黒谷さんからメールが来たよ!
〒黒谷零次さん
リンク貼り付け完了しました、でも『補足』ってそう意味だったんですね〜(汗
先日は嫌味を言ってすみませんでした.
普通に考えて単に“捕捉”の間違いですよね.誰にも指摘されなかったけど.
まぁ,誤変換ですのでこれからは正しく使いましょう.
覚え方は“手足を捕らえる”です.
あずみゆきさんからメールが来たよ!
〒あず
みゆきさん
あなたがシスプリの作品を読むとき,
シスプリの主人公とはいったい誰か……
俺は、いくつかの「人」に当ててますねー。
一人は「男らしい誰か」、一人は「女らしい誰か」。この二人は必ずですね。
あとは気分で…… といっても、この二人、俺が好きな男性作家を想定してて、その二人ならどんなん書くかなぁ、ってw
あからさまですが、「三島由紀夫」と「橋本治」ですねwwwわーww
でも、今は「逢」の作りこみ中なので、自分の中の男の部分と女の部分と相談しつついろいろやってますw
いずれは「あずみゆき」は「逢」の影に隠れられるようにw
えっと,wは(笑)ですかね.
本題に入ります.
あずみゆきさんはシスプリの作品を読むとき,主人公に主に上記の二人をあてはめるということですが.
>その二人ならどんなん書くかなぁ、ってw
書く,って,あれ?
質問は“読むとき”なのですが・・・・・・.
後半の記述から,とりあえず“書くとき”に関する回答と判断して話を進めます.
(もしくは読みながら「公野櫻子が書いたこの物語,三島由紀夫や橋本治ならどう書いただろうか」と思いながら読んでいるのかも知れませんが)
三島由紀夫と橋本治が“男らしい誰か”“女らしい誰か”と想定されるのは,両氏の文体(ますらおぶり,たおやめぶり)が原因だと思われます.
私は両氏の著作をほとんど読んだことないですが,「金閣寺」や「桃尻娘」を読んだ限りでは
・三島由紀夫氏の文章は至って冷静に構えていて,語り口調ではないために,語り手である「私」の一人称を三人称にしてもあまり違和感がないような文章
・橋本治氏の文章はまあ言うまでもなく「桃尻語」で,感情表現が豊か.当時の「ひねた娘」の雰囲気が,語りによって巧みに描かれているような気がする.(当時のひねた娘知りませんので)
橋本治氏の文章は今読んでも非常に自然に読めるところがあります.かつ私にとっては魅力的でした.
氏の文章は文学界に大きな影響を与えたらしいですが,社会的に知られていなかったひねた女性の感性を敏感に感知した点で新しかったのか,それとも文学者に関心をもたれていなかっただけで,社会には当たり前に存在していた感性を文学に持ち込んだ点で新しかったのかは定かではありません.私にとっては.
話がそれました.この二人について語るにふさわしいのははあずみゆきさんであって,私ではありませんね.
私の思うところでは,シスプリのモノローグな文章は,語りを通じて個性を描くという点で両氏に通じるところがありますが,橋本治の方に近いものを感じます.
三島由紀夫は文体が美しいですが,ますらおぶりで気取っているためにダイレクトに感情がわからないんです.
橋本治の凄さは彼が男性でありながらあれほどまでに活き活きとした女性を描けるところにあると思います.つまり,「三島由紀夫を読む」とはわけが違うんですね.
>いずれは「あずみゆき」は「逢」の影に隠れられるようにw
この一説が全てです.
しかし.この凄さを逆説的に捕らえると,氏の書く「女性」は,つまり鍵括弧つきの女性なのではないかとも思えるのですよ.
虚構であるからこそ存在しうる女性性.
「女らしさ」とは,女性に自然に備わっているものではなく,男性が求めるもの.
橋本治氏の文章が描いたものは,「控えめな女性」という,既存の「女性性」をうち破りましたが,女性に求められる「女性性」の域は出ていなかったのです.
(「女性性」からの脱出の「文学」的是非はともかく)
これがシスプリにも通じているわけですよね.シスプリだけじゃないですが.
シスプリの12人の妹たちは非常に活き活きとしていて,心情描写が非常に魅力的ですが,言うまでもなく彼女たちは実在しない.言葉遣い一つとってみても,現代社会に「〜なのよ」とか「〜だわ」とか言う少女がどれだけいるか.
これらの「女らしい」言葉遣いの歴史は意外に浅く,明治の言文一致と共に政策的に定着させられたらしいですが,生活に根付かなかった.しかし「文学」の中にはしっかりと根をはり,当たり前の共通語となった.それに付随する「女らしさ」と共に.
現実世界を行きながら同じくらい小説を読み,TVドラマを見ている人はそっちの「常識」に慣らされていました.だから,「桃尻娘」の出現に,人々は驚きあわてたのです.
また話がそれました.
つまり,魅力的なキャラクターとは,魅力的なリアリティなのです.
リアルとは別の世界なんですよね.
でも私などはそういう世界に憧れ,四葉や衛にときめいたりするのです.
虚構の女性に恋する男.よく言えばロマンチスト.悪く言えば妄想野郎ですか.
しかし,その女性性を現実の女性に押し付けず,自分の脳内だけで処理している点で,今のオタク文化なんて健康だと思いますがね.
ほんの数十年前までの「女らしさ」なんて概念は本当に強暴だと思いますよ.家にいて家庭を守るのが女の務めだとか.
女性に理想を押し付けるだけのチカラ(権力)が奪われた男たちは,その理想を文化として虚構化する.
(たまにその理想を現実の女児に向けたりしちゃう人もいますが.)
虚構だから歯止めが利かない.どんどん現実から離れたファンタジー(魔女っ子など)にときめいたり,逆に非常にさばさばした女の子の仕草に萌え萌えしたり.
シスプリとは,その辺のバランスが上手く取れていて,かつ天広,公野両氏によって非常に魅力的に彩られた名作だと思っています.
私ももう少しキャラコレを読み込んだり,橋本治を読んだりしようかな.
しっかし.
思わぬ方向から回答をくれましたね,あずみさん.
でもあなたの言わんとしたことはわかりました.
旋律も単に
「clevercloverの好みのタイプの女の子」(タイプ=記号の集積)
にしちゃいけないですよね・・・・・・.
がんばりまっす.
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