6月のある日、一通のメールが届きました。それは法律を学んでおられる学生さんからのもので、「私のホームページにリンクを希望する」といった内容でした。おそらく私のホームページの内の、<子どもの権利条約>か、<個人情報の取り扱い>に関しての関心からなのかとはじめは思いましたが、法律の立場から児童福祉全般に関心があるとのことでした。
早速彼のホームページにアクセスしてみますと、子どもに関するいろんな事を扱った記事があり、その中に<制服問題>を扱ったコーナーもありました。私自身がたまたま、今制服問題で揺れている桂高校の出身でもあったので、メールで私見を少し書くと、「それを彼のホームページに載せてもいいか」と尋ねてきました。文章を修正した上でOKを出したので、はからずもインターネット上でこの問題に関する私見を掲載するハメになってしまったのです。でも、私の意見は私の意見…。自分のページの中にも掲載しようと思った次第です。
実は私の出身高校は、新聞紙上で有名になった<桂高校>で、現在、制服問題の渦中にある学校です。
私が卒業した年は1969年、これは学園紛争の年に当たります。時の流れの中で噴出してきた<問題意識>を持つ生徒も多く、その中には、当時<過激派>と呼ばれた学生運動に参加をする者もいました。生徒部の職員室が<バリケード封鎖>されたり、卒業式の壇上にヘルメット学生が現れて、卒業式が数分中断したりもしました。こんな事は、おそらく母校始まって以来のことであり、それ以降も見られないことだ
と思います。
後に恩師から聞いた話なのですが、封鎖された時の教師内の議論は、生徒部の教師の「力による要求には一切のらない」という提案は承知されても、「それじゃ力によらない要求には答えていくのか」ということについては、確たる方針が出せなかったようですし、生徒部の「警察導入」の提案には、賛成する教師はさすがに少なかったようです。
このように、教師の側でこの年の出来事は、無力感と挫折感につながっていったようなのですが、一方の生徒側はというと、69年当時から大方の生徒は基本的には<無関心>であり、この年の<一部の過激な生徒>が卒業していくと、後はなにもなかったかのように、元の学園に戻っていきます。そして数年後、この無力な経過から、どう立ち直っていくのかについて、教師や生徒の中でうごめいていた結果の反映が
<高校生としての服装の見直し>への動きに流れていったと聞き及んでいます。
誰が、どのような経過で、私服化を決めたのかについて、もはや卒業していた私が深く知るものではないのですが、当時の教師と生徒が共同で進めた作業であることはまちがいないことだと思っています。そして、その後の経過で、私服にしたことによる大きな弊害をあまり耳にすることはありませんでした。
だから、内心では、これはとてもよい歴史であり、そのことへのそもそものきっかけが、もし私たちが在学していた69年当時のことにあるのだとすれば、自由服への道のりに私たちの学年も寄与したことになる…と、少々誇らかな気持ちもありました(私は別に当時の運動家でもなんでもないのですが…)。
そして今、このような歴史をご存じなのかどうかは別にしても、<逆行>してきているのが、とても口惜しいのです。子どもの権利条約を手に、いろいろと動いている今の生徒諸君は、私たちのじくじくしていた時代と異なり、とても頼もしく思います。そして、現在の母校の教師たちは、どんな心境で、どんな立場で、どうしようとしているのか、とても気にかかります。校長の進めていることは論外としても、教師集団がどうなっていくのかが気がかりなのです。69年を経て母校の教師であった恩師たちが、挫折感と自己矛盾を抱えながら考え続けてきた経過を、今またたどりなおしてほしいとつくづく思います。