チェコの国民主義的音楽をオペラで促進させたスメタナは、管弦楽曲でもその傾向を強めるが、その代表作がこの連作交響詩《わが祖国》である。
スメタナは1872年にオペラ《リブシェ》を作曲した。リブシェはチェコ建国の女君と呼ばれ、このオペラでもチェコの栄光の未来を予言する。 この思想をもとに作曲されることになった《わが祖国》は、《リブシェ》完成後直ぐに構想が着手された。 第1曲《ヴァシェフラド》は1874年11月18日に完成され、第6曲の《ブラニーク》が完成されたのは1879年のことであった。 1874年10月ごろからスメタナは全く耳が聞こえなくなっており、この障害を織り込んだ作品弦楽四重奏曲《わが生涯》を1876年には書いている。 全6曲の初演は、1882年11月5日プラハにおいて行われた。 《わが祖国》はスメタナの命日に開催される『プラハの春』の音楽祭初日の5月12日に毎年チェコ・フィルによって演奏されている。 第1曲《ヴィシェフラド》 1874年11月18日完成。 《ヴィシェフラド》のヴィシェフラドとはプラハ南のモルダウ(ヴルタヴァ)河の東岸にある城のことで。ここは嘗てのチェコの王たちの居城であったと言われている。 伝説的な吟遊詩人ルミールが竪琴を用いて祝典の歌を歌ったと言わるが、烈しい戦闘によってこの城は廃墟と化してしまったとも語られている。 第2曲《ヴルタヴァ》(モルダウ) 1874年12月8日完成。 《モルダウ》は、全曲中最も有名であるが、これはプラハ市を流れる河の名前である。 「この河は、二つの水源から発し、岩にあたっては快い音をたて、陽の光を受けると輝き、しだいにその幅を増してゆく。両岸には狩の角笛と田舎の踊りの音楽が木霊する。-つきの光、妖精の踊り。-やがて流れは聖ヨハネの急流にさいかかり、波はしぶきをあげてとび散る。ここから河はプラハ市に流れ込み、ここで河は古く貴いヴィシェフラドに敬意を表す」という表題を持っている。 第3曲《シャールカ》 1875年2月12日完成。 シャールカとは、アマゾーネと呼ばれる女性軍の一人のこと。ツティーラトとの戦いでシャールカは自分の身体を自ら気に括りつけて、敵軍の同情を誘って敵に入り込み、敵兵を泥酔させて眠り込ませて、夜陰に味方を導きいれて勝利を導いた。スメタナはこういった伝説をシャールカ谷に立って想起してこの曲を作曲したと言われている。 第4曲《ボヘミアの森と草原から》 1875年10月18日完成。 この連作交響詩の中で、この曲は伝説から離れ文学的題材とは異なった、祖国の風景を描いている。 第5曲《ターボル》 1878年12月13日完成。 チェコに現実の歴史と密接に関係した曲で。ターボルとはプラハの南約100キロにある町の名前である。 14世紀から15世紀にかけチェコの思想的指導者であったマン・フスの教理を信奉するフス教徒たちは、カトリック的な主張を持って国民主義的な思想を『真実は勝つ』というスローガンに基づいて行動した。これに対抗する新国王とカトリック教会を相手にフス教徒は所謂フス戦争を起すが、結果的にはフス運動は失敗に帰することになる。 この事はチェコ人に更に国民意識を高める結果を生んだ。 「フス教徒の賛美歌《汝らは神の戦士たれ》がターボルの町で歌われ、キリスト教徒全体がそれに対抗する。そこに信仰の自由と安全を守るための要塞が築かれた。賛美歌は。自分の信念のために戦闘に赴くターボル人たちの勇気を燃え立たせ、自分たちの運動の神聖さについて断乎とした確信を与えた。戦闘の真最中にそれが聞こえてきて、神の真理を否定するよりはむしろ滅亡した方がよいというターボルの人たちの激しい主張で敵方は恐怖に陥ったのだった。」と語られる。 第6曲《ブラニーク》 1879年完成。 ブラニークとはボヘミアの山の名前。伝説ではこの山で国の危機を救うべく騎士たちが眠っていると言われている。
※楽曲名に関して表記可能なものはそのまま表記しましたが、不可能なものは代替しました。
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||