「専門職」云々の新聞記事について

川畑  隆 (京都府宇治児童相談所)


 1999.2.24. UP

 2月7日の朝日新聞の<児童相談所>に関する報道は、各方面に大きな波紋を呼んでいるようです。私たちの職場は、当の<児童相談所>なのですから、当然波紋の度合いも大きいのです。私の同僚である川畑隆氏も、この記事についての意見を書きました。氏の許可を得て、このページでも紹介させていただきます。

 2月7目付けの朝日新聞朝刊1面に、「児童相談所 『専門職』所長は4割弱 福祉司も半数以下」という見出しの記事が載りました。その翌日でしたか、記事の影響があるのか本庁からの連絡を受けて、管理職が福祉司の皆さんにいくつかのことを質問されていたようです。

 記事に掲載された「都道府県指定都市別の児童相談所所長と児童福祉司の人数( )内は専門職採用者数」という表では、京都府は所長3(2)福祉司14(4)となっています。記事によると、「福祉職や心理職など専門職で採用されている」職員を専門職として数えているようなのですが、京都府の場合、数が合うでしょうか? まあ表にある全国に関する数を信じるとしても、それはそうかもしれないけど・・・、割り切れない気持ちが大きく残ります。

 記事の目的は何でしょうか。他ではなく1面記事です。専門職が少なくてもそれでいいという主旨ではないことは明らかです。記事のなかにも、厚生省や総務庁が「専門職」化を強くすすめている旨のことが書かれています。世論も含めて、力で「専門職」化をすすめていく意図が、どことどこがどう結託しているのか知りませんが、かなり強力にあるのではないでしょうか。

 「専門性」が高まることは必要で、それに異議を唱えるものではありません。しかし、「専門性」=「専門職」と単純に結びつけられていそうな点、そのことも含めて世の中に起こっていることとその改善についての論のたてかたなどについて、危うさや、それは違うんじゃないかという念を抱くのです。

 「専門性」は手段で、目的はものごとが「よくなる」ことです。「専門職」は「専門性」の手段のひとつであることは確かでしょうが、私たちは、ものごとが少しでもよくなるという目的を見失わずに、専門性のことを考えなければなりません。単純に「専門職」を目的としたかのような論議は、世の中一般にはわかりやすく納得を得やすいものでしょうが、日々の仕事をとおしてものごとの微妙なことを知っている私たちは、その知っていることを丁寧に紡いでいきたいものです。

 「専門職」を考えるとき、「心のケア」…スクールカウンセラーのことが頭に浮かびます。専門家や専門的とされる組織が学校に置かれると、体(てい)のいい人(専門家)任せが起こりやすくなるようで、「それじゃあ、学校の先生って何をする人たちなの?」と問いたくなる話がよく聞こえてきます。電子工学の専門家とそうでない人の差は相当なものでしょう、私の頭のなかには電子工学なんてありませんから。私は心理判定員ですから心理学のことをいうと、心理学も独自の学で相応の専門的知見を備えていている点で、電子工学的部分として主張してもいい側面はあるのだと思います。でも「学」を抜いた「心理」は誰の頭のなかにもあるわけです。そして、日常のみんなの心理を通して心理学が洗練されたり、そのより洗練された心理学を日常のみんなの心理に還元できたりという、日常と学が直接につながり常に動いているなかで成立している学だという点で、電子工学とは異なっているのだと思います。電子工学の専門家のような意識で(それがどんなものかは実際には知りませんが、少なくとも自分の持っている知見だけを頼りに仕事をしていける部分の大きい専門家だというイメージがあります)、自分のことを専門家だと思っている心理判定員ではなく、みんなで考えようよ、そうでないとバランスのいいやり方なんて見えてこないよと知っている心理判定員の方が、実は組織としての「専門性」に寄与していると私は考えます。実際に、そういうふうに、「専門職」であるかないかではなく、職員同士が与え合い貰い合いながら専門性を維持してきているといえるでしょう。もっと大きく世の中のことを考えても、論理的にもムードとしてもそうだと思わされていることが、実はよいものを何も生まないことってたくさんあると思います。「一見正しいこと」が「本当に正しいこと」「うまくいくこと」であるとは限りません。

 ちょっと違う側面からも危惧することがあります。専門機関には専門家が必要だということから、専門家であれば非常勤職員でもかまわないという結論に至る可能性です。個人としてではなく組織として仕事をすることがますます求められる職域で、自分の仕事のことは考えても職場のことを考える部分が損なわれやすい非常勤職員ばかりになるのは、考えただけでも気が重くなります。

 記事にあるように、「専門職」でない、それも「退職直前のポスト」の所長(そういう所長がおられると記事に書いてあるんです)が京都府にお一人(アラ! 名指ししてしまいましたかしら…所長、ごめんなさい)、「専門職」でない児童福祉司が10名おられます。その方たちと、そして「専門職」とされた方たちが少しでもこの記事や時流に影響を受けるところがあり、1面記事であるにもかかわらず、もし当事者の児相では話題にすることを何となく避けたい気分が生まれるとしたら…そこにこそ「専門性」のことをきちんと考える動機づけが含まれていると思うのです。

Today's Memo about <児童福祉>のページに戻る