@大阪〜横浜中華街  A東京 皇居〜靖国神社〜  B浅草   C柴又帝釈天、お台場イルミネーション  D明治神宮、東京ミッドタウン、大阪梅田夜景

    C2007年12月24日   柴又帝釈天 →高岩寺 →矢切の渡し、「野菊の墓」 →六地蔵の眞性寺 →お台場イルミネーション

homeへ

日枝神社
葛飾柴又帝釈天







「男はつらいよ」の車寅次郎が生まれたのはここ、柴又帝釈天です。渥美清が亡くなってからのほうが訪れる人が増えているそうです。商店街が繁盛しているのは結構なことです。
  「野菊の墓」     伊藤左千夫
後の月という時分が来ると、どうも思わずには居られない。幼い訣とは思うが何分にも忘れることが出来ない。もはや十年余も過去った昔のことであるから、細かい事実は多くは覚えて居ないけれど、心持だけは今なお昨日の如く、その時の事を考えてると、全く当時の心持に立ち返って、涙が留めどなく湧くのである。悲しくもあり楽しくもありというような状態で、忘れようと思うこともないではないが、寧ろ繰返し繰返し考えては、夢幻的の興味を貪って居る事が多い。そんな訣から一寸ちょっと物に書いて置こうかという気になったのである。
 僕の家というのは、松戸から二里ばかり下って、矢切の渡しを東へ渡り、小高い岡の上でやはり矢切村と云ってる所。矢切の斎藤と云えば、この界隈での旧家で、里見の崩れが二三人ここへ落ちて百姓になった内の一人が斎藤と云ったのだと祖父から聞いて居る。
・・・・・・・・
まア綺麗な野菊、政夫さん、私に半分おくれッたら、私ほんとうに野菊が好き」
「僕はもとから野菊がだい好き。民さんも野菊が好き……」
「私なんでも野菊の生れ返りよ。野菊の花を見ると身振いの出るほど好もしいの。どうしてこんなかと、自分でも思う位」   「民さんはそんなに野菊が好き……道理でどうやら民さんは野菊のような人だ」
千葉県松戸市と結ぶ「矢切りの渡し」です。対岸には伊藤左千夫の「野菊の墓」の文学碑があります。この本は中学生の時読みました。野菊が大好きになり、いろんなノートや表紙に野菊の花を一杯描いたものです。今一気に読んでしまいました。東京と千葉県の境にあってこの澄んだ空気とのびやかな景色の中、この物語は、むべなるかな。


また、柴又帝釈天に戻ってきた。観音様かしら?とっても可愛らしい。
高岩寺  あまりの寒さに早、店じまい。
とげぬき地蔵 高岩寺
江戸六地蔵尊 眞性寺
白露も こほれむ萩の うねりかな  芭蕉翁
巣鴨地蔵通商店街 「ばあちゃんの原宿」沢山の客が来てくれて結構結構

お台場のイルミネーションを楽しみにやってきた。
ここにくるまで凄いラッシュで、時間帯で道路を選ぶ運転手さんの一瞬のひらめきに懸かっている。どの道選んでも込んでいるんだから・・・と思ってしまったら、ラッシュの真っ只中で揉まれて出るに出られず、哀れな人生となる。

ドナルドおじさんと記念写真

今年のメモリアルツリーは・・・電球数は歴代最高の約20万球。LEDクラスターを使用した、色鮮やかなツリーです。
闇の中の光に酔って、ただただ彷徨う。

フジテレビの建物はまるで大きな客船のようだ。満月の海に浮かぶ豪華客船
レインボーブリッジを背に自由の女神

12月24日クリスマス・イヴのアクアシティお台場。ちょっと洒落たお店はもうどこも行列。ここ、とんかつの「和幸」だって10人位並んでいる。まだ人数が少ない方なので・・・それでも充分待った。
アクアシティお台場のシネマのフィルムをまとったゴジラ(1万球の電飾)
フジテレビの流れる滝を滑り降りるよう
宝塚歌劇のフィナーレの大階段みたい
観覧車
駐車場の集合場所におじいさんが20分遅れて、パトカーに乗せてもらって凱旋した。何かあきれてシラーとした雰囲気。バスが走っている時は立たないでという添乗員の制止も聞かないでマイクを出させて「イヤア、日本の警察もナカナカ・・・フジテレビの球体展望台迄上がって、帰る道がわからなくなったので、パトカーに乗せてもらってきた。」という。「毎月のようにこの旅行社でアチコチ行っている」と言う。
ビルから外に出ればどこにでもタクシーは待っている。

homeへ  next