子育てのための家族支援

子育てのための家庭支援

−児童相談所の活動−

柴田 長生


1 はじめに

 家庭支援ということを最近よく聞くようになったが、その始まりはさほど昔のことではない。全国の児童相談所(以下児相と略す)において「家族」という言葉がキーワードとして援用されたのもほんの数年前からのことである。しかし児相の中で、「家族」の視点はここ数年の間にブームといえるほど急速に浸透し、何らかの形で家族療法や家族システムへのアプローチを試みる児相が増えてきている。京都と広島の児相職員が有志の呼びかけ人として、全国の児相職員に呼びかけ、年一回開催される「児童相談所における家族療法・家族援助の実際・経験交流勉強会」という集まりがあるが、今冬開かれた第二回の勉強会へは北海道から沖縄まで、総勢百名以上の参加があった。今児相は、多かれ少なかれ何らかの形で家族システムへのアプローチが必要であると考え始め、実践し始めたところなのである。

2 システミックな見方・考え方

 筆者が家族に関する講演を依頼された時に、必ず用いるひとつのシミュレーションがある。家族は4人。早くして未亡人となった父方祖母、この祖母に女手一つで育てられた父、よそから嫁いできた母、そして一人息子。この息子が思春期に不登校に陥った。
 三世代同居。この家族の歴史からして祖母は気丈な人でなければやって行けない。当然父との関係は強いだろう。その結果いつまでも祖母との関係から独立できないマザコン的な弱い父となる。そこへ嫁いできた母は当初頼りにしたかった父が頼りないと知って、自分が主導権を発揮しなければやって行けなくなる。父への情緒的傾斜は次第に薄れ、それを息子以外には向けられなくなる。嫁姑の関係が葛藤を含むのは洋の東西を問わずお決まりである。息子は母に取り込まれた形で成長する。第二世代のマザコンが誕生するかも知れない。社会的に未熟な息子は外に向けて動きにくくなり、不登校になる…。シミュレーションにおける状況設定は極端だがこのようである。 それでは、この息子の不登校の原因は何なのか、あるいは誰のせいなのか。可能性は4つ。@気丈な祖母 A頼りない父 B息子を取り込む母 C未熟な息子。原因を求めればそのいずれかにあるにせよ、この4人がすきこのんでこのような役割を家族の中で演じるようになったのではない。しかも個々の役割の形成は、この家族の歴史的経過に負うところが多く、また現存する家族力動がそれぞれの役割をさらに強化してしまっている側面も否めないのである。それ故、母子関係論などの既成の因果論的臨床理論に基づいて、この中の誰かを症状に対する原因(犯人)に仕立てあげたとしても、そのことで家族全体が良くなるわけでもない。例えば治療的にこの母親のみに深く傾倒すればするほど、父や祖母がひどいものに見えるだけであり、その結果はますますこの母子を癒着の方向にしか導かないことだってあり得るのである。
 この家族の構造上の特徴は、父と祖母が一束、母と息子が一束、そして父と母(夫婦)の結合が薄い点にある。家族を「世代」という角度から見る時に、「縦の関係(例えば親子関係)」「横の関係(例えば夫婦、同胞など)」などがどうか、あるいは世代間の境界がはっきりしているかといった見方が成立するが、この家族のいちばん明確な特徴は縦でも横でもなく、「二組の入り組んだ関係」ではないだろうか。この夫婦は別にダメな夫婦なのでもなく、基本的に力のない人たちだとも思わない。しかし、この家族の歴史が作り育ててしまった家族の構造的な特徴が一朝一夕で変化するわけもない。そのようなしがらみの中で子どもが「発症」するのである。そして子どもが発症する事で、危機的な状況を含みながらも家族が(とりわけ夫婦が)子どもの症状をめぐって今までとは違った形で子育てに関する問題に取り組むべく向かい合わなければならない状況を生み出したのだとしたら、問題だとされる子どもの症状こそが実は家族全体の救助信号であったり、子どもが「発症」という形で動き始めることにより、家族が今までとは違った形で動き出せるための第一歩を築いたのだと取れなくもない。
 子どもの示す問題行動は、家族全体と何らかの関係を持つ。そして「子育て」という現在の行為は、現在の子どもに対してだけのものではなくて、家族全体に取ってそれぞれに大きな意味を持つ家族生活の一部であり、ひいては親がかって子どもであった頃の過去の「育てられ体験」や、その時なされ得なかった部分への心理的な補填といったこととも大きく関係するのである。

3 児童相談所と家族 −養護の視点−

 戦後の浮浪児収容がそのスタートである児相が最も大切にしなければならない視点は、「養護の視点」である。養護の視点は、子育てへの基盤を支援し、確保する視点である。養護の視点は、虐待家族や崩壊家族やバラバラな家族などにだけ援用されるのではない。2で述べたような「絡まりあった家族」においても、子育てへの基盤に救助信号がともっているのである。ここで大切なのが、広い意味での養護の視点である。また、家族ができあがったその日から磐石な養育力が備わっているのではない。結婚・出産・子どもの成長…といった家族の発達の中で、その家族の養育力もまた発達していくのである。若い家族への子育て支援の場合は、養護の視点を家族の発達段階にあわせて発達的に援用しなければならない。
 養護の視点は、このように広義かつ発達的なものである。そしてこの養護の視点を基本理念に据え、個々の子どもの問題を子どもを取り巻く全体文脈の中で捉えながら、個々の子どもを守っていくのが児相の使命であると筆者は考えている。

4 児童相談所の活動から

京都府の児相が先に述べた視点から取り組んでいるいくつかの取り組みを紹介する。

@ 家族療法の開始

 昭和六十年頃から家族面接に取り組み始めた。従来の母子並行面接では、長時間を要したりなかなか変化の見られなかったケースにおいても、家族療法では十回前後のセッションで何らかの変化を導いていることが多いという実感がある。VTRとマジックミラー付き観察室とインターフォンが備え付けられた家族面接室がその後に整備された。治療スタッフは複数、来談者も複数であり、通常は家族の面接に当たるものが一人、その他のスタッフは観察室で面接を見守り、治療仮説の検討等が複数スタッフでなされる。通常担当児童福祉司と心理判定員のペアで当たっている。
 2で述べたような家族の場合は次のような介入が考えられる。まずは世代間境界を引く介入。夫婦だけで何かを始める課題を設定する。できれば夫婦で新たに実行する事柄を夫婦自らが決定できるとよい。そのための話し合いを面接の場で促すが、なかなか進展できないのが常である。週一回夫婦で喫茶店に行くというのもあったし、中には毎週土曜日の夜に夫婦でドライブに行くということを決めた夫婦もあった。これが息子の不登校とどう関係するのかと思われるだろうが、不登校という症状が家族システムの必然であるならば、これまで曖昧であった世代間境界ができ始めるならば、症状もまた変化するはずである。
 夫婦サブシステムを強化する介入。子どもの再登校の準備に向けて、夫婦がそれぞれ何か実行可能な小さな課題を達成をする。例えば朝起きできるために、父が前日夜に目覚ましをセットする。母は朝3度、5分おきに声をかける。こんな課題を夫婦で決めさせる。子どもが朝起きできればそれでよし、もしそれにしくじっても、子どものために(子育てのために)夫婦がそれぞれ小さな課題に取り組もうとしたことを認めあえることが大切なことなのである。そのことで家族システムが少し変化するのである。
 家族療法のことをさらに述べるスペースはないが、詳しくは筆者らの拙著「登校拒否と家族療法」「非行と家族療法」「父親と家族療法」(いずれもミネルヴァ書房刊)を参照していただければ幸いである。児相の行う家族療法の実際の紹介がなされている。児相の家族療法は、子どもを養育できないから施設に預かってほしいと言った養護相談にも、障害児の施設入所を両親が迷っているといった障害児相談にも、家族がバラバラになりかけているところに子どもの非行問題が生じたといった非行相談にも、可能なら児相は家族を射程にいれてアプローチしたいと考えている。これらはまさに子育て上の問題であり、その解決の中で家族の再構築、家族の決定、問題解決パターンの追加・変更などが試されるからである。また、これらの相談は民間相談機関では数少ない児相独特の領域でもある。

A 就学前の発達相談の中で

 児相の仕事の一つに、三歳児健診の精検や事後指導がある。言葉の遅れや集団に入れない、あるいは夜尿や指すいなどの相談なのだが、そのことの背景に家族システムの問題が見えることもある。ここで重要なのは、家族になり始めたり、子育て開始直後の若い家族の中で生じている問題であるという点である。三世代葛藤や、子どもの相手をしてくれない(ひいては妻の苦労を省みない)若くて未熟な父、子育て不安が募るばかりで話し合えばマイナスのことしか思いうかばない夫婦など、様々なケースがある。
 発達相談では通常子どもの発達検査を実施してそれに基づいて助言するのだが、このような場合はむしろミニ家族療法のような面接を実施する。次回の面接ではとにかく夫婦を来所させるとか、夫婦お互いの不平不満を、夫婦関係を悪くさせる方向でではなく、不平不満を言い合うことでむしろお互いの苦労や不満・不安等を相互認識させる形で面接を進めたりするのである。筆者の体験では、家族の歴史が浅いだけに、少しの介入で家族システムがずいぶんよく動き、また子どもが幼いので子ども自身の変化もまた柔軟であることが多いように思われる。将来における予測されるより深い家族内葛藤への対応力を早い時期に身につけることが、ひいては子育て支援に大きく寄与するものと考えている。これは児相ならではの、早期家庭支援の例である。

5 おわりに

 児相は、その開設当時より施設措置という形で子育て支援をしてきている。措置権を有する児相の歴史の中で施設措置という手段は変わらないのだが、家族ではダメだから取り急ぎ施設入所させるという考えから、どの時点で施設を利用することが子どもに対しても、親に対しても支援となるのか、入所以外の方法はないのか、施設利用によって家族のどの部分を支援することになるのかなどを、児相の処遇会議の中で徹底議論した上での入所ということに変わってきている。
 実は所員全員参加で毎週開かれるこの処遇会議こそが児相の生命線なのである。そして会議での基本線が家族の視点であり、養護の視点なのである。処遇会議は、子育てのための家庭支援対策会議であるといっても過言ではない。
児童虐待問題は児相に取って深刻な問題である。家族の中で起こってはならぬことなのだが、虐待問題の中にこそ家族の視点が明確にならなければならない。加害者である虐待している親が、実は子どもの時には被害者であったり、自分の連れ子を虐待する再婚核家族の母が、今の夫と営んでいる核家族の他に実は自分とその連れ子との母子家庭をあわせ引き受けていかなければならない辛さからの児童虐待であったりする。このときに支えなければならないのは、実は加害者だとみなされる親の方ではないか。この親を疎外し追いつめないこと、そしてこの親ときちっとコンタクトを取ることこそが、虐待問題へのケースワークの第一歩なのである。
 その他、「あの家族なら子どもが悪くなっても仕方がない」という見方で親指導を進める学校などの関係機関に、家族の視点から連携を進めていくこと、家族を守るための法律的な知見を弁護士との定例事例研究会で深め、児童福祉的観点からの法律的ノウハウを蓄積し始めていることなどもあるが、詳しくは触れるゆとりがない。
 様々に寄せられる相談に対して、右往左往しているのがまだまだ実態ではあるが、我々の児相でも家族の視点からの家庭支援活動がやっと緒についたばかりである。

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