2章 東京内の人口分布について
2−1 住民基本台帳による考察
1章を通して、日本国内における「東京」の位置づけをみてきたが、2章ではその「東京」内の人口の動きについて触れてみたい。だがここでは、都県という枠組みを無くして、東京圏内の都市が東京駅からどれくらい離れているかを基にして住民基本台帳と国勢調査とをみていきたい。そのために<表2−1>を作成した。なお、人口のデータはこの時間を基に並べてある。
この<表2−1>は、東京圏内で1997(H.9)年4月現在市制を施行している117市、3政令指定市31区と23特別区、計171都市の人口を指標として用いるために、鉄道の所要時間を基に、時間距離を求めた。この時間距離は、次の2つに留意して求めた。
1つ目として、時間は東京駅と市役所又は区役所の最寄り駅とで求めた。この際市役所の最寄り駅を求めるに当たっては、『JTB時刻表』を用い、区役所や鉄道の無い3市(鳩ヶ谷市・八潮市・綾瀬市)は、『全国市町村要覧』を用いた。2つ目として、所要時間は『広域関東交通マップ』を用いた。なお、乗り換え時間は一切かからないとみなし、接続時間も無視した。従って、電車での移動時間のみを求めたため、実際の所要時間より短い区間もある。
ここからまずは、住民基本台帳を基に1982(S.57)年から1997(H.9)年までをみていきたい。<表2−2>は、住民基本台帳に記載されている人口を基に作成したが、次の都市については、データを加工した。あきる野市(13228)は、1997年以外の数値を、秋川市(13226)と五日市町(13306)との和で表記している。続いて高津区(14134)と宮前区(14136)は、1983(S.58)年の人口構成比を元にして、1982(S.57)年高津区人口より推定して、1982(S.57)年の数値とした(高津区286272−高津区141114、宮前区145158)。同様に、多摩区(14135)と麻生区(14137)も、1983(S.58)年の人口構成比を元にして、1982(S.57)年多摩区人口より推定して、1982(S.57)年の数値とした(多摩区232655−多摩区137024、麻生区95631)。最後に、中央区(12101)・花見川区(12102)・稲毛区(12103)・若葉区(12104)・緑区(12105)・美浜区(12106)の6区は、1993(H.5)年の人口構成比を元にして、1992(H.4)年千葉市(12201)人口より推定して、1992(H.4)年の数値とした(千葉市825303−中央区160728、花見川区173501、稲毛区146497、若葉区145070、緑区69014、美浜区130493)。
<表2−3>は、<表2−2>を基にして作成したのだが、次の都市は以下のように加工した。<82-87>における、戸塚区(14110)・栄区(14115)・泉区(14116)の3区の数値は、1987(S.62)年の各区の数値を戸塚区として処理した(戸塚区224378、栄区119902、泉区116485−戸塚区460765)。<92-97>の港北区(14109)・緑区(14113)・青葉区(14117)・都筑区(14118)の4区の数値は、1995(H.7)年の人口構成比を基にして、1992(H.4)年港北区及び緑区人口より推定した値を1992(H.4)年の数値として用いた(港北区309573、緑区429245−港北区259771、緑区140445、青葉区231274、都筑区107328)。
最後に<表2−4>は、次の都市に関しては注意を要する。高津区(14134)と宮前区(14136)の1983(S.58)年の数値は、高津区に宮前区が含まれて、宮前区の数値は”0”となっている。同様に、多摩区(14135)と麻生区(14137)の1983(S.58)年の数値も、多摩区に麻生区が含まれて、麻生区の数値は”0”となっている。そして、港北区(14109)・緑区(14113)・青葉区(14117)・都筑区(14118)4区の1993(H.5)年から1995(H.7)年の数値は、港北区に都筑区の一部が、また、緑区に青葉区と都筑区の一部が含まれていて、1993(H.5)年から1995(H.7)年の青葉区及び都筑区の数値は”0”となっている。
そして、これら3つの表をもとに時間距離ごとに合計して作成したのが、<表2−5>から<表2−7>である。また、<図2−1>から<図2−3>までの3つは、<表2−3>を、<図2−4>から<図2−6>までの3つは、<表2−5>をもとに作成した。この際、<82-87>は、118市、2政令指定市21区と23特別区、計162都市を、<87-92>は、118市、2政令指定市23区と23特別区、計164都市を、<92-97>は、117市、3政令指定市31区と23特別区、計171都市を対象としている。
以上の表や図からどのようなことが考えられるか読み取っていきたい。
まず、都市の数の多さ、対象面積の広さなどから、<21-40>と<41-60>の人口が多い。が、1都市あたりの人口を求めると、1997(H.9)年の数値で、<-20>(271526)、<21-40>(234284)、<41-60>(178559)、<81-100>(107425)、<61-80>(102009)、<101-120>(47113)、<121->(46365)の順となっている。<61-80>と<81-100>とで順番が入れ替わっている背景としては、<61-80>の地域に1992(H.4)年・1993(H.5)年の2年間で市制施行された日高(11242)・袖ヶ浦(12229)・八街(12230)・羽村(13227)の4都市が含まれていること、また<81-100>に、行田(11206)・本庄(11211)・深谷(11218)・小田原(14206)・秦野(14211)の、古くからある都市が含まれていることが挙げられる。
<21-40>と<41-60>とについて比べると<82-87>では、<41-60>において社会増以上に自然増が多く、50万人以上と推定される。<87-92>では、逆に<21-40>が自然増で40万人以上と推定される。<92-97>では、<21-40>において社会減となる。これも、45万人以上と推定される自然増で、人口が増加した。<41-60>では、社会増が強く自然増は2万人弱と推定される。
これらから、社会増には二通りの背景があると思われる。
まず、<82-87>に現れた<41-60>の社会増である。これは、大幅な自然増を伴っているので、新婚世帯であろう。1985(S.60)年頃から中心地の地価は値上がりを始めた。そのため、郊外になる<41-60>あたりに居を構えたのだろう。
2つめの社会増は、<87-92>と<92-97>とに現れた<41-60>の社会増である。これらは、子供が大きくなった世帯で、部屋が狭くなったなどのために行った移動だろう。そのため、自然増は伴わない。
しかし、問題は<87-92>と<92-97>とに現れた<21-40>人口増である。特に<92-97>では、社会減にもかかわらず、45万人以上と推定される自然増によって人口は増加した。これはこの表からはわからないが、1970(S.45)年から1980(S.55)年くらいの間に転入してきた世代の二世が、そのまま親のそばに住み、子供が誕生したからではないだろうか。
2−2 国勢調査による考察
続いて国勢調査をもとにして見ていきたい。
まず、元になるデータとして<表2−8>を作成した。これは、1920(T.9)年から1990(H.2)年までの国勢調査を用い、118市、2政令指定市の23区と23特別区、計164を対象としている。この際5年ごとの対比で人口減のときは、データの数値を囲んでいる。
<表2−9>は、<表2−8>を元に各都市の1920(T.9)年人口を1としたときの1990(H.2)年人口を示した。また、同様に10年毎の比較も行った。横浜市栄区・泉区を戸塚区、川崎市宮前区を高津区、麻生区を多摩区に合算しているため、118市、2政令指定市の19区と23特別区、計160を対象とする。内訳は20分までが22都市、40分までが50都市、60分までが52都市、80分までが20都市、100分までが7都市、100分超が9都市となっている。
<表2−10>から<表2−15>までは、<表2−9>を元に、時間距離20分毎で、人口増減率の度数分布表を作成した。人口増減指数で、1.0未満、1.0以上1.2未満、1.2以上1.5未満、1.5以上2.0未満、2.0以上の5項目に分ける。<表2−16>から<表2−21>までも、内容は同じだが、百分率表示とした。
<表2−22>は、<表2−10>から<表2−15>までを元に作成し、時間距離毎の人口増減から何かを読み取るため作成した。<表2−23>も、内容は同じだが、百分率表示とした。
<図2−7>から<図2−12>までは<表2−16>から<表2−21>までを、<図2−13>は<表2−23>をもとに作成した。
<表2−8>、<表2−9>および<表2−10>から<表2−15>までを用いながら大まかな特徴をみていきたい。
まず、大半の20分までの都市は、1947(S.22)年と1965(S.40)年以降で人口が減少している。1947(S.22)年の減少は戦争によるものだが、1965(S.40)年以降の減少は、1955(S.30)年から1960(S.35)年に千代田区・中央区で始まった郊外化が、さらに拡がった影響である。中には江戸川区・浦安のように人口が増加しつづけている都市もあるが、これらの都市は埋め立てによるものと、以前に交通の便が悪かったことに起因する。他には、1925(T.14)年に震災の影響で、千代田区・中央区・港区・台東区の4区で減少が見られる。
40分までの都市にも、1970(S.45)年以降人口減少が多く見られるが、そのうちの大半が東京23区か横浜・川崎の区域である。しかし、中には戸田・鳩ヶ谷・三鷹・保谷・武蔵野・田無・与野などでも見られる。これらの共通点は、23区周辺部であること、あるいは都市の面積が小さいことである。1950(S.25)年以前の人口減少は、戸田・松戸・八潮・和光・習志野・小平でみられるが、交通の便が悪かったことに起因する。その間の1950(S.25)年から1970(S.45)年までは、半分以上の都市が1.5以上の高い増加率で増えていった。また、前述した都市以外では1970(S.45)年から1990(H.2)年にかけては、1.0-1.2という安定傾向を示している。
60分までの都市では、50分辺りまでは、1975(S.50)年以降に上福岡で、1980(S.55)年以降に鎌倉・逗子で人口減少が見られる。が、他の都市は人口が増えている。特に1960(S.35)年から1980(S.55)年で半分以上が1.5以上だった。だが、50分以上から次の区分の80分の地域は、1950(S.25)年から1965(S.40)年にかけて人口減少が見られる。これは20分地域や東京23区、周辺市部に流入していったと思われる。そして、1970(S.45)年以降は、郊外化によりこれらの都市にも新たな人口流入が見られる。他の1950(S.25)年から1960(S.35)年にかけてや、1980(S.55)年から1990(H.2)年にかけては、高い伸び率を示したいない。
80分までの都市は、60分までの都市でも触れたが、1950(S.25)年から1965(S.40)年にかけて人口減少が見られた。他の都市でも、1.0-1.5とあまり高い伸びは見られなかった。1970(S.45)年以降人口が減少する都市はないが、2.0以上の高い伸びを見せる都市もない。
100分までの都市においても、1965(S.40)年以前はめまぐるしい人口減少が見られた。その後は、富津で人口減少が見られるが、交通の便が悪いことに起因している。また、1960(S.35)年から1980(S.55)年で人口が増加しているが、1.0-1.2が大多数で、郊外化の影響をうけているのかどうかは判別しにくい。
100分以上に関しては増えてもいるし、減ってもいるということで、偏った動きは見られない。
2−3 まとめ
この70年間に最も人口が増えたのは、多摩(13224)36.74倍だった。以下、緑区(14113)35.99倍、杉並区(13115)29.20倍、三鷹(13204)28.92倍、武蔵野(13203)28.21倍、狛江(13219)27.69倍、小金井(13210)27.36倍、大和(14213)27.18倍、小平(13211)27.03倍、国立(13215)26.69倍と続く。このように増えているところは、東京都・神奈川県を中心とした地域である。
逆に人口増減が低いのは、千代田区(13101)0.18倍、中央区(13102)0.25倍、台東区(13106)0.37倍、港区(13103)0.48倍、文京区(13105)0.64倍、墨田区(13107)0.70倍、中区(14104)0.76倍、新宿区(13104)1.02倍、鴨川(12223)1.03倍、勝浦(12218)1.04倍の順となっている。東京都心8区のほとんどが含まれているが、横浜市の中心地・中区も含まれている。これらの地域で人口減少している理由は、郊外化である。商業施設の集積、また都市再開発等により地価が上昇し、新規住宅は家賃が高いからである。
逆に、鴨川・勝浦と言った房総半島南部の都市が含まれているが、これは東京都を中心に考えたとき、埼玉県には東北地方、神奈川県には東海地方など、さらに遠方の地からの転入が考えられるが、房総半島には後背地がないため、そのような理由での転入が少ない。それと、東京都との間に東京湾があり、それを囲むようにしか交通手段がなかったからである。
以上のことから「東京」に人が住むには、自治体等により居住地の創造による影響もあるが、交通、特にの便・不便にされているといえる。
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1998(Webup2005)