久々にこのコラムをアップする気になった。この間ずいぶん新しいCDが世の中に出回るようになったと感じている。特にフランスのTAHRA盤は、今やどこでも見かけるようになったし、ワンパックになって通販でも紹介されるような時代だ(どれだけの方が、通信販売で、TAHRA盤をまとめ買いしたのだろうか…)。私も一度だけ、インターネット経由で、TAHRAのホームページから、クレジットカードを使って購入した。この方法はどうもなじまない方法で、危ない方法だ!! と未だに思っているのだが、現在まで幸いなことにトラブルは生じていない。
私は「マタイ受難曲」が大好きである。このコーナーとは少し離れるが、趣味のMIDIでも、この<マタイ好き>がこうじて、約半数の曲をMIDIで制作したほどだ。
フルトヴェングラーが時折マタイを演奏しているのは、記録で散見できる。また、かなり昔にでた「フルトヴェングラー頌」という本の中で、マリア・シュターダー(ソプラノ歌手)と、カルル・レッセル=マイダン(アルト歌手の夫)が、マタイ受難曲について書いている。特に後者は、1952年のソリストの夫であり(つまりこのCDの演奏)、「…最後の土壇場で、独唱者の一人が病に倒れ、フルトヴェングラーは、総練習の場で、妻にその代わりを勤めさせた。…フルトヴェングラーは、まだ若かった妻に言った。「さあ、思いきり歌ってごらん、ぼくが、君の後から従いていこう!」妻は、その言葉に従った。すると、彼から霊感でも受けたように、途方もない力が湧いてくるのであった。…」
こんなことを読んでしまったら、彼のマタイはいったいどんなものだろうと思いをはせるのが当然だろう。「もしいつか、もしいつか、レコードで彼のマタイがでたら、何をさておいても必ず聴くんだ!!」
そして、ついに夢が叶う日がやってきた。チェトラ盤が1954年のマタイ全曲を出した。イエスは、若き日のディースカウであった。店頭で発見したときは、むろん即決で購入した。
この演奏の批評家たちの意見は芳しくない。当時はリヒターの端正かつ厳格で、しかも感動的な演奏でなじんでしまっていたから、私も聴いてみて落胆であった。今考えると、盤の悪さが一番の原因かもしれないが、それでもエヴァンゲリストがまずひどすぎる。
演奏スタイルだけの問題ではなかったと思う。思いっきり特徴的なスタイルを持つメンゲルベルクのマタイにも感動していた私であるから、時代がかった演奏への抵抗ではない。なんと記したらいいのだろうか。マタイという曲や、その曲を奏でるアーティストたちからのメッセージが、届いてこないもどかしさなのであった。フルトヴェングラーといえば、この「音楽的メッセージ」が飛び抜けてすばらしいのだから、<彼のマタイはいかばかりか!!>と勝手に思っていた私のせいなのだろう。
それからずいぶん時が流れた。CD店の店頭で不思議なCDを見つけた。
モノクロのフルトヴェングラーの顔写真のジャケットだが、Ars Musica というところからでているCDなのだが、CD番号も賦されていなければ、どこの国の製品なのかについても記入されていない代物である。とにかく輸入盤であるという風体だけがするものであった。何より、マタイの部分録音でしかないのだが、第33曲は第一部の終わりに近いところで奏でられる、ソプラノとアルトの二重唱に激しい合唱が絡む曲である。ここでおしまいなんて、いったいどういうCDなんだと思ってしまった。
これを見つけたときには、さしもの私もすぐには手を出さなかったが、ずっと気がかりな1枚であった。そして1ヶ月ほど前、ついに「まあいいか」と購入してしまった。買ってみると、挿入されているしおりはごく薄っぺらいもので、英語でフルトヴェングラーの経歴が書いてあるだけで、演奏や曲に対する記述はいっさいなかった。むろんこのCDや、レーベル等に関する記述も一切なしである。書いてあるのは、曲名、演奏者名(それもソリストなどは、パートも書かれていなければ、フルネームでの記載もないという有様であった)、演奏日時だけであった。
これだけでも十分に怪しいCDだ。しかし、プレイヤーにかけてみると、さらに怪しいことが判明する。ここまでの録音で、総演奏時間は約65分なのだが、このCDは、トラックが分割されていない。65分で1トラックのCDであり、たとえば第10曲から聴こうなんてことができない代物だった。ますますもって怪しい。
録音もよろしくないので、最初の取っつきは悪かった。しかしじっくり聴くと、とてもよい。1954年盤とは比べられないと思った。
どこから書こう? 54年盤の第1曲の2重合唱の演奏形式には無理があると思っていたが、その特長を生かしつつも崩れがない。悠々として力のある演奏だ。コーラスのコントロールにも、フルトヴェングラー印がついて迫ってくる感じがある。
第2曲、エヴァンゲリストとイエスがでてくる。エヴァンゲリストはパツァークだが、歌は決してうまくはないが、伝わってくるものがある。54年盤のデルモータはまるでオペラもどきでいただけない。個々がまず違う。イエスも重厚な感じで、イエスの言葉として十分伝わる。これらの歌い方にフルトヴェングラーの解釈が入っているのだと感じる。このことは、各ソロパートのレシタティーヴォやアリアにおいてはより一層明確なのだろうと思われる。
第3曲、初めてのコラールであるが、なんと感動的なことか。きわめて遅いテンポで歌い、感情ごめが著しいが、メンゲルベルクよりもずっと自然で、奥深いところからの表現であるように思えた。
しばらくしてアルトソロがでてくる。上に書いた、レッセル=マイダンだが、実に伸びやかに歌っている。しかもそれを支える伴奏が何ともいえずよいのだ。フルトヴェングラー頌で書かれていることが思いおこされた。
ソロでは、ソプラノのゼーフリートが歌う最初のアリアがよい。フレーズごとの表現が意味深く、その表現がオケ(=指揮者)と一体となって絡んでくる。こんな演奏は今までに聴いたことがない。まさにフルトヴェングラーのマタイが伝わってくる。
では、このまか不思議なCDは、一体何者なのだろう。ご存じの方があれば是非ご教示願う。あるいは、この続きはどうなるのだろう。どこかからリリースされる可能性はあるのだろうか(それとも、もはやどこかからでているのだろうか)。このあたりについても、是税ご教示を乞う。
演奏自体は、第一部のコーラスとテノールソロが絡む箇所を聴いていると、おそらくフルトヴェングラーのものだと思った。テンポその他の解釈が独特で、ほかに例のないゆっくりとしたテンポなのだが、これは54年盤のチェトラと同方向の解釈であったから、このCDの演奏は、フルトヴェングラーだろうと直感した。