終章
「東京」を住み良いものにするための、施策は何度か行われた。それは1958(S33)年の首都圏整備計画であったり、それをふまえた1982(S.57)年の第1次東京都長期計画や1983(S.63)年の首都改造計画であったりした。
鈴木都政のもとに発表された第1次東京都長期計画では、多心型都市づくりの中心は、区部における6つの副都心と多摩地域における5つの心とを拠点とし都心部への過度の集中を抑制し、都市基盤整備や地域産業振興によって職住のバランスがとれたマイタウン東京をつくろうとするものだった。
首都改造計画も、自立都市圏の形成等を図るため、諸機能の集積、就業の場の確保、高次の都市的サービスの提供等の中心として、八王子市・立川市、浦和市・大宮市、千葉市、横浜市・川崎市及び土浦市・筑波研究学園都市を自立都市圏の核となる業務核都市として育成する。
これらについて共通して言えることは、経済拠点の拡散が、職住近接を成り立たせるとしているところだ。しかし現実問題として考えてみたらどうだろう。
仮に、現在千代田区(最寄り駅:有楽町)に職場があるとする。が、2000年をめどに埼玉新副都心に移る計画となった。交通の便を考えて、東武東上線沿線の志木市(最寄り駅:志木)に居を構えたが、大宮に移ったため、同じ埼玉県内でも乗り換えが多く不便になった(36分→22分:乗り換え2回)。しかしまだ,これはいいほうだろう。東急東横線沿線の川崎市中原区(最寄り駅:武蔵小杉)に居を構えた場合、いままでの数倍の通勤時間がかかってしまうだろう(28分→57分)。そして、このような問題が5つの自立都市圏全てで生じるだろう。すると現在、山手線内程度ですんでいた居住地と就業地との交差する度合いは高まり、職住近接実現という目的は遠のくと思われる。
また、現在の鉄道を中心とした交通基盤は、山手線を中心として発達している。そのため、業務核都市を中心とした場合、現在の交通基盤ではまかないきれない場所が生じる。特に土浦市・筑波研究学園都市には鉄道路線が少なく、新しい混雑を生むだけで、混雑解消の手段とはならない。
ここで次に考えられるのが、その不便さから鉄道での通勤を捨てて車で通勤できる地域に居を構えると言うことだろう。これは、職住近接を進めるが、これだけの車に対する都市基盤があるかは疑問である。
つまり、大きな「東京」の中に、小生活圏・大生活圏という二つの生活圏を成立させようと言うのが無理なのである。というのも、「東京」が大きすぎて、生活圏域というのが確立できないのである。
ではここで、逆転の発想をしてみたらどうだろうか。経済基盤の拡散ではなく、居住地の拡散である。しかし、これ以上居住地を郊外化させるのではなく、都心3区内に住宅地をつくるのである。都心3区内の企業を業務核都市に移し、その跡地に住宅地を造成する。このことによって、皆が1時間程度の通勤時間ですむのではないだろうか。
戦後の日本は、企業を中心とした社会で、経済という指標を伸ばしてきた。昔の農村社会も農業という産業を中心に成立したとも考えられる。しかし、そうであったとしても、家族というつながりも強かった。現在の都市社会では、家族のつながりは希薄になってきている。
人間は家族の関係から社会を学ぶ。従って、希薄な家族関係は希薄な人間関係を生む。しかし、現在の家族は働きすぎだけで希薄になったとは思わない。
人間の生活には適切な広さがある。「東京」で働く人たちは、その領域を越えて働かざるを得なかったのだ。生活領域が適切化されたとき、家族との共有時間が拡がっていく。
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1998(Webup2005)