児童福祉法改正にむけて開かれていた中央児童福祉審議会基本問題部会の中間報告
を受けて、平成8年12月16日に全国児童福祉主管課長会議が開かれ、その中で厚生省としての今後に向けての説明がありました。私のホームページでは、その議事録から、児童相談所に関連する部分を再構成してまとめています。
その内容について、児相に勤務する私としてはかなりの異論と危機感を持ちます。そこでまず、説明のあった各項目に関連づけて私なりの意見を以下にまとめてみます。タイトル部分をクリックすると、主管課長会議で説明された内容が表示されます。また、そこにある☆☆☆をクリックすると、このページに戻ることが出来ます。
特に全国の児童相談所職員の方々からのご意見・ご感想や、新たな情報を頂きたいのです。よろしくお願いいたします。
社会防衛施策、あるいは近未来の国力低下のための先行施策といった印象が非常に強い。それに<民間活力の導入>というキャッチフレーズとともに行政改革がすすめられる福祉業界一般の動きと連動している。少なくとも<21プラン>や<エンゼルプラン>の根本はそうではないだろうか。
<少子化>ということがどれだけの危機になるのだろうか。児童の権利擁護と少子化とは少なくとも関係がないし、少子化への(少子化傾向を解消するための)対策として家族・子育て支援があるわけではないだろう。
戦後間もなくの子どもの実態と、今の子ども達の実態は大きく異なる。戦後の浮浪児対策としてスタートしたのが児童相談所の始まりであるのだから、児童相談所も、そして児童福祉法も見直されることは必然だとしても、誰のニーズによる、どの方向へ向けての見直しなのか、ということだけは十分警戒しておいた方がよい。
児童相談所は、子どもを守るための機関であり、子どもを代弁する機関でなければならない。これが<子どもの権利条約>の主旨そのものである。そして法の改正は(あるいは児童福祉法の存在意義は)、社会が子どもを擁護し、子どもを代弁するための社会的規範でなければならないはずである。さらに条約は、<権利主体としてのこども>ということをうたっているのであるから、権利条約というガイドラインに沿った法の改定が当然目指されるべき方向であろう。
基本命題である「少子社会の子育て環境づくりを目指した制度の再構築」という言葉にもよく現れているように、ここでいわれる福祉の主体はどうも<子ども>ではない。育てられるのは確かに子どもなのだが、子どもは<子育て>などしない。育つ側の福祉ではなく、育てる側の福祉という色彩が少なくとも強いのではないか。子どもに関する様々な問題を解決せんが為の福祉といってもよい。誰が利得を得るのかについて、よくよく考えておく必要がある。
児童福祉の権利主体はあくまでも<子ども>でなければならない。
もう一つ、<子どもを育てる>動機は社会の側にもあるので、その際に社会が担う制度・方法の検討にどうしても議論の主体がシフトしがちである。しかし、社会の側も無尽蔵に対応できないので(或いは対応できることが逼迫してきている、あるいは破綻しかけている…)、あるいは少子化という物理的な変化に伴って今存在する子どもを育てる側の様々な社会機構(企業・営利体という側面もある)が、その存続に危機又は破綻を内包しかけているので、その事への対応にどうしても迫られる側面がある。言葉を換えると、これまで<児童福祉>を標榜し担ってきた社会の様々な機構の側の危機がより強く見えるのである。ここのところを支えるのは<児童福祉施策>そのものではあっても、「子どもを守る」という児童福祉本来の目的と質的に大きくずれる可能性もまた存在しかねないことをくれぐれも忘れてはならない。
改正へのラインが最早一直線に敷かれてしまっている感じがする。利害の合致する関係業界は、当然その事を望むのだろう。そのことを「それが社会の声なのだ」と全面正当化しないことである。
それに対して児相をはじめとする現場からの意見を聞かれるチャンスやそのためのシステムがほとんど稼働していない。もし意図的にそうされているのなら、まさに本末転倒である。
現場から意見表明をしていかなければならない。それも急がねば…!!
基本問題部会中間報告の冒頭「1 児童をめぐる現状と今後の支援の在り方について」という個所の原文をまず参照していただければと思う。現代の児童(児童問題)をどう見るのかということについては私見もあるが、ここではそれは扱わないことにしたい。また報告原文の中に「中でも、現行の児童福祉法の下で適切な対応が十分図られないと指摘されている虐待などの問題については、法制度及び運用の在り方を含め総合的な検討を進めていく必要がある」と述べられている個所に関しては、本当に真剣に検討を深めていっていただきたいのである(ところが後に述べるように、<困難なものは困難>とばかりにペンディングになってしまうのである)。
このパラグラフの終わりに「(3) 今後の支援にあたっての考え方」という項目がある。問題はこれをどのような方向に向けて、どのような方法で実現するのかということになってくる。
・児童を保護し養育するだけでなく、自立した社会人として生きていくことが出来るようにすること
・自立支援に際しては、問題の多様化・複雑化に対応し、個々の児童の実態に応じた支援を行うこと
・児童は相互にふれあいながら自立に向けて自然に成長する力を持っているので、それが最大限発揮できるように見守ること
・現行法は基本的に入所形態を前提の支援なので、今後は相談や通所など在宅ニーズに対応するよう体系整備すること
・児童に限定するのではなく、その背後の家庭の問題も視野に入れ、幅広く家庭への支援を強化すること
施設に関しては、従来から様々な議論があった。例えば教護院への公教育の導入などは、随分前から指摘されたが未だに解決していない。このように検討されるべき点も多いのだが、気になる点や検討されてない点もある。
まず、ここで言われる<そご>やミスマッチは、客観的に見て本当にそうなのだろうか。もしそうならば、措置を決めた児童相談所の側の判断ミスである。入所後の指導経過の中で目立ってきたのなら、施設と協議する、あるいは措置を変更する等の動きが児相に必要である。あるいは施設内での課題であるのなら、それは施設内での努力や、児相・施設間で協議する事が大切である。子どもの意見も聞かなければならない。ここで言われる<ギャップ>のようなものは、様々な理由で家庭から分離されて施設に入所するのであるから、出てきて当たり前だろう。要はそれを埋めていけるための様々なシステムが整ってきているかどうかが大切なのである。ここのところで特に大事なのが、子どもの意見表明権と定期審査なのだが、ミスマッチの話から、上に述べた2つのことが制度的に全く検討されないのは何故なのか。
この後の議論展開が問題である。例えば相談を行える施設というように、施設機能(職域)の改変の方向に議論が進むのは何故か。これは<こども家庭支援センター>機能にまでジャンプしていくのである。その議論は後ほどするにしても、<ミスマッチ>だと思っているのは、施設管理者や施策遂行の側(あるいはその子を問題視している社会の側)の認知ではないだろうか。恐らく子ども本人はミスマッチだとは言わないだろう。
施設はその地域の中の1つの資源だと考える。地域の中の資源なのだとすると、地域の中でよりよく出来ることと、地域内の機関であるからこそ地域の中では出来にくいことと2つが考えられる。相談・通所・指導といったことに後者の可能性が含まれるというのは、相談機関に従事した者であるならば容易に想起できるはずである。家族・家庭を扱う際にはその傾向は更に顕著になる。地域の機関だからタイムリーにうまくいったという場合と、地域の機関が手を出したばっかりに全くうまくいかなかったという場合の両方がある。そのことは、例えば学校のような地域に密着した機関に指導の実例を尋ねてみると、きっと両方の経験談を聞くことができるはずである。
このような可能性をはらむ仕事を、全面的に、行政からの事業委託を受けて、自らの地域で児童福祉施設が行うことは、きっとうまく行かないだろう。地域福祉を標榜するには、そのための方法がもっと吟味・検討されなければならない。手近であって、どんな相談でも、24時間いつでも、手短に、困った時には子どもをまず預かって、手軽にお手伝いしましょう…というのは、真に子どもを守るためには弊害にしかならない。ひいては家族の援助にも、地域の援助にもならない。<即効性のコンビニ対応>をしてしまったばかりに、後でその子どもにとって取り返しのつかないものになってしてしまったという苦い思い出は、児相職員であればいくつかの事例を知っているであろう。ここでは、まさにそれが起こるのである。そして、社会の側は、すぐに答えてくれる<即効性のコンビニ対応>を求めやすい。
施設の先行き危機に乗じた、<渡りに船>のような施策は断じて取るべきではない
。
児相職員である私にとって、まさに青天の霹靂の提案である。これらのことが提起されるのは周辺からの児相批判の結果ではないか。<地域にとって役に立たない児相><なかなか施設に措置しない児相><すぐに何も具体的なことをしてくれない児相><時間のかかる児相>…こんな批判が聞こえてきそうである。
一部はまさに正当なご意見だと思う。しかし一部は<子どもを守るために児相が正当に頑張った結果に生じた批判>だと思われるのである。そして、問題は後者の批判がどこから生じたのかということである。あるいは<児相役立たず論>が施策にまで反映されるのは、もっぱら後者の批判ルートによるのではないか…といったうがった推測が私の中にある(後に述べる<バックアップ機能>の提案起源もこのあたりにもないだろうか!?)。
児相のブランチというが、児相が大切にしてきた<合議制><チーム制><専門性>などは、このシステムでは機能しない。<こども家庭支援>の為だからこそ都道府県業務にするのなら、それを少なくとも市町村を飛び越して<地域資源>に対して委託してもうまくいかない。担当する業務が近似しているからといっても、より身近なところに児相よりは数多く存在するといっても、そのことに安易に頼ってはいけない。ましてリストラの手段には断じて利用すべきではない。<金かけず、当座の効果をねらって…>というやり方は決して成功せず、長続きしない。主任児童委員制度、ショートステイ事業その他の事業が、ことごとくうまくいっていないことをきちっと省みるべきだ。
児相は、児童相談所運営指針にあるように、<高い専門性><地域住民浸透性><関連機関・施設との連携>を更に目指し、現行体制で<子ども家庭支援>を直接行うべきである。175ヶ所という数がが問題なのであれば、ここのところを大改革すればよい。最低人口50万人規模に1児相、職員は現行体制で10〜15人規模の相談所にすればいい。職員がこれだけおれば、基本ユニットとしての専門チームは成立するはずだ。他領域の専門機関を地域にどう置くかという事も、児相の小規模多配置とあわせて考えることが出来る。
この制度の意図や、具体的なイメージがまるで分からない。児相に対するより積極的な意味があるのか、あるいは現行児相への批判から提案されたことなのか…。会議で説明された言葉を聞くと、そのいずれもが想起される。ひがんで受け取れば、現行児相は、非効率で不透明、処遇決定が専門的でなく、客観性に欠ける…。恐らくそこまでの意味はないのかも知れない。しかし現行の<児相職員チームによる処遇会議による合議決定システム>に対する何らかの意見なのであろう。
かつて電話相談事業と共に導入された<児童家庭専門員>とこのバックアップグループはどこが同じで、どこが違うのだろうか。筆者の児相では、<児童家庭専門員>として弁護士や精神科医などを擁しており、法的検討や法的介入が必要な時には、ケースカンファレンスの形で弁護士との協議を月1回開催してきているし、月2回来所していただく児童家庭専門員としての精神科医には、あえて受理判定処遇会議に出席していただいている。そのいずれもが児相業務遂行上の必要性から、児相内部でボランタリーに始めたことである。
その事を組織内でボランタリーに開始するのと、法制度上で整備された後に導入されるのとでは、その意味が大きく異なるように思われる。あるいは、プライベートな事柄を扱う機関であるが故の、医療モデルで言われるところの<サーベイランス>機能のようなイメージでもあるのだろうか。
児相の活性化のためには、2、3で述べたようなことがまず児相内で論議され、そこからの意見が十分に反映されたところで具体的に検討されるべきではないか。また、全国の児相のかかえる地域は大都会から田舎までまさに様々である。それらの地域性によって、地域福祉の課題も、その解決方法も、そのために必要な制度・運用方法も、児相活性化の具体的テーマも大きく異なるだろう。その事を十分検討された上での提言であるとは到底思われない。提言がもしうまく行くとしても、どうも大都市モデルであるように思われてならない。
里親問題、虐待への法整備、自立援助ホーム(施設のアフターケアの問題)などについては、更に突っ込んで検討していただきたい問題である。
措置権に関しては、今回触れずということなのだろうが、措置権とリンクした相談機関であるからこそ出来る仕事の意味を重視していただきたい。措置権を持たない精神薄弱者更生相談所などの機関がもつ現行のジレンマを考えれば、その意義はすぐに分かるはずである。
触れられていないが、職員の資格・任用問題、児童の意見表明権や最善の利益を実現するための手続きの検討、個人情報保護の問題(特に児童の)、関係諸機関と児童福祉機関との関係の在り方の検討、純行政機関(例えば本庁など)の役割 ect. 検討していかなければならない問題は他にもあるはずであろう。