児相内には伝統的に児童福祉司・心理判定員の間にPower Struggleが存在していた。その中で自らの、あるいは自らの職場・職域の専門性とその確立について、様々な思いが交錯してきた歴史がある。児童相談所における家族療法の導入と、それらとは、どのように関係するのか。
・伝統的な児童福祉司と心理判定員との対立・確執 (power struggle)
ケースワーカー的文脈… 周辺状況、関係機関、家族、直接コンタクト、
専門性(コンプレックス)、プライオリティー、
ケースワーク志向(幻想)
vs.
心理判定員的文脈 … 個体診断、心理主義、治療志向(治療幻想)、
専門性(コンプレックス)、間接担当、子ども中心
両者は、今日まで臨床チームを組んだのか、分業してきたのか、分節化してきたのか
<分化と統合> どんな形態? どんな機能? どんな対立?
いつチームを組む? チーム維持のためのシステムは?
→ このことの議論と実践は、あくなく繰り返されている。
その割に大きな成果を得てはいない?!
cf. 一つの象徴としての「母子平行面接」
福祉司=親係 判定員=子係
職域間で、同一職種間で分節化してきたことの象徴としての<閉ざされた、孤立化させられた一芸>への志向
職場内で積極的には認知されない…
職場内で伝承されてはいかない…
職場内で一般化されていかない…
スペシャル vs. ジェネラル
* 専門家志向と治療幻想 〜孤立化した一流半の専門家〜
cf 専門志向を放棄した、二流半の自称・他称専門家
両者の間の power struggle
臨床=治療 問題解決=カウンセリング と位置づけ、そのことを彼岸の至宝とかってに思いこんでいる所員。カウンセリング・各種の心理治療が特権的な専門領域であり、そこまで踏み込めない対人関係を扱う職員は、専門性に欠ける、その理論・手法こそが専門性の中身であるとし、それをクローズドな位置に起きとどめておいた<専門家達>
一流半である児相においては、このことはことさら起こりやすい。
* 児相のめざす専門性は、オールラウンドなのか、スーパーマンなのか?
・児童問題のすべてにそれなりに対応しなければならないと思っている
(思いこんでいる)むき。
・児童相談所の(児童相談所員の)専門性とは何なのか?
* 「上記のことのふりかえりが必要だと思っているが、次々と持ち込まれ
る相談に忙殺されてしまって、ふりかえれない」と思い込んでしまっている
児童相談所。
* 以上のコンプレックスの解消のために導入されたのか家族療法ならば、それ
は必ずすたれる。
児相が登校拒否ケースを多く抱え、継続指導における長い経過を有しながらも、決定的に有効な定番の処遇方法が見つからず、面接で入手する情報も、たとえば母からだけのものであるといった一面的なものであり、原因探究の 罠に落ちながらも(「子どもの症状の元凶であるどうしようもない弱い父を、具体的にはどうするのか」といった)、家族力動の全体について把握することもできなければ、部分の話を聞けば聴くほど堂々巡りに陥るだけで、かえって全体を分かりにくくしてしまいながら、「悪いのは父だったのだ!!」といった因果論を処遇者の側が強めてしまうといった経験を誰しもが持った。
また、「よくなるまで気長に待ちましょう」式のアドバイスを、実感がないまま漫然と積み重ねるといった経験が共通にあった。この時に、「できるならば家族全体が変化しないか … それは土台無理なことなのだ」といった定式が処遇者側にあった。
そんな時に、民間クリニック中心に家族療法の導入があり、センセイショナルなアピールがあった。セールスポイントは、特効・短期治療・治療に対するイメージ一新(変てこな事をすれば治る)… そんな印象であった。うさん臭いが、トレンディー… 。
導入するか否かは別にしても、登校拒否が増えた、旧来の児相のアプローチに対する適切な批判になっている、そのうえ有効で児相でも実施可能ならば…といったあたりで、児相を触発するには十分な材料があった。児相に導入してみると、この方法は登校拒否に対する特効的方法なんかではなく、むしろ児童処遇一般をネットワークする原理原則がむしろよく見えた。
合同動的家族描画(CKFD)を実施する、サーキュラーにジョイニングをする…といった技法を導入するだけで、今まで見られなかった質の情報が、HERE AND NOW の形で、知見された。その技法はそんなに特殊なものではなく、使用しても、観察しても、形態としてわかりやすい。
* それ以前から、ケース処遇はチームで当たる伝統はあった。
全員参加の会議で処遇を検討する習慣があった。
その土壌に新たな技法を導入することで、児童福祉司を含めて深みはともかくもにぎやかな議論になった。それがチームを元気づけた。
W やがて…
家族療法の導入によって
従来の治療(処遇)概念・治療(処遇)経過・治療(処遇)構造
治療(処遇)効果・治療(処遇)効率…
等が大いに見直された。
全家族面接は児相ではとても無理だと思いこんでいたこと。特別ではなく一般的なこととして実施が可能な相談形態としての家族面接
* 児童福祉司の家族調査に基づいて、家族の誘い方は工夫される。そして家族の来所を実現する役割を担うのが児童福祉司であった。また、来所した家族の面接を、マジックミラーの後ろで見守りながら記録を取るのも福祉司である。
* 家族が来所したことも、その後の家族の動きについても、担当福祉司の喜びは心理判定員のそれとひと味違う。自分があれこれ苦労して呼べば、家族は思いの外動いてくれるという実感ができあがった。
* 福祉司の方から、「家族で処遇しよう」という声が次第に出されるようになってきた。
複数のスタッフが複数の構成員からなる<家族>をみる、ミラーの裏から見る、VTRに撮って何度も見る… システムを見る、システムを見るシステム(スタッフ)ができる、システムを見る際のシステム(面接室)がある…
* 児童問題の根幹は「養護」である。児童相談所の仕事は、子どもの養護・養育基盤に対するあらゆる援助である。
* 子どもが示す非行・不登校・性格行動その他の症状の背景に、養護基盤上の諸問題=家庭基盤・家族基盤の脆弱さ・複雑さなどを垣間みることが少なくなかった。そして、狭義の養護相談とその処遇は、いわば児童相談所の専売的領域であった。
* 他方、近年家族の病理(崩壊)が社会問題としても語られるようになり、少子化の流れとともに、家庭支援の流れが国政レベルでも叫ばれ始めている。
* そう大上段に振りかざさなくても、子どもの出す症状(子どもに関する相談)の多くは、養育途上のある一時点でのことであり、子育てとセットになった、その時々の悩みである。
* 子どもの養護基盤の基礎単位は家族である。家族の中で子育てが実現されていく。ゆえに児童相談所は、家族へアプローチしなければならない必然がある。
* 問題を、家族システムの中に位置づけなおし、そのことによって家族が動き出した時に、<変化>は生じる。その結果、家族が手にするものは、主訴の消滅という以上に、変化への努力家庭が家族トータルな財産になるものである。
* そのために我々は、主訴の消滅ということ以上に、家族の全体を正確かつ有効にとらえるかに勝負がかかってくる。
* 構造的家族療法の視点から、さし当たり以下の3点を重視していった。
m 家族として、内外共の適切な境界の設定。
n 一般的で、かつ機能的なサブシステムの形成。
o 決定、指示などの権威と責任をとる力の成立。
合同面接だけでなく、個別の面接にもこの視点は生きる。発達相談の場では一度きりの面接でも有効であると知った。調査面接・受理面接でもこの視点からの情報収集、面接の進行が大きく変わる。ケース処遇会議で共通の視点から議論が飛躍的に深まった…
* ジェノグラムの急速な普及 …ケース資料に欠かせなくなった
* 発達相談におけるこの視点の有効性の定着
* インテーク面接と家族面接の初回面接との類似性
* インテーク面接をVTRに撮って検証しようという福祉司セクションの動き
* ケース会議の議論のポイントの変遷
* 「一人家族面接も家族面接である」という位置づけ
児相における家族療法は、むしろ児童相談所チーム全体が為すところの総合処遇の一つである。家族療法が臨床チームを作っていく
児相における使命は、このところを変えるが為の技術の研鑽でなければならない
* 非行相談に… これらの相談に対して
* 養護相談に… 家族療法の視点から
* 障害児養育に… 具体的にはどのような
* 病気に… 視点・技法・処遇展開が
* 発達相談に… なじむか…
* 里親委託に… 児相的試行錯誤…
* そして、健全育成相談に…
W 児童を処遇する際の基本的な視点としての家族療法
一時保護所職員も加わって…
児相内チームを強化させる、責任の所在がはっきりする、仕事の内容が公開される(密室性の回避)、そのことでそれぞれの仕事が明確になる、職員そのものが守られることにより、仕事が安定する…
* 相談行為が、職場内でガラス張りになるということ。そのことによって責任の所在がはっきりし、個人が不透明に臨床事態をかつぎ込むことが防げる。そのことが職場と職員とを守ることになる。
* このことは、結果的に来談者の秘密保持、個人情報の保護に大きく寄与する。
* 児相かこれまで取ってきた、チーム処遇主義、会議決定主義等をさらに具体的に支え、点検する視点を与えてくれる。
* 各種ミーティング、ケース進行管理等も、職場システムの活性化と情報のオープン化という事に大いにつながっている。これが職場と職員とを守っている。ケースは、***さん個有のものでは決してないということで、担当個人を基本的には責めないつっこんだ議論が、オープン化する事によってはじめて可能となる。
* 児童相談は、その多くの場合児童や家族が属している社会的な機関(例えば学校)との関係を抜きにしては進まない(そこと連携を取るかどうかについては別にしても)。そして、そこで生じている様々な事象に対する手だてを講ずる際に、システム論は有効に作用する。
* 関係機関全体を扱う場合にも、システム論は有効に作用する。そのことでより積極的な相互機能の向上と連携がはかれる。
cf. 指導困難校へのアプローチ
* 関係者ゆえに、事態に巻き込まれることが少なくない。そのことからのときほぐしにシステム論が有効に作用する。
単に不登校が10回の面接で終わるといったことだけではなく、この方法の効率の良さがどこにあるのかについてのシステミックな観点からの承知が必要である。キーワードは<パラダイムシフト>である
* 治療効率は、問題(主訴)の同定や、治療枠組みの設定(どの範囲に対して、どんな方法でもってかかわるのか。それはどんな変化を期待するのか。 etc. )と大きく関わる問題である。別の言い方をすると、問題やその背景を織りなす<コンテクスト>の切り出しを扱うということになる。そのことの成功は、実際的な<治療効果>とも大きく関連する。
* 治療過程で生じる<システムが動き出した>時の、その都度の評価・評定や、次に向けての仮説検証…といった一連の流れは、今までの相談の流れ(相談枠)や仕事の流れ(仕事の枠組み)に関して、今までとはかなり異なった認識を生じさせている。それが職場や仕事を変化させる。システミックなアプローチは、児童臨床の場に確実な<パラダイムシフト>を生じさせている。
* そのことが様々な関係者に<わかりやすさ>を与える。相談の流れ、解決して行くべき方向、そのために関わって行くべき領域等に対して、今までとは違った価値を含んだ<明快性>を与える。職場内でも、ケースにとっても、関係機関にとっても、そのことが明確な枠組みとなる。
* 以上のことが、一定の効果と効率につながる。
* それ以上に、児童相談臨床チーム作りに大きく寄与する。
組織・機構の中での「家族療法」の位置づけ、認知、市民権は得られていなければならない
* 職場内認知・効果
全職員への方法論の浸透。
各セクションならではのシステミックアプローチの具体的な展開
* この方法は、何も家族面接室の面接の中にだけ具現化するのでは決してない。 家族療法チーム(メインセラピスト、バックスタッフ)それぞれの、役割を通して認知と力量を深める。
* 組織・機構内認知・効果
設備の整備、予算化
実績の認知と公報 …事業概要に継続して実績報告していること
研修・講師派遣・出版…
スタッフ、研修、スーパーヴァイス等の体制整備
* 公的機関が行う家族療法
民間クリニックが狭義に<治療>を標榜するのに対して、児相の場合は、むしろ広く<処遇>を標榜する。
家族療法的方法論の適用のレインジを広く取れるために、児相ならではの家族療法を確立していく必要がある。
cf. 法で規定されている児相の仕事
→ これにも適用をはかるために
* 無料であるという事
排他的・独我的なものではないファミリーケアとしての方法でなければならないということ