@柳川  A知覧→霧島神宮・星の王子さま  B高千穂峡→阿蘇草千里

  2006年11月26日〜28日  九州  神話の故郷「高千穂峡」他


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 A 11月27日  屋久杉民芸品店 →長崎鼻から開聞岳を一望 →知覧(特攻平和会館)・.サンテグジュペリ →霧島神宮 →日南海岸青島パームビーチホテル(泊)    
「彩りが悪いから、トマトジュースやるわ」と1品増やされた。
屋久杉の民芸店で杉箸二膳買って、家に帰って綺麗に洗って、さあご飯食べようとしたら、パキッと割れた。 縁起が悪いので、全部捨てた。うちでは、中国製やというと皆な納得
バスが国分に差し掛かった時、ガイドさんが国分といえば、私「タバコ」、1日6箱タバコを吸う父親が「花は霧島、煙草は国分、燃えてあがるはオハラハア桜島、アヨイヨイヨイヤサ」と、機嫌の良い時は、よく歌っていたものだった。
知覧に行くまでずっと灯篭が
薩摩富士・開聞岳。家で見ているテレビコマーシャル薩摩白波、私も機嫌が良かったら歌っている。残念ながら雨が降ってきた。ツアーの人達は長崎鼻へ、灯台までの道は石がごろごろだったと思い出したのでやめた。
        
知覧パラダイスでお食事 「山菜釜飯」 誰が付けたんだろう「知覧パラダイス」って名前、あまりに即物的な・・・・・十三かどこかネオン街のような。 hahaha!  だからそれでいいんじゃない?  知覧ではお茶を沢山買ってきました。開けると本当に良い香りがします。お茶の味は硬い感じがします。私は嬉野茶の柔らかくて甘味のあるのが好きです。 
宮川三郎軍曹は、富屋食堂に来る皆が呼んでいる「鳥浜トメ・おかあさん」に出撃命令が出たことを告げました。「私はホタルとなっておかあさんの元に戻ってきます。」翌朝25機の戦闘機と共に飛び立っていきました。その夜の事です。1匹のホタルがフーと店の中に飛び込んできたのです。皆が泣きました。 純粋に母の為、家族の為、国の為、飛行機に乗っていった若者たちを、どうぞ政争の具にされない事を祈ります。「星の王子さま」のサンテグジュペリを思い起す。
特攻隊員の三角兵舎
おっちゃんは「クレオパトラ」やと言う
知覧特攻平和会館 1945年、沖縄戦の特攻基地となり多くの若者がここから飛び立っていきました。ここに来るまで土砂降りの雨だったのに帰りはこの通り青空です。 (中は撮影禁止) 特攻隊員として若い命を終えた1035名の遺影、遺書、遺品等が展示零式戦闘機や3式戦闘機「飛燕」があります。
特攻銅像「とこしえに」 心を鎮めて鐘を打ちました。快い音でした。
これもドルメンと言えそう。笠石が載ってるもんね。
隣に同業者が出来たので安くせざるを得ない、と・・・いい顔のおっちゃんとオバちゃんでした。
知覧からの帰り道、道端にズーッと灯篭が続きます。  綺麗な紅葉 
紅葉の  霧島神宮へ  霧島神宮は、天孫降臨 迩迩芸命(ニニギノミコト)を祀る由緒正しきお社です
地図を見れば霧島神宮は高千穂河原のちょっと下にあった。高千穂峰への拠点は高千穂河原にあって車で2度ほど来ている。この稜線を登れば高千穂峰の「天の逆鉾(あまのさかほこ)」が見られるのに・・・・私の足はもう登山出来なくなっていた・・・・。ちょっとだけ行ってみよか?・・・・おっちゃん「アホ!」  大いなるこのし津けさや高千穂の峯のすべたるあまつ
    ゆふぐれ /斎藤茂吉
  
  
「青島パームビーチホテル」とっても綺麗なホテルです
  

  
  

中華の夕食   
       
ここに写真は無いが、若いウェーターが「フニュウ」ですと2cm×1cm×1cm位の物を持ってきた。どんな字を書くのか聞いてみると、「分かりません」。 「上の人に「聞いてみ」、「腐乳」でした。
さだまさし氏がテレビで中国長江下りをしてすぐ、重慶から武漢まで開放され、船で3〜4泊した時にちょこっと食べた事がある。豆腐を醗酵させたもので、皆臭いからと食べない。沖縄の紅麹と泡盛に漬けて醗酵熟成させた豆腐ようが断然美味しい。
「龍王」中華レストランから望む、下のメインダイニング。 エレベーターの前で韓国人のツアーのグループが大声で騒いで喧しいので、口に人差し指を当てて「シー」、そしてニッコリ。でもゴッツイ男達は気も付かないで10人程2台のエレベーターに乗り込んで行ってしまった。残った5人ほどの女の人の内、若いお姉さんが気がついてニッコリ笑って次のエレベーターに乗っていった。1人でも気がついてくれて良かったと思わんとシャーない。
おっちゃん、「靴下を忘れてきたので下へ買いに行ってくるわ・・・・」ホテルに無かったので、ホテルの浴衣に丹前、サンダル履きで前に止まっていた客待ちのタクシーに乗って、コンビニに行って靴下を買って、おっちゃんの頭の中はもう別の事を考えていた。品薄の焼酎が地元の酒屋にあるかもしれない・・・・と、運転手さんに連れて行ってもらった。やはりあった、「赤霧島」に抱き合わせが付いて、それと「あくがれ」これも良いお酒やと運転手さんに教えてもらって、ホテルに戻るとベルボーイのおじさんに呆れられた。ここは日南海岸の波打ち際、町までちょっと離れている。
苦労して手に入れた「赤霧島」をホールインワンした人にあげてしまった。その人からのご披露の撒物は、ハンドタオルのセットだった。割が合わんとぼやく私に「まあええやん!」
あくがれ(在所離れ)」  若山牧水の第1歌集「海の声」に「けふもまたこころの鐘をうち鳴らしつつあくがれて行く」の歌があります。この「あくがれ」の心こそ生涯牧水を衝き動かしていたものでした。「あくがれ」とは 魂が今在るところを何かに誘われ離れ去って行くという意味でした。そこから「思いこがれる」という今日の意味が生れたのですが、牧水はその言葉本来の意味で「あくがれ」の歌人だったのです。富乃露酒造店 さんより  
「あくがれ」は私の好きなお酒だ
テレビで「星の王子様」をやっていた。この物語は中々深いです。
作者のサンテグジュペリ(1900〜1944リヨン生まれ)は、憧れて飛行機乗り。
「ね・・・・ヒツジの絵をかいて!」   「え?」   「ヒツジの絵を描いて・・・・
ある深い夜、一人の男の操縦する飛行機が砂漠の真ん中に墜落する。飛行士はこの砂漠で、星から来たという少年(星の王子さま)と出会う。
二人は一枚のスケッチをきっかけにお互いの心を通い合わせ始める。
少年は住んでいた小さな星のことや、そこを出るきっかけになった花のことや、旅の途中で出会った人々のことや、本当の気持ちを気付かせてくれたキツネのことなどを話して聞かせる。

キツネから教わったのは・・・・「心で見なくちゃ物事は分からないんだ・・・大切なことは目に見えないんだよ」
二人は熱い砂漠で井戸を求めてさまよう。飛行士は水を、少年は自分の星に帰るべき「鍵」を求めて。そして彼らは砂漠の井戸を見つけるが、それは同時に二人の別れの時でもあった。

飛行機の修理が終わった夜、王子は空を見上げながら飛行士に「笑い声」を贈る。誰もが嬉しくなるような透き通った笑い声。
「僕はあの星の中のひとつに住むんだ。そこで今みたいに大きな声で笑うんだ。だから君が悲しい時に星を眺めれば悲しくないよ。どんな時でも君は僕の友達だからね。僕が笑ったら君も一緒に笑うんだよ。いいね」
どんな時でも王子が笑えば…全ての星が笑って見える…

そして王子は、自分の運命を知るかのように毒ヘビにかまれて静かに星空へと消えていった。人が星空を見上げて心安らぐのは、王子の素敵なプレゼントのおかげかもしれない…。
航空郵便の飛行士としての体験を書いた「南方郵便機」「夜間飛行」で作家としての成功を掴む。南米で知り合った美しい女性、コンスエロと結婚もした。
パリがドイツに占領された後、米国に脱出した。
 「星の王子さま」は苦しい亡命生活の間に書かれた
サンテグジュペリの赤いバラ(といえるかも)妻コンスエロは、パリに残った。

「出発しなくていい理由は山ほどあり、兵役免除を受ける根拠だって充分にある。でも、僕は出発する」(43年4月妻への手紙)

自ら望んで最前線へ
1944年再び原隊に復帰でき、部隊はコルシカ島のボルゴ基地に移動する。7月31日、9回目の出撃で、グルノーブル及びアヌシー方面の高空写真偵察につくが、そのまま帰らなかった
97年、マルセイユ沖で、サンテグジュペリの名前が刻まれた銀の腕輪が飛行機の残骸と共に網に掛かったと漁師が届けた。


フラゴナール社のある香水の町グラース。高台にある。
妻コンスエロが晩年住んだグラースの家。 二人の書簡が箱一杯に・・・・
「星の王子さま」の著作権が切れたので、日本ではいろんな人の本が出た。本当なら著作権は作者の死後50年で切れるので、もっと早くても良かったのに70年とか言い出して、何かゴタゴタがあったらしい。ファンの多い日本にとって、本が出来るのは、まあ何よりであった。


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