彼は、今でもその模型を「お宝」として保存している。そして数十年…。初孫男児が生まれ、その子とやがては遊ぼうと、そそくさと求めたのがNゲージのC57だった。じじバカ極まる話なのだが、それが上の写真である。今回の旅の起源の第一はこれであろう。
これまで、ことさらにSL特別列車に乗りたいなどとは思わなかった。しかし、昨夏に「トワイライト・エクスプレス号」に乗車した事が印象深く、やはり列車の旅に心が動いた。それなら、次はSL…。それまでからも、貴婦人と呼ばれるC57と、SL特別列車で一番長い距離を走る「ばんえつ物語号」のことは、時刻表上では承知していた。ならば、今回はこれだ!! そして、会津からは、これも滅多に乗れないと思っていた「会津鉄道−野岩鉄道−東武」と乗り継いで浅草まで遠征してみるか…ということになった。起源の第二は、昨年からの続きということである。
50代半ばである私にとっては、SL体験がないわけではない。最初は、小学校に入学するかしないかの頃だった。父に連れられて大阪へ行った時に、京都まで国鉄に乗ってみる事となった。私鉄沿線に住んでいたので、国鉄に乗るのはなぜかワクワクしていた。そして、父は快速電車には乗らず、東海道本線の長距離普通列車を選んだのだが、それが何とSLであった。どの機関車が牽引していたのか、知るよしもないが、どの線路をどんなふうな感触で走ったのかは、未だに鮮明な記憶がある。
次は、小学校に入学してからの事である。その頃母は中小企業に勤めていたのだが、年に一度職場旅行として若狭方面に海水浴に連れて行ってもらった。山陰本線・舞鶴線・小浜線と走るのだが、これはすべてSLの普通列車だった。綾部駅で機関車を付け替えたが、山陰本線では、おぼろげな記憶でC54ではなかったかと思う(後で調べると、このC54は「薄幸の美女」と言われ、現在保存機もないのだそうだ)。汽笛の音と、蒸気機関独特の音。そして煤と蒸気の混じったような臭いは鮮明に覚えている。トンネルで大あわてで窓を閉める事もしばしばであった。
小学生時代の最後は、修学旅行の体験である。京都の小学校だったので、修学旅行は「伊勢・志摩への旅」であった。当時、東海道本線・草津線・関西本線・紀勢本線・参宮線とつないで、京都から(あるいは大阪発だったか?)鳥羽行きの普通列車が走っていた。この列車で伊勢へ向かうのだが、これがSLであった。機関車の型式が何であるのかは記憶に残っていない。
中学生時代になるとスキーの上手な友人の父が、信州にスキーに連れてくれた。中央西線(木曽路)では、貨物列車をD51の二重連が牽引していた。「ナメクジ」のニックネームをもつ機関車を見たのもこの時だった。新幹線も開通したこの頃になると、ディーゼル化が進んでくる。信州へは急行「赤倉」号で、これはディーゼルカー、帰りは準急「木曽」でDLが牽引し、蒸気機関車ではなかった。「木曽」号の前に発車していった臨時列車の準急「おんたけ」号はSLだった。この姿を夜の長野駅で見たのを覚えている。
そして、SLに遭遇する最後は、高校2年が終わった春休みに、「一人旅」に出た広島−宮島口間で乗った列車だった。広島駅にやってきたのは何とSL、それもツバメマークの付いたC62であった。この機関車は、現在梅小路にいる。たかだかこれほどの体験なのだが、わずかでもSLを知っている者は、やはりSLに郷愁が湧く。第三の起源はこのあたりだろう。

3号車17番AとD。やっと入手したプラチナチケットである。会津若松でそのまま会津鉄道に乗り継いだので、指定券が手元にある。今回の旅行は、JTBに手配していた。この指定券は発売当日10時にみどりの窓口に行かないと取れないかもしれないと言われていたが、まあいいかと駅には出向かなかった。すると、「満席です」との回答。我々の予測を超えたマニアの殺到か、はたまた大口団体ツァーの買い占めかと想像する(これについては、後者が正解。当日乗車はほとんどが様々な旅行会社のツァーでした。我々の横の席に乗り合わせたのは、当日朝に東京を新幹線でたって喜多方で下車し、桃狩りをしてその日に東京に帰るというツァーの熟年女性4人組だった)。これは、想像していたより「プラチナチケット」かも知れないと思う。
それなら、何とかSLの臭いだけでもかぐために、きっと観光客の多くは喜多方で降りるだろうから、喜多方・会津若松間の指定を押さえ、キャンセル待ちしてみようと考えた。予想通り、その指定券はすぐに取れた。一週間少しでキャンセルが出たとの連絡を受け、喜ぶ。当日乗車すると同じ団体ツァーの中の一角の席であった。きっとこのツァーにキャンセルが出たのだろう。ならば、チケットは大手旅行会社にまずは買い占められるのではないか…と少々複雑な気分にもなるが、連絡を受けた時は「ラッキーだ」と喜んだ。

乗車前日は、飛行機で新潟へ。時間があるので、越後線・弥彦線を乗り継いで弥彦山に行く。当日は快晴で、山頂から佐渡がよく見えた。翌日は、乗車に備えて新潟駅前のホテルに宿泊。ホテルからもかすかに佐渡が見える。夕日が佐渡島に沈んでいくのを、ホテルの窓から見届けた。明日は、あこがれのC57と対面する。