実践家のための

仮説・検証のすすめ

柴 田 長 生


システミックなものの見方・考え方ができるために

 問題解決をめざすに当たっては、<システミックな見方・考え方>のできることが大切である。教師などの関係者の方々に子どもの問題や家族に関する講演をする機会があるが、よく用いるひとつの家族システムのシミュレーションがある。
 それは次のような家族事例である。この家族は私が作り上げた仮想家族である。

 家族は4人。早くして未亡人となった父方祖母、この祖母に女手一つで育てられた父、よそから嫁いできた母、そして一人息子。この息子が思春期に不登校に陥った…。


ジェノグラムを書いてみることのすすめ

 この家族を図示するとこのようになる。こんな家族図は<ジェノグラム>と呼ばれる。わかる限りの情報で図を書き、それに年齢や職業などを書き込み、それだけではなく家族の経過や一人一人の特徴などを書き込んでいく。人間関係の距離や、関係の良否なども書き込んでいくと、家族全体の雰囲気や<形>が見えてくる。そこで見えてきたものが、<家族構造>や<家族システム>などと呼ばれる<ひとつの形式>なのである。ジェノグラムを書くのは、家族構造を把握するための仮説・検証のためである。
 この家族の場合は、次のような形が見えてこないだろうか


 そして、ここで見て取れた<形>から、次のようなことを言うことができないだろうか。それが<家族仮説>なのである。そしてこの仮説が妥当なものかどうかを、<家族の実際>に当たって見る中で検証していく。

*   *   *

 この家族の構造上の特徴は、父と祖母が一束、母と息子が一束、そして父と母(夫婦)の結合が薄い点にある。家族を「世代」という角度から見る時に、「縦の関係(例えば親子関係)」「横の関係(例えば夫婦、同胞など)」などがどうか、あるいは世代間の境界がはっきりしているかといった見方が成立するが、この家族のいちばん明確な特徴は、縦でも横でもなく、「二組の入り組んだ関係」ではないだろうか。この夫婦は別にダメな夫婦なのでもなく、基本的に力のない人たちだとも思わない。しかし、この家族の歴史が作り育ててしまった家族の構造的な特徴が一朝一夕で変化するわけもない。そのようなしがらみの中で子どもが「発症」するのである…。
 構造を把握する際に有効と思われる視点は、S.ミニューチンの「構造的家族療法」の考え方である。


家族構造の上で反復・再生される家族力動=関係・反応の連鎖を見つける

 私の講演では、話を単純化させるために、この夫婦の結婚以来の問題解決のパターン(=反復・再生される家族力動)を次のように紹介している。

結婚の時の様子

 母親付きの結婚。夫は誰にも優しいタイプ。妻は姑を大切にしながらも、これからの生活を夫と共同して 進めていきたいと願っていた。ところで、<新しい家族を営む>というのは、いろんなレベルの問題(=解決していかなければならない課題)を乗り越えていくことの時間的連続過程である…。

解決しなければならない事態 その1 家具の購入

 新婚生活を始めるためには、新しい家具・調度を整えなければならない。この新しい家族では、次のようなプロセスがあった…。

 STEP1 妻は「あなた、タンスの購入などをどうしましょうか…」、と夫に相談する。
 STEP2 夫は、どうしたらいいのか自分で判断も決断もつかない。
       今まで家周りのことは自分の母がしてくれていたし、困る前に問題はすべて解決していた…。
       だから、夫は、「う・う・う…」と口ごもるしかなかった…。
 STEP3 夫が口ごもる時は、困っている時であるので、「どうしたの…」と母が乗り出してくる…。
 STEP4 妻は、新婚生活に姑が乗り出してくるのは嫌なので、姑をうまく牽制しながら、
       「仕方ないわねぇ」と、自分一人で問題を解決する(家具屋に見に行き、発注)。
 STEP5 そして、その結果はきわめて良好であった


解決しなければならない事態 その2 子どもの病気

 やがて、二人の間には一粒種の息子が誕生した。息子が1歳になって間もない頃、夜に39度の熱が出た。時間外だが医者に連れて行った方がよいか、あるいは今のところは様子を見ておくことにしようか…。

 STEP1 妻は「あなた、医者に行ったものかどうか、どうしましょうか…」、と夫に相談する。
 STEP2 夫は、どうしたらいいのか自分で判断も決断もつかない。
       心配だが、子どもの病気がどんなものなのかかいもく見当もつかない。
       だから、夫は、「う・う・う…」と口ごもるしかなかった…。
 STEP3 夫が口ごもる時は、困っている時であるので、「どうしたの…」と母が乗り出してくる…。
       孫の病気のことなので、なおさら気合いが入ってくる。
 STEP4 妻は、子どものことで姑が乗り出してくるのは嫌なので、姑をうまく牽制しながら、
       「仕方ないわねぇ」と、自分一人で問題を解決する(時間外診療を受ける)。
 STEP5 そして、その結果はきわめて良好であった。肺炎一歩手前だったから…。


 これから先も解決していかなければならないことはたくさんあったが、家庭内での出来事においては、このようなパターンか繰り返されていた。そしていつしか、妻には腹立ちとも、あきらめとも、何とも区分の着かない情緒が固定化されてしまっていた…。


家族内パターンに関する仮説

 何が循環しているのかについて、もはや述べる必要はないだろう。たかがそれだけのことなのである。しかし、システムの渦中にいる当事者にとってはそれが大問題なのである。
 このシステムを変化させることができるのだろうか。ある人に言わせるといと易いことと言うかもしれない。このパターンをやめればいいだけのことである。しかし、当事者にして見れば、それで何とかなるのならとっくに…と思うだろうし、我が家のこれだけはとても無理だと諦めながら、次にやってくる問題解決場面でも、やはりこのシステムによらなければならない。
 それでは、このシステムは悪いシステムなのだろうか。当事者の感情問題を取り除くと、「必ず問題解決できる」システムであるので、悪いものとは言えない。
 夫婦の関係は、ここでは明確なものがある。問題解決能力ということで言えば、妻は<有能者>である。では夫はどうか。<無能者>である。しかし、この<無能力>が問題解決には寄与している。夫が無能力だから妻が有能になるのであり、あるいは「う・う・う」と言うことで問題解決がなされるのであれば、<超能力者>と言えなくもない。

これまでのパターンでは解決できない事態

 しかし、家族の経過の中では、これまでの問題解決パターンではうまく行かないようなこともある。ある時に<子どもが症状を出す>ということが、実はそのような事態であることも少なくない。この家族の場合も、不登校を起こした中1の息子のことについて、最後に妻が「仕方ないわねぇ」と、明日息子を学校へ送っていくことを決めたのだが、今回ばかりはうまく行かない
 これまでのパターンに<不調和>が生じたのである。そしてその不調和が決定的になると、当事者たちは当然悩み・苦しみ始めるのである。そんな時に当事者たちが必ず陥ることがある。「何が(誰が)悪かったのか?」「原因は何(誰)なのか」…。単線的な因果論や犯人探しに陥ってしまった瞬間である。この息子の不登校の原因は何なのか、あるいは誰のせいなのか。可能性は4つ。
 @気丈な祖母
 A頼りない父
 B息子を取り込む母
 C未熟な息子
 原因を求めればそのいずれかにあるにせよ、この4人がすきこのんでこのような役割を家族の中で演じるようになったのではない。しかも個々の役割の形成は、この家族の歴史的経過に負うところが多く、また現存する家族力動がそれぞれの役割をさらに強化してしまっている側面も否めないのである。それ故、母子関係論などの既成の因果論的臨床理論に基づいて、この中の誰かを症状に対する原因(犯人)に仕立てあげたとしても、そのことで家族全体が良くなるわけでもない。例えば治療的にこの母親のみに深く傾倒すればするほど、父や祖母がひどいものに見えるだけであり、その結果はますますこの母子を癒着の方向にしか導かないことだってあり得るのである。
 現実の家族を見ると、そのことが泥縄化し、それが新たなシステムになってしまっている家族も少なくないことに気づく。当事者たちは真剣に悩むのだが、そのことが問題解決には寄与しない。<不調和>を受け入れ、<不調和>に立ち向かうシステムが稼働していないからである。
 問題が生じたときのシステムの特徴は、なにも家族に限ったことではない。職場や地域などのシステムでも似たことが生じるし、それは社会という広いシステムでもあまり変わりはない。社会問題や事件が生じた時に、マスコミや大衆は必ず原因探しや犯人探しをするが、そのことがよくなるきっかけになったためしがない。

問題解決できる方向に向けての仮説・検証

 それでは、この家族が問題解決できるようになるにはどうなればよいのか。ここでもS.ミニューチンの考えを援用しよう。ミニューチンはシステムが変化できる条件として次の3つのことを指摘している。

  1 適切な世代間境界の存在
  2 問題解決に主に携わる成員間に連携が存在すること
  3 問題解決に向けての力(パワー)の存在

 もし、この家族に健全な力が残っていたら、次のようなことが生じるかもしれない。もしそうなるのなら、それは奇跡と呼べることかもしれない。

 妻=有能者、夫=無能力者、あるいは超能力者、であったものが、息子の不登校に関しては、夫婦ともに <ただの無能力者>になってしまった。しかし、システムの変化の視点から見ると、不変化であったこの家族のシステムが、息子の不登校によって変化し、しかも今まで非対等であった夫婦が、やっと対等になったのである!! まずはシステムを変化させたこのことを、ポジティブに捉えることができるかである。換言すると、不登校がよかったのである。だがら、よかったことを促した不登校は、中途半端なところで消失してはならないのである。しかし、他方で息子の不登校は解決されなければならない問題である。ここのところの全体的理解はきちっとなされなければならない。
 次に、無能力者同士になった夫婦が、どんなことを始めるかである。もはや、夫の「う・う・う」は通用しなくなっている。そしてこんな会話が交わされたのなら、奇跡の第2弾である。

  妻 「あなた。どうしましょう?」
  夫 「う・う・う…」
  妻 「私もどうしていいかわからないの。どうしたらいいと思う?」
  夫 「う・う…。わしもどうしていいかわからない。学校の先生に伺うしかない…」
  妻 「どのようにして教えてもらえばいいの…?」
  夫 「わからないが…。とにかく二人で学校に行くしかないだろう…」

 そして、そのように行動化したのなら、奇跡である。今までにそんな行動を選択し、実行したことは一度もない(初めての夫婦連携)。


 さらに、もしこの家庭で次のようなエピソードがあったのなら、奇跡の第3弾である。
 孫のことでは、当然祖母も心配が募る。そのイライラを息子に向けてくる…。

  祖母「本当に大丈夫なんだろうねぇ。私は毎日毎日心配でろくに寝られないんだよぅ」
  父 「あなたが心配しても、なんにもならないじゃないの。私だって心配してるんですよ」
  祖母「おまえも親なら、何とかしておやりよ。我が息子ながら頼りがないったりゃありゃしない」
  父 「あんたがギャーギャー言ってもなにもならないって言ってるじゃないですか。もうよい加減にして下さい。
     あんたが騒ぐとよくなるものもよくならない。部屋に戻ってすっこんでてください!!」
  祖母「それはあんまりな言葉だよ。この年になってそんなきついことまで言われるなんて…」

 そして祖母が隠居部屋に戻ったのであれば、それが奇跡なのである。世代間境界という視点から見れば理解されるであろう。


治療(指導)的介入に向けての仮説・検証

 1 システムや問題に関するアセスメント(査定)

 これは今まで述べてきたことである。問題とシステムの構造とそこで生じていたことをシステミックに把握する。そのための方法論や視点を身につけておくだけで、問題の見え方がずいぶん異なってくる。

 2 治療(指導)的介入

 これには様々な方法がある。可能性として次のようなことが考えられる。

  @ 認識枠の変更
 不登校以後、家族に起こったことを家族がネガティブに受け止めていたとしたら、そこをポジティブに枠づけ直す。認知レベルでのアプローチ。これがこの夫婦にはまるかどうかの見立てが必要。

  A 変化に向けての勇気づけ
 <不調和>な事態に対面することを勇気づける。あるいは<不調和><葛藤>への回避の傾向が強い時には、ストレスそのものを提示することもあろう。…

 その上で、いろんな介入方があろうと思うが、ここでは省略する。いずれにせよ、今起こりかけているシステム自らが変化しようとする動きに対して、システム自らが更に動けるように援助するための方法論と言うことになる。そんなに難しいことや特殊なことが方法になるのではない。

  B 治療者(指導者)側の構造の把握
 子どもや家族を含むシステムを受け止める側のシステム(相談機関、学校、その他)の中でも、投げかけられている問題をどのような方法で受け止めるのかについても、是非ともシステミックな視点から振り返ってみてほしい。ここで述べた<仮説・検証>を、どのようなチームで(あるいはそのチームはどんな特徴を持ったシステムかということも大切)、どのように実施するのかについても、その問題解決や援助においてはきわめて重要なファクターになるのである。

児童相談所と家族療法のページに戻る