新聞に見る、児童虐待死亡事件

毎日新聞 平成10年10月25日 朝刊


 久々に子どもの虐待が大きく報道されていた。毎日新聞の平成10年10月25日朝刊である。同紙によると、平成9年1月から平成10年9月までの間に、57人の子どもが死亡している。被害者の9割が6歳以下であり、加害者の6割が男性(実父20件、義父12件)であるという。



死亡事例の年齢別分布
年 齢0歳前半0歳後半1歳2歳3歳4歳5歳6歳7歳11歳12歳13歳15歳
件 数  9  610 6 7 6 2 6 2 1 1 1 1



我々が考えておかなければならないこと


この数字は多いのか、多くないのか…

 <親が子どもを殺す(いたぶる)>というセンセーショナルな事態と、<児童福祉>という錦の御旗が重なると、「<子どもの虐待>ということはとんでもないことである」というシナリオができあがる。そして、そのことだけが傑出してしまったきらいはないだろうか。
 子どもの虐待は防止されなければならない。しかし、心に留めておかなければならないのは、「子どもをめぐる問題・出来ごとは虐待だけではない」ということである。虐待が重大な子どもの権利侵害であるということは十分に承知した上で、<虐待>だけが子どもの権利侵害の中で、傑出して一人歩きしてしまうことをまず恐れる。
 死亡事例だけであれば、交通事故死の方がはるかに多い。現代の学校や家庭に目を転じたときに、そのほかの子どもの権利侵害は数多くある。その中のひとつが<虐待>であると言うことをあくまでも忘れてはなるまい。ある事象に(例えば極端な放任に)、<虐待>という定義づけ(=ラベル)を貼ったときに、急に「ネグレクト」という呼ばれ方がなされ、意味が大きく変わることを想像してほしいのである。呼称が変わっても実態の本質は変わらないのに、実態に付与される意味は大きく変わる。


児童福祉の中での、<子どもの虐待>の位置づけ

 子どもの問題を、世の中の「はやり・すたり」に乗った形で、ある事象だけを取り出して特殊化してはいけない。<心のケア><切れる子ども><子どもの虐待>…。あえて斜に構えて言ってしまえば、別に今に始まったことではなく、前からあったことだし、現代ならではの特殊な問題でもない。
 「とるに足らぬこと」だと言っているのではもちろんない。大事なのは、そのことだけに焦点を当て、それを一人歩きさせた上で、そのことだけを大きくクローズアップさせながら、「大変なことだ!!」と大騒ぎし、評論的にその原因や対策の不備などをセンセーショナルに論じないことである。子どもが特殊な存在なのでも、子どもが大いに危ういのでも、子どもをめぐる事態がとんでもないことになってしまったのでもない。
 私たちが主催している虐待に関する集まりで、ある保健婦が養育放任の事例を報告し、一地域でのささやかな保健所と児相とのネットワークを報告していたとき、臨床心理士と称する方が「弁護士は参加されないのですか」「ケアのためのプログラムはどのようなものを準備されているのですか」と質問された。一地域でのネットワーク会議に、そのようなものをわざわざ取り出して準備しているわけではないので、報告者の保健婦は返答に窮していた。問答はそれで終わったのだが、終了後のアンケートに、質問者が「全国レベルとはほど遠い」と書かれたのを見て正直腹立たしかった。このような専門家づらをした者たちが、問題を歪曲化させ、事態の認識や真の問題解決をダメにさせているのだ。


児相は虐待プロパーな機関か!?


 いよいよ、「虐待に対応せざるんば、児相にあらず」という風潮になってきた。50年ぶりの児童福祉法でも、具体的に虐待への対応を標榜した法改正はなされなかった。そのことへの意見は、これまでからも、そして今も、日弁連などから主張され続けている。そして法整備の現状を受けてなのか、厚生省が編集する児相職員の業務マニュアルである、改訂された「児童相談所運営指針」には、虐待対応に関する記述がずば抜けて突出している。
 厚生省から出された通知文書も、平成9年6月のものは「現行法体制の中でできうる最大限のことをしなさい」というのがその主旨であり、平成10年3月のものは「通告制度(児童福祉法第25条)があまり活用されていないので、そのことを広報しなさい」というのがその主旨である。
 毎日新聞の解説欄に、「全国174カ所の児相は慢性人手不足で常時通告を受ける体制が取れず…」というくだりがある。そのような現実を受けてなのか、24時間通告OKに、即日受理の体制を…というふうにしなさいという動きがある。しかし、繰り返して言うが児相は虐待相談だけを受けているのではない。様々な人間関係の狭間で誰とどこで生活すればいいのか困っている子ども達の相談(養護相談)、心身障害に関する相談、非行の子や14歳未満の犯罪行為を行った子どもの相談、不登校や<切れる子ども>の相談など、介入・措置といった法的行為をも含んで、対応する機関はすべて<児相>と言うことになるのである(少なくとも児童福祉法上はそうである)。そしてそれらのすべてがやり切れているかと言えば、現状は***であるという実態は否めないが、もしそれらの取り組みが児相で行われるべきであり、それがなされないが故に子どもの問題の解決が進展しないというのであれば、国家的問題意識で児相の充実・増強と整備に取り組まなければならないはずだ。
 虐待に法的後ろ盾を持って対処できるのは、今のところ児相だけである。しかし、上に述べたことをふまえた上で、虐待に十二分に対処できていないことを指摘するのならば、報道機関から対応機関へのバックアップはあっても、「怠慢は許されない」といったまるで天からの叱責のようなことなどは、受ける筋合いがない。


アメリカの「通報法」はベストか!?

 児童福祉法第25条の要保護児童の通告と児童虐待に関しては、これまでから様々な議論がある。そしてその時によく引き合いに出されるのがアメリカの「通報法」であるが、これがユートピアであるのかどうかについてはよくよく考えておいたほうがよい。
 通告の問題は確かに存在する。そのことを受けて対応できるための法整備の問題も存在する。ただ、児相は警察ではない。かたや犯罪行為でもある<虐待>事象を(<虐待>を犯罪行為としてどう扱うのか)、強制介入とケアという両極端を持って同時に対応することが可能だろうか。従来のスタンスである<相談>という立場はどうなるだろう。非審判的介入などと言うことはおおよそできそうにもない。介入という相談スタンスについては、現行の児相の中では、そのための技術が確立されていない。児相が受け持つべき業務の時代的な推移については、周囲からの<べき論>ではなく、児相内部からの<あるべき論>がもっと出されなければならない。
 通報せず=罰則規定というものを専門家に義務づけるとどうなるのか。罰せられないための(リスク回避のための)通告ということが増え(アメリカの現実はそうだと聞く)、通報=即受理、即対応が原則になるだろう児相はどうなるのだろう。必要なものだけが確実に通報され、そのことに対して確実に対応できるための条件が何なのかが、見えそうで見えない。


事実を受け止め、事実から見据えていく

 虐待による死亡事例ということを見る限りにおいて、通告・相談という段階に至る前に、事件が先行してしまっているように思われてならない。相談に至った以上は、<子どもを断じて死に追いやってはならない>というのが鉄則である。これはたとえ事例数が少数であっても、児童相談所内にそのための方法論が存在しなければならない。報道された事例の中で、対応可能な先行事象が存在していたのかについて、注意深く承知しておく必要がある。
 死亡事例の年齢分布は、大いに着目してよい。死亡するのは、ほとんどが6歳以下の乳幼児である。0〜1歳の乳児がもっとも多く、ついで6歳までの幼児がそれに続く。<子育て初期の、子育て上の、致死傷行為>である。たまたま死ななかったが、重傷を負った子はきっとさらに数が多いのであろう。

 対応の方途を検討するのに、次のようなことはガイドラインにならないか。

  @ 死亡事件が<乳幼児に集中する>ということに焦点づけた対応法を、意識的に展開した方がよい。
    (発達依存性の問題)
  A 死亡事件に関しては、事後対策であるにせよ、<予防する>という観点からの取り組みをどうで展開するか。
  B 死なずに医療機関に来た場合 → 確実に<通告>対象とすること。それでも、虐待であるか否かの認定が
    難しいかもしれないが、相談・介入といったことにつなげる可能性は大きい(即相談・即対応へ)。
  C その兆しと思われることを、保健婦や保育所などが察知した場合。
    認定がさらに難しい。 → ネットワーク・モニタリングということになるが、直接対応するかしないかを
    めぐって、関係者間で意見の齟齬が生じる可能性も高い。ケースマネージメント力やチームワークが問われる。
    介入だけでなく、時には、<子育て・家族支援>の視点が重要になってくる。
  D 「ネグレクト」と見なされるような事態が疑われた場合 → 虐待事例と見なすか否かについても大きく分かれる。
    何に焦点づけて対応するのかが明確にならないと、よってたかって<不良な親攻撃・排除>になりかねない。
    <養護>の視点が重要になってくる。
  E ケアの問題は、少なくとも通告〜初期対応段階ではかなりファジーな視点になりかねない。
  F 虐待が生じた背景は、事例によってずいぶん異なったファクターが入り込んでくる。
    虐待の生じた背景が、「子どもを愛せないといった家族病理に根ざしたものか、それとも失業や離婚など
    社会病理が反映したものか」(毎日新聞、池田由子氏のコメントより)によっても、その対応や、ケアの
    ありかたは大きく変わってくる。どの段階で誰がどう手がけるのかについて、分別が必要となる。

 以上の@〜Fのポイントは、それぞれに質の異なった対応方向だと思われる。虐待防止への取り組みとしてはそのいずれもが大切だと思われるが、現在行っていることが、どのレベルでのことを、どの方向に向けて行っているのかについて、取り組んでいる関係機関や関係者がよくよく自己覚知していなければならないと考える。

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