3章 東京での生活
3−1 中心地域での生活
東京駅から20分圏内の地域を中心地域として、この地域での居住のあり方について考えたい。ここでは生活については、『都市と地域の文脈を求めて』を参照とした。
この本の中に1987(S.62)年に実施された、東京・中心市街地および外周のコミュニティの実態調査が掲載されている。調査地点は、豊島区東池袋、板橋区本町・仲宿、墨田区京島・東向島、台東区池之端・谷中、中央区佃・月島、千代田区神田三崎町・司町・多町、港区大門・三田、品川区北品川・南品川の各地点である。
「日常生活面で利用する施設、場所」という設問で、「生鮮食品等の買物」と「それ以外の日用品の買物」では、町内および周辺の商店街、スーパーマーケットを多く利用するが、たとえば、京島→浅草、池之端→上野アメ横・上野、佃・月島→築地魚市場・門前中町、神田→日本橋のデパート・神田駅周辺、大門→銀座・新橋・築地魚市場と、かなり選択的というか遠出が目立つ。日常生活圏が現住地の町内で自足しているわけではない。このことは、「贈答品等改まった物の買物」や「外で食事する場合の場所」でとくに傾向的であり、池袋・板橋→池袋(デパート・サンシャインシティ)、京島→日本橋・上野・浅草(ただし食事する場合は近所)、向島→日本橋・銀座・錦糸町・亀戸、池之端→上野・日本橋・銀座、佃・月島→銀座、神田→日本橋(食事は近所)、大門→銀座・新橋、三田→麻布・銀座・渋谷、品川→大井町、との結びつきが見られる。「一杯飲む場所」は、生鮮食品等の買物と外での食事のちょうど中間に当たる。「映画その他の娯楽」は、池袋・板橋→池袋・新宿、京島→浅草、向島→錦糸町、池之端→上野・銀座、佃・月島・神田→銀座、大門→有楽町・銀座、三田→銀座・日比谷、品川→渋谷・有楽町で、調査地点の地理的位置から全体として郊外周辺部と結ぶ新宿・渋谷は生活圏域外にある。
「市街地居住の意味」を問う、「当地域のように、郊外や地方ではなく、とくに東京の中心部ないし『市街地域』にお住まいになることについてはどのようにお考えでしょうか」の設問にみる市街地居住のイメージとしては、生活の効率・便益性と同じく「仕事、生活に便利、満足、便利で住みよい」「中心地、行動しやすい、情報が得やすい、郊外は疎外感がある」28.4%以外に、かなりの多様性がある。「中心地に住むことを誇りに思う。恵まれている、都内に住めない人より幸せ、田舎に住む気はしない」「都心のほうが環境がよい、静か」6.6%との中心部に住まうことの誇りや一体感情と併せて、「都内は自分にとって生まれたところ。ふるさと、住み慣れたところ、田舎にあこがれもない」23.8%、「この地域が東京の中心部だとは思っていない、都心という感じはしない、まわりの人がそう言っているだけ」「郊外は親しみがない、都内は下町的、庶民的」12.5%と市街地居住がそれ以外の選択のない、ごく自然な生活の場所、なじみの場所としての受けとめに注意したい。やや消極的な動機づけとしては、「郊外に住みたいと思うが仕事上ここに住まなければ」「いまさら他には移れない、もう少し人がいれば都心もさびしくないが」「ビルには住みたくない、今の状態で住めればよいのだが」「都心には住みたくない、できることなら郊外へ行きたい」その他19.7%がある。
「居住地の現在の印象・イメージ及びその変化」で、良いイメージの回答としては、「下町、親切、ざっくばらん、人情、仲間」23.4%、「生活しやすい、すみやすい,物価が安く商店も近い」11.6%、「静か、閑静な住宅地、おだやかな住宅地、環境がよい」8.9%、「都心に近くて便利、交通機関も便利」6.4%、「何代にもわたって住んでいる人が多い、古い建物」5.7%、「みんな顔見知り、いいこと悪いことみんなつつぬけ、隣組、何かあるとまとまる」4.8%、となる。なかでも地域とのつながりが特に強いものに、「下町的」と京島・向島、佃・月島、「静かな住宅地」と池之端がある。
逆に悪いイメージの回答としては、「雑然、ごちゃごちゃ、ごみごみ、アパートが多い」4.1%、「保守的、変化がない、閉鎖的」3.6%、「習慣の違いを感じる、独特の地域、最初はなじめないところがある」3.2%、「住めば都、人が何と言おうと」3.2%である。なかには、結婚でこの地域に入ってきたため、「習慣の違いを感じさせる、なじめない」という回答が、佃・月島であった。
この地域の特色としては、高齢者と20歳代の独身世代が多く居住していることだ。この理由として、新規住宅の家賃が高いことにより、転入家族が少ないと考えられる。また、以前からの住民が居住している住宅規模が小さいことや、マンションやビルへの建て替え、都市再開発による立ち退きなどで、転出家族が増えている。そして結果として、間借りで生活のできる独身世代か、狭い家でも構わない夫婦だけの高齢世帯が残ってしまう。
3−2 周辺地域での生活
東京駅から40分圏内の地域を周辺地域とする。この地域は、1970(S.45)年頃まで大幅な人口増加がみられた地域である。この地域での居住のあり方は、「都市生活と自治の社会学」を参照とした。
W市は古くから宿場町としてさかえたところであるが、近年東京のベッドタウンとして人口が急速に膨張した。来住世帯の前住地はその約半分が東京都であるという事実、また市外へ就業・通学する人口の70%以上が東京へ通っている事実を見ても、W市がいかに東京との強い結びつきをもっている都市であるかがわかる。
さらに全世帯の約80%が太平洋戦争後に来住したものであるところをみると、W市の市民構成の圧倒的多くが、いわゆる新住民で占められていることがわかる。
戦後に来住し、東京との強い結びつきをもっている市民が人口の比率において圧倒的に高いW市において、市内の地域リーダー層がどのような構成を示しているかをみてゆくことにしよう。
団地型社会では、団地内住民が圧倒的に多くサラリーマン層によって占められており、また母都市への通勤者であることなどの諸条件が共通要因となり、団地内に地区組織ができ、この組織が生活防衛なり生活改善なりの機能を果たすなど、積極的なはたらきをするのであるが、新旧住民が混在するW市の例では、通勤サラリーマン層独自の組織が作られる可能性が非常に少なく、またサラリーマン層には、地域組織に対して無関心を示す傾向さえうかがわれるのである。
役員層の約8割が戦前からの旧地元民層によって占められ、新住民層の割合が市民構成のわりにはいちじるしく小さいことも検討されなければならない。「郷に入っては郷に従う」といった生活感覚からするならば、新住民は旧住民に従うことを旨としなければならないだろう。しかしこのような生活態度からは主体的な市民参加による行政は生まれてこない。旧住民まかせの消極的生活意識がどの程度存在するかという点は、今回の調査では明らかにされていないが、地域組織の役員層として積極的に地域活動をしている新住民が非常に少ないことは事実である。地域生活の上でみられる年功序列意識、つまりその地域で居住している年限の長短に応じて、地域的信用がつき、地域内での発言も評価されるといった傾向が、一般的に言われているが、このような意識がW市の住民のなかに潜在的な形で存在しているのではないだろうか。
充分な広さの自宅に古くから住み、地元に職業面での関係が強く将来ともW市に永住したいという意志のある人びと、という役職層のイメージを画くことができる。これに対しW市民のイメージは、古くから住んでいるものは自宅をもっているが比較的新しく移住してきたものはアパート住まいのもので、全体からみると新住民が多い。そして市外特に東京への通勤サラリーマンが多く、現住地に永住する意志のあるものは半分にも満たない。移動性が高い傾向がある、といったものである。
このようにみると役職層と一般市民との間には、、市民的属性において大きな差があることがわかる。その根本的なものは生活構造上の差であると考えられる。すなわち、一般世帯に支配的生活をやや大胆に規定してみると、職場を市外にもってW市を単に「ねぐら」とした生活をいとなんでおり、日常の生活行動圏は市域をはるかにこえた広域におよび、意識のうえでも広域的な出来事に関心を示す傾向が強い。これに対して、役職層の場合は職業を市内に持つものが多い関係で、日常生活圏は比較的狭く、市内中心の生活をいとなんでいる。したがって意識の面でも地元中心とならざるをえないわけである。地元中心の生活をし、地元の出来事に関心を示す度合いが強いものが地域の組織的活動に多く参加し、その結果役職につくものが多くなるのであろう。
都市生活における住職の物理的分離の形態については、しばしば指摘されている。だがここで問題なのは、住居の存在する地域と職場の存在する地域とが、たんに離れているということではなく、それらのいずれかに比重を多くかけた生活をしているかということである。そのどちらに比重をかけた生活が多くみられるかといえば、いうまでもなく、世帯主の場合は職場中心の生活をいとなんでいるということができるであろう。W市の場合は、まさにこの問題に関連して理解されなければならない。母都市東京への交通上の便の良さは、W市民にとって非常にプラスの効果をもたらしていることは事実であるが、他面において職場への志向が高くなり、地元への市民の定着を阻害することにもなっている。日常生活における地元からの融離が、結局は意識の面でも地元への関心を弱める効果をもたらしていると思われる。周辺地域住民の母都市への指向性は、日常生活各般におよんでいるものであって、ただたんに意識だけが地元から融離しているといったものではない。
この地域の特色としては、1970(S.45)年頃の20歳代後半から30歳代前半のの世代の人々が、東京郊外に仮の住まいとして居住したと考えられる。その頃の時代背景として、中心地域は既に飽和状態となっており、将来願わくは中心地域へと考えたのだろう。しかし、1980年代後半の土地の騰貴により時期を逃し、そのまま住み続けてしまった。その世代が現在60歳代に差し掛かり、地域の高齢化問題が起こりつつある。
3−3 新周辺地域での生活
東京駅から60分圏の地域を新周辺地域とする。この地域は1960(S.35)年以降、大幅な人口増加が続いている。又この地域には、近年市制が施行された都市も多い。「巨大都市東京と家族」より、そのような都市について以下のような記述がある。
日曜日の午後1時、多摩センター駅まで、湯川さんが車で迎えに来てくれた。「この駅で待ち合わせは気恥ずかしくてね。みんな私と同じ団塊の世代っていうの、ニューファミリーっていうの、似たような家族連ればかりで、見ている自分が見られてる感じ。」
そういえば、幸せそうな家族連れが多い。おなかのでていない夫、所帯じみてなく、手編みのセーターにロングヘアーをなびかせた妻、子供服のモデルのような男の子、女の子。
湯川さんはもともと一流大学で数学を教え、のち思い立ってコンピュータのプログラマーをしながら建築学を学んだという才女だ。
「町づくりの面から見ると、この町は完全にスケール・アウトよ。つまり完成時の人口を見越して歩道橋の幅や車線が設計されているから、これはもう広々というより、人間らしさのないガランとしたスペースなのよ。」
車を発車させながら、彼女はそういった。
着いた家は洒落たタウンハウス。さすがは住宅公団が考えつくした設計だけあって、間取りも使いやすそう。なにより、そこらの民間のニュータウンと違い、道路、公園、集会場などの公共スペースもゆとりがあり、安全性やプライバシーも考えた配置である。
「でもシーンとしてゴーストタウンみたいでしょ。樹はまだ植えたばかりだから、あと10年したら良くなるかもね。でも私はそれまでに飽きちゃうわ、この町に。独身の人もいない、年寄りの人も少ない、みんな同じ世代、子供も同じくらい、夫はみんなちょっとは知られた会社のサラリーマン、奥様の趣味も似てりゃ考えそうなこともわかっちゃって、話してても退屈よ。驚きがないのよ生活に。ローンの返済額だってわかりきっているし。どのうち上がっても、ほら、あのクロワッサン調ってヤツ。木の床の上に藍染のクッションなんかちらばせて、手作りのキルトに、手作りのチーズケーキって“こだわり”を見せちゃってね。」
あなたみたいに有能な人が、どうしてここで子育てだけしてるの。
「私が子供産むなんて誰も信じなかったよ。でも私、両親が離婚してて、家庭っての一度はちゃんとやってみたかったの。でもここらの奥さんたち、みんなほんとうは働きたくてイラついているわ。高学歴で、われこそはって人が多いもの。とはいってもダンナは残業が多くてアテにならないし、保育所預けて都心まで共稼ぎじゃバテちゃうし。それでみんなピアノ教室とか英語塾とかはじめるわけ。だけど結局、うちの娘やるからお宅の息子よこしなさいって仲間内で習いあって、お金をグルグルまわしてるってわけ。」
新住民ばかりの町で、新しいつきあいのきっかけを組織しているのは、生協だそうだ。
「スーパーや商店街とちがって、生協は生きがいを組織しているもの。核戦争を憂え、原発をなくそう、子供に無添加無農薬の食べ物をって。そりゃいいことだけど、品物の分配やパックやびんの回収も大変で……。だいたい原発反対、安全な食べ物といいながら、きれいにお化粧して車乗りまわして、子供塾やって、なんも生活変わってないんだもの。」
湯川さんは、そういう同質サークルの息苦しさが嫌になって、最近生協をやめた。
この地域の特色として、ショートケーキハウスと呼ばれる画一的な住宅街や、団地などで形成されたニュータウンが多いところである。これらの街は似たような家族構成で地域が構成されている。又前もって地域の予想人口を想定した区画整理を行っているところもあるので、公共施設はある程度充実している。しかし、40年後に現在の核世代が高齢化したときにはどうなっているのだろうか。
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