| ブシューッ、ガァァァァァ…………。
ちょっと壊れたようなエンジンの音を鳴らしながら、バスは明後日の方角へ去っていきます。 これまで乗ってきたバスでしたから、少し見送ってから、ワタクシは本来の目的地へと目を向けました。 距離にして……ちょっと分かりませんけど、長い道のりです。頑張っていきます。 できれば夕方までにはたどり着きたいですわ。
それは、一週間前もことでした。
ワタクシのもとに一つの知らせが舞い込んできたのです。 「課題研究……ですか?」 『うん。夏季休業に入る前から決めてたんだけど、ちょっと暇がなくてさ』 それは、兄君さまからのお誘いのお電話でした。 二人でお祖父さまのご実家に行こう、というのでした。 ちょうど夏休みも終わりが近づいていて、兄君さまとご一緒する時間が心なしか少なく感じていた、正にその時だったのです。 初めは、兄君さまがワタクシとのお時間を確保してくださるために呼んでくださったと思って、一人で電話の前でポポポォッ!ってしてしまいました……。あぁ、兄君さまには見せられない姿でしたわ……。ワタクシったら、みっともない……。 お話を進めますと、兄君さまは山の中の生き物についての課題研究をおやりになるみたいで、よかったら……ということでした。 でも、ワタクシ、兄君さまとご一緒できるのならば、それでも構いませんわっ!
そして、ワタクシはお日様が燦々と照りつける中、山の中を上って行きます。 流石に、この日中で着物は暑いので、白いワンピースと麦藁帽子、そしておろしたてのサンダルを履いてきました。でもやっぱり、暑いんです……。 できれば道中も兄君さまとご一緒に過ごしたかったのですけれど、ワタクシ、今日は弓の親善試合があったので、午後からしか出発できなかったんです。ですから、仕方なく兄君さまに先にお一人で行ってもらうことにしました。
そうだわ、兄君さま。お一人で大丈夫かしら……。 お祖父さまのご実家にはお祖父さまの妹さんがお一人で住んでいらっしゃるということでしたけれど、ちょっと不安です。 お昼はお食べになったかしら、研究は捗っていらっしゃるかしら、危険な目にあっていないかしら……。 考えれば考えるほど、歩いてゆく早さは早くなっていきます。 そして、やっぱり最後はこの考えに到達しました。
早く、一刻も早く兄君さまとお会いしたい……!
本当はワタクシ、出発のそのときから兄君さまを欲していました。だって、もう二週間は会っていないんだもの! 最近はお約束もなかなか作ってもらえなくて、この二泊三日が最後のチャンスでした。 雨が降ったら辞めになるのかしら、兄君さまの都合がいきなり悪くなりませんように。 早く約束の日が来ますように。向こうで、どんなことができるのかしら。 待つ日々は、不安と楽しみの行き来でした。
「兄君、さま……はっ、はっ……あにきみさまぁっ……」 いつの間にか走り出していたワタクシは、走りながらも兄君さまの名前を呼び続けました。 つまらない夏休み。宿題と家事に追われた夏休み。もうそんな夏休みだったら、ワタクシは要らなかったんです。 兄君さまといられるから、一緒の時間を共有できるから、毎日も、夏休みも楽しく過ごせるんです。兄君さまは、世界でたった一人、ワタクシの背の君なのですもの!一緒に居てくれなきゃ、嫌ですわ!
「兄君さまっ!」 最後の石段を登りあがったところで、ワタクシは久しく感じられなかった気持ちに満たされました。 「春歌、早かったね?もうちょっと遅く――」 「兄君さまぁっ!」 何よりも誰よりも先に、兄君さまに飛びついてしまいました。 荷物の入った手提げは手から離れて、麦藁帽子はワタクシの頭から離れていきました。変わりに、ワタクシ自身が兄君さまの腕の中へ。 「ひっ、ぐぅっ……兄、きみさまぁ……」 「……ゴメンね春歌。なかなか時間作れなくて……」 兄君さまは、ワタクシの心の中を見通したように優しく言ってくれました。でも、ワタクシは嗚咽を吐くだけで、頭を二回ほど横に振ることしかできませんでした。 「ゴメン、ゴメンな……。よっし、春歌、これから川へ行こう」 兄君さまはワタクシの手を握り、下り坂がある方向を指差しました。 少しなみだ目のワタクシを、にこやかに笑って見つめてくださっている兄君さまがいる。 なんだか、それだけでワタクシは心が晴れていって……。「はい!お供しますわ!」と一緒に駆け出して行きました。
やっと、ワタクシと兄君さまの夏休みが、始まりました。 |