ミレニアム・バーチャル聖地巡礼 その2

旧約聖書の世界 1

 

 まもなく21世紀の扉が開かれる。カトリックでは、昨年のクリスマスの少し前、待降節の始まりとともに、バチカンで大聖年の扉が開かれた。この様子をテレビ中継でごらんになった方も多いだろう。上に示したロゴは、この大聖年の印として各教会の聖堂の入り口に飾られているものである。

 今からおよそ2000前に、新約聖書に記されたイエス・キリストの出来事が、イスラエル・パレスチナ地方であった。しかし、それ以前の長い年月は旧約聖書の世界である。天地創造に始まり、救世主の到来を待ち望むまでの、それはそれは長い時の流れがあったことだろう。旧約聖書を読まれた方はおわかりだろうが、それは流浪の歴史であり、戦いの歴史であり、厳しい神との対話の歴史であった。そしてそれらもまた、イスラエル・パレスチナ地方中心に、エジプトやバビロンまでをエリアとする、この地方が舞台となっている。

   

 左の写真はエルサレムから死海への道の途中、海抜0メートル地点であり、右は死海である。死海は高い濃度の塩湖で、人がたやすく浮くという。岸辺の白い岩のようなものは、塩の固まりである。

 旧約聖書にせよ、新約聖書にせよ、「荒れ野」という言葉がしばしば出てくる。「荒れ野」は、私たち日本人にとって想像もできない厳しい場所なのであろう。エデンの園の外は荒れ野だっただろうし、モーセが雲と火の柱に導かれて旅をしたのも荒れ野である。更に、イエスが悪魔に試されたのも荒れ野であった。イエスが洗礼を受けたヨルダン川は、ガリラヤ湖に発し死海に終わる。その周囲の多くは、このような荒れ野なのだろう。写真にみる空はどもまでも青い。荒れ野の主人は、きっと神ご自身なのだろう。

 創世記のアブラハムの時代が思い起こされる。カナンの地への旅、ソドムと塩柱になったロトの妻のこと、妻のサラが子を産むと伝えた謎の旅人のこと、アブラハムの息子イシマエルのこと、イサクをいけにえに捧げる場面、イサク・ヤコブの後のエジプト奴隷のこと…。いずれもがこんな荒れ野周辺での出来事なのだろうか…。

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