今度の児童福祉法改正では、児童相談所が子どもを施設へ措置(あるいは措置停止あるいは措置解除)するには、児童福祉審議会の意見を聞いて、その了解がないと、子どもを施設に措置(措置停止・措置解除)できないことになっている。
そして、改正を必要とする理由は次の通りだという。
1 子どもの権利を擁護するための<適正手続>の確立のため
2 措置にまつわる<オンブズマン機能>を、第3機関に担わせるのが望ましい
3 児相には児童福祉司・心理判定員等はいても、弁護士はいないから(厚生省説明)
4 親等による<強制引き取り>に、施設が対応できるために
5 そうすることで、児童相談所の機能強化・専門性の向上がはかれる
6 この制度を発足させれば、否が応でも児童福祉審議会の充実を都道府県が図らねばならない。
それが子どもの権利擁護につながる
現行の措置システムが<不適正手続>だとは思われない。措置そのものは行政処分であるし、その処分に対する不服申し立てもできるようになっているので、権利主体者としての子どもをも含めた上で、その線からの強化をこそ図るべきではないか。
「児童相談所は、迅速に処遇を進めていた反面、その措置の決定は密室で行われ…」という現行児相への批判がある。その事が前提になっての今回の改正であるのなら、それは従来の児相業務への根本的批判にあたる。都道府県による必置機関が、各スタッフによる総合的な<診断>に基づいて、子どもの利益のために総合的な見地から、<チーム制><合議制>の原則に基づいて処遇決定してきたことが、<必ずしも適正ではなかった手続>だったというのか。
児童処遇に関する、独立した<オンブズマン機能>は絶対に必要である。これは<子どもの権利条約>の趣旨からしてもなおのことそうである。また、児相業務はあくまでの行政行為であるのだから、その事に対する<オンブズマン機能>も必要である。ただし、オンブズマン機能というのは、子どもに関する諸問題を個々の事象に先んじて考えたり、あるいは具体的な問題が認められたときに、それを受けて迅速に対応する機能であっても、処遇そのもののプロセスに必ず関与しなければならない機能ではないはずだ(業務のラインとして機能するものではないはずだ)。もし業務のラインに挿入されるのなら、それは<オンブズマン機能>なのではなく、単なる<目付>にすぎない。そして<目付>が形がい化したときに、<目付対象となる側>もまた形がい化してしまうのである。
児童福祉審議会は各都道府県に設置されており、行政からの委嘱で審議会委員がいるが、怠慢な本庁主管課の音頭で、やっと年に1回開かれるかどうかといったところがその実態である。審議会にかかわらず、置かなければならないから設置された機関が、独自に活動するためしがない。その機関を設置しなければならない側のシナリオでオートマチックに動いてしまうことが大半である。しかもその用務で常時活動している機関ではないのであるから、独自の動機付けで積極的に動くはずがない。しかも、<措置の可否を判断する>という業務になるのなら、その事を独自に調査し、吟味し、判断する当事能力を持ち合わせるはずもない。これは各委員の能力の問題ではない。非常設の組織が標記の仕事を担うこと、それ自体無理なのである。<適正手続>実現の手段として、このような方法を安易に取っては断じてならない。
児童相談所に弁護士が常駐していないのは当たり前である。そして、相談の経過で弁護士の機能が必要なときには、その事が取れるシステムを児相が持てばよい。弁護士がいないことが<専門性のない>ということの証左になるというのは、詭弁も甚だしい。そのことが、子どもの権利擁護のための欠陥などとは断じて言えないはずだ。児童処遇は(児童福祉は)司法ではない。
このような制度改正は、児童相談所の独自機能への信頼の欠如であり、児相が有する専門性への否定である。しかも、能動的に積極的に活動するメドのないプロセスを義務的に挿入することは、いたずらに現場の混乱を招くだけである。しかも、子どもの権利擁護とは似て非なる方法論であるので、あるべき未来像に対する逆行といわざるを得ない。
このプランを立てた人がいるはずだ。その人に問いたい。「一体、何のために、何をねらってこのような法制度を方向付けたのか」と。子どもの立場に立った、現場的感覚のまるでない人が、<自らの主義主張の実現のため>にだけ方向付けたものとしか私には思われない。それは、子どもの権利擁護や、社会の成熟や、制度自体のよりよき方向への検討などとは、おおよそかけ離れたものである。