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  06年12月21日〜23日  餘部鉄橋U  鳥取砂丘  玉造温泉/  石見銀山  津和野  萩/ 松蔭神社  錦帯橋  厳島神社


  ’06年12月23日 萩 松蔭神社 →錦帯橋 →厳島神社


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お粥と辛子明太子があれば他はいらない

松蔭神社は明治40年(1907)創建された。

朝一番に松蔭神社に行く。皆はボランティアガイドについて行ったので・・・誰もいない ここの松下村塾も大阪淀屋橋にある緒方洪庵の適塾(会社の隣にあった)も質素な物である。
松蔭は江戸に遊学し佐久間象山の門に入る。ペリーの浦賀来航の時は米国への密航を企て幕府に囚われ、長州の野山獄に収監された。のち出獄し松下村塾で久坂玄瑞、高杉晋作、木戸孝允、伊藤博文、山県有朋などの明治維新の中心となる人材を育てた。過激な倒幕思想家に変身した松陰は、再び野山獄に囚われ、安政の大獄で江戸に送還され、死罪となる。享年30歳。 「親思う心にまさる親こころ 今日のおとずれ何ときくらん  寅二郎」 投獄された松蔭が、故郷の両親に書き送った永訣書にあった句で、辞世の句。
お正月前なので、提灯で珍しい写真となった
萩焼
山陽自動車道「下松」
錦帯橋とロープウェイ山上駅と岩国城
岩魚(いわな)を水槽で飼っている店があった。今度はここで食べようって。私、塩焼き位しか食べれないよ。
 町のあちこちで見られる・宇野千代さんの言葉
「能力と言うものは 天与のものではなく 自分で作るものである」 宇野千代 一歩踏み出せば すべての行動が愉しい」
宇野千代さんは、岩国で生まれた。私はテレビの宇野千代さんの「生きて行く私」から、のめり込んで大概の本は読んでしまった。雪が降っても学校へは、裸足で行き、その頃はそれが普通で、なんとも思っていなかった。とか、東郷青児と暮らしていた時は、青児はまるで看板屋の如く、何枚ものキャンバスに白色をぬっていた。他波乱にとんだ一生。書きたい事が一杯で、ここで止まっていたのですが、先に進めて又改めて・・・・ 千代さんは、根尾の薄墨桜がもう危ないと聞くと、その足で出かけ桜守さんに依頼し薄墨桜は生き返った。私は’07/03/29〜4/01迄九州の黄砂と桜が舞う「荒城の月の岡城」の桜を見納め、4/02より念願の根尾の薄墨桜を見に行く予定であった。処が夜中に2度もベッドから落ちても意識が無く、おかしいというので救急車に来てもらっても私は覚えていない。MRIが終わったところで気がついた。薄墨桜行きはキャンセルで急性肺炎で入院。9日たって、「大体ええなぁ」と言われたところで、「家に帰りたいんです」先生吃驚。北海道のトラピチヌス修道院他、(3度目の正直)青森の弘前城の桜を見に行く予定が入っている。
錦帯橋に来たら、スーパーで買ったものをちょっと飲んだり食べたりここで休憩するのが習慣となった スーパーで「日田天領水」を見つけたので2本買う。ちょっとしたブームで帰ったら、我が家の近所のスーパーでも売り出していた。
錦帯橋の前の食堂の岩国寿司、美味しかった。 おうどんが美味しくなかったので、全部残した。客は大阪人だよ。おうどんには拘(こだわ)りがある。子供の時から食べ物を残してはいけないと、躾けられていたけど、もう大人だモンね。 中国や韓国の麺類はダメね、それに比べるとまだ、ここのほうがまし。白いご飯もね。日本人は皆残している。(悪いけど、ダメなのよ・・・・・)
テレビでやっていたが、大阪観光中の中国人のおじいさん、道頓堀の「かに道楽」で、かに寿司を買って、孫(中学生位)や同行の人に「旨いやろ」という感じで食べさせていた。孫は贅沢に慣れているのか、普通に食べていた。最後におじいさん、日本のお米を「おみやげや!」と抱えてバスに乗っていった。・・・・「かに寿司」は、感動するほど美味しいモンね。

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