
1982年2月に、NHK特集で「シベリア横断鉄道」のドキュメントが2週にわたって放送された。当時、シベリアは旧ソ連体制下にあり、鉄道は軍事上の重要拠点であるからなかなか取材が困難であるというふれこみであった。子どもの頃に鉄道少年であった私にとって、世界一の長距離列車である「ロシア号」に心ときめかぬはずもなかった。そしてその夏の休暇に、シベリア横断鉄道に半分乗車できるツァーに応募した。
「シベリア横断鉄道の旅」ツァーは、大規模なソ連ツァーのひとつのパートであり、8月3日〜15日の日程で、まずはソ連籍のチャーター船を貸し切り、ハバロフスクまで全体で移動し、そこからいろんなグループに分かれる。帰りは、またハバロフスクで合流し、同じルートを経て帰国するというものであった。
最初の行程は次のようであった。8月3日敦賀港集合。船で一泊して、翌日ナホトカから国際列車でハバロフスクへ(列車で一泊)。5日にロシア号に乗車…。しかし、この時は初めから大番狂わせの旅だった。直前に台風が日本海を通過し、チャーター船の到着が遅れている。いつ出発できるかめどが立たぬという。半日以上遅れて、敦賀港を出港できたのは夕刻近かった。

船名は「オリガ・サドフスカヤ号」。外国航路は初めてなので、それだけでワクワクものだったが、そんなに大きな船ではなかった。むろん、豪華客船でもない。部屋は4人部屋。シャワーも付いている。船のレストランは美味しかった。乗船後すぐの夕食では、本物のボルシチが賞味できた。
本当は、1日強でナホトカに着くはずであった。しかし、予定が遅れているので、船でもう一泊することになる。しかも外国人が乗れるナホトカからの列車は夕方発であり、余分な時間をナホトカ市で過ごさせないためなのか、3日目の朝から、船はナホトカ港外で約半日停泊したままであり、下船できたのは午後になってからであった。「足止め」である。本当の理由などは分かるはずもない。ここで、2日損をしたことになる。
団体旅行だから、ソビエト観光協会「インツーリスト」の添乗員がここで参加。「目付役」だろう。ナホトカでは、他の団体客が、普通のヌード写真が掲載された普通の週刊誌を持ち込んで税関で没収され、かなり注意されていたのを強く記憶している。この港でルーブル紙幣と交換したが、本当に小さな紙幣で、人生ゲームの紙幣を連想したことも記憶に残っている。
旅の初めは、チハオケヤンスカヤ駅(太平洋駅の意)であった。出発は午後7時50分、ハバロフスク到着は午前11時10分である。「特急ボストーク号」と紹介されていた。ナホトカも、ハバロフスクも、日本と経度はほとんど変わらないのに、2時間早い時差となる(+10標準時)。だから、出発時刻は、実感としてはまだ夕方であった。この町の景色は、日本とあまり変わらない。「日本海が平和であるように」と刻まれた記念碑が、舞鶴市・小樽市と提携して作られていた。汽車待ちの間に、「日本人墓地」に案内された。シベリア抑留と関係するのだろうか。あまり強い印象はなかった。

写真の赤い車両は食堂車である。ボディにロシア文字で「レストラン」と書かれている。ロシア語が読めなかったから「ペクトパー」としか読めなかった。乗車すると、車窓はすぐに暗くなった。食堂車での夕食も始まった。ここの食堂は清潔で、食事も美味しかった。客室は4人コンパートメント。シーツも真っ白で、二階ベッドには転落防止用のベルトもあった。主食は黒パン。さすがにロシアである。生のいくら(おそらく缶詰か?)を黒パンに載せたカナッペがことのほか美味しかった。この列車は、すべてにきれいであったから、これから乗る「ロシア号」は、世界一の列車だから、もっとすばらしいと思ったが、これは後になって見事に裏切られる。この旅で見た列車で、一番きれいだったのはこの列車であった。
NHKの放送では、駅に花売りがたくさんいた。また、一番いい客の部屋が、代表して写されていたのだろうが、部屋のテーブルにも花があり、フルーツが飾られていた。だから、ナホトカの駅でささやかな花をかって、窓辺に飾った(下の写真)。写っている方は、船からハバロフスクまでの相部屋のメンバーであったNさんである。私たちの先輩格の年回りの方で、旅行中本当によくしてくださった、「おやじ・兄貴」のような方だった。
出発後、しばらくは電化されていたが、すぐに未電化区間。ディーゼル機関車に付け変わる。車窓は、街もないので全く真っ暗で分からない。この区間は、実は中ソ国境で、ミサイルなども多数配置されていた時代である。それを外国人に見せないための、一日一本の乗車指定列車なのだ。遅い目の午前中といった感じでハバロフスク駅に着いた。ホテル・インツーリストへ食事のためにつれていかれ、だだっ広い場所で、大勢で昼食。確かビーフストロガノフだったと記憶するが、全く美味しくない。それに、ホテルというよりは、レベルの高くない観光地の団体食堂といった場所だった。我々は、ロシア号に乗車するために、早々にまたハバロフスク駅(下の写真)に向かった。いよいよ長旅だ。聞くところによると、一日たっても、二日たっても、車窓の景色が同じ旅であるとのこと。退屈さに耐えられるだろうか…。こんなことを考えていたから、退屈しのぎのゲーム機を持参での旅であった。
