私の平和メモ

私の平和メモ


 私は戦争を知らない。飢えも渇きも知らない。
 一人の人間として、なんて幸せなことだろう。

 戦争の話と言えば、幼い頃に母からよく聞いた。
 神戸の大空襲で焼け出されたときの話…。
 倉に隠れて、機銃掃射の音を聞いたときの話…。
 人々の住む町が、破壊されるのはどんな事かは、
 阪神大震災の直後に神戸に行って、少しは垣間みた。

 高校生の頃、私の心から離れず、
 磁石に引き寄せられるように、引きつけられた街が、
 広島と長崎だった。
 大江健三郎の「ヒロシマノート」と、確か中公新書から出ていた「長崎」という本を、
 幾度繰り返して読んだことか。
 修学旅行で初めて長崎に行き、
 高校3年生の春休みに、初めての一人旅で広島に行き、
 就職し、結婚した後で一人で歩いた町並みが、浦上界隈だった。

 若くて多感だった私が、それでも実感できなかったこと。
 それは、戦争の本当の悲惨さである。
 フランクルの「夜と霧」を読み、
 コルベ神父の話を知っても、
 本当の悲惨さと、受けとめようとする私の実感とが、
 どこか乖離しているような気がして、それでいて何もできないことが、
 何とも言えずそれが寂しく、うしろめたかった。

 私が生まれる前に、私の国は戦争で多くの人を殺してきたし、
 私が生まれた後も、世界中のどこかで、
 朝鮮半島で、ベトナムで、中東で、アフリカで、そしてバルカン半島で…、
 戦火の絶えることはないではないか!!。
 人類にとって、ヒロシマ・ナガサキが、何の教訓になったというのだ。
 1981年、ポーランド人の教皇は、広島で、『戦争は「死」です』と言い切った。

 戦争は、
 正義のためと称して、その時々の戦争を肯定する国家・社会組織と、
 破壊・殺戮の手段を提供する死の商人達が大いなる利得を得、
 生活を破壊され、傷つき、死んでいった人達には、
 救いようのない不幸以外には何も残らない。
 戦争には、善も悪もない。

 一人一人の人には、例外なく<平和になれる権利>があるのだ。
 だから、一人一人の人間には、立場や条件に関係なく、
 無条件に、<平和を維持する義務>もまたあるはずなのだ。
 今が、こよなく平和だからこそ、
 ヒロシマ・ナガサキを知ってしまったからこそ、
 身近なところから、常にこのことを発信し続けよう。

                     1996.8.6. C.S.

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