ごがつついたち。そとはかなしいほどおてんきです。なのに、きょうもしごとをしています。
最近、電車通勤からマイカー(死語)通勤になったので、おもろい人/アブナイ人観察ができないのがさみしい。ちぇ。そういう意味では、ちょっと退屈している今日このごろなのです。そりゃ、車の中でSIONの新譜にあわせて、♪もう止まらないタンバリン〜〜 などと熱唱している私の方がアブナイとは思うけどさ。
思えば、電車は面白い光景の宝庫であった。そういえば、いつも乗っていたリーダー(城島(TOKIO)本人ではないかと思うほどソックリ)は元気だろうか。電車に乗らなくなる前に一度、スレ違いざまに「リーダー」と小声で言ってみれば良かったワ。「ハッ、なぜその名前を・・・なにやつ!てやえ!」って、手裏剣で殺されたりして。
5月2日(木)
仕事のセットアップその他で時間を費やす。契約書のお仕事をすませて、ソラリアシネマへ「チング/友へ」を見に行く。この映画は韓国で800万人が見たんだそうだ。4人に1人が見たという、まさに往年の紅白歌合戦のような(違)。脚本も俳優陣も良く、韓国映画の現場の活気が画面から感じられる。ただ、ストーリーは「どっかで見たわよ」感が拭い切れない。高度成長、貧しさと豊かさが交錯する子供時代、タイプの全く違う友人たち、重なることのない人生、友情、雨の中の銃撃戦。「太陽にほえろ」か「西部警察」か。しかも、俳優陣もみんな誰かに似ている。今回の主演4人はそれぞれ、アニマル梯団おさる、元巨人の吉村、阿藤海、小林旭、であった。今さらながら、日本と韓国はルーツが同じ民族なんだと感じる。(そんな感心の仕方かい!)
と、このように気のない感想文で終わりそうだったというのに、ラストぎりぎりになって、涙がとめどもなく溢れだした。自分でも壊れたのかと思うぐらいに、涙が止まらなかった。何だか、不思議な涙だった。画面に催涙ガスが仕込んであったのだろうか。まさか。
ちなみに、チングとは「長く親しい友人」という意味。漢字で「親旧」と書くのだそうだ。いい言葉だと思った。「もどらない子供時代」に哀惜の意をこめて。
5月3日(金)
例年通り、どんたくの日は雨。Yの家に押しかけて、ゴロゴロして過ごす。いわく業指数の高い休日。楽しくて、何と朝5時まで話していた。恋人同士かい。何故か、朝5時ごろからおもむろに「Xファイル」鑑賞開始。ロバート・パトリックのシワに目がハアト。男の人のシワは何でこう色っぽいのだろう。女もかくありたいものだ、と思う。もちろん朝6時ごろ、二人ともソファで沈没。結局、モルダーがどうなったか誰も知らない。
5月4日(土)
ほぼ死体となった一日でした。
5月5日(土)
ひさしぶりに晴れ間がのぞく。この季節の若葉は目に焼きつけておきたいほど美しい。雨があがった後の植物は、まるで太陽に向かって手を伸ばそうとしているようだ。可愛い。雨の後は、背伸びをしているように大きくなるのだ。庭のトマトもいつの間にか腰の高さにまで成長していた。支柱を立てたり、間引きをしたりしていると、あのトマト特有の青っぽい香りがあたり一面に立ちこめた。まるで、青の香りに「包囲」されてしまったような。このすさまじい生命力。
夜、ダディーズファームにて定例のプチ同窓会。この集団は何なのだろう。生き方も職業も興味の対象も人間の種類もまるでバラバラだ。エロ雑誌に漫画を書いてる人がいたり、友禅染めをやっていた人がいたり、主婦がいたり、図書の司書がいたり、ダンサーがいたり、ボケた翻訳者がいたり。変な集団。でも、集まると不思議と笑ってばかりだ。結局、何時間も何の話をしていたか思い出せない。でも楽しいからいいのだ、これで。今回気付いたのは、私の半分仮死状態にある記憶力は、下らないディティールになるとものすごく鮮明になるということ。この日も、ある下らないことをビビッドに覚えていて、みんなにすごく誉められた。って喜んでる場合か。
5月7日(火)
花の連休も終わり、今日からお仕事。会社に来た途端に机の上に積まれた書類を見て、テヤー!とご乱心する私。上司に切り掛かったりしないように注意しよう。殿中でござる。
Kちゃんが、自分で作ったキムチチゲをわざわざ届けに来てくれた。目の覚めるような辛さではあるけれど、辛さの中に甘みがあったりして、韓国料理は奥が深い。でも「ちなみに豆腐も豚バラもえのきも賞味期限切れです」とわざわざ言うな。明日の朝、私がベッドで冷たくなっていたらどうするのだ。
Kさんより興奮のメール。浅井健一のソロプロジェクト「ユダ」のライヴが素晴らしかったそうだ。浅井健一、渡辺圭一、池畑潤二。先日は、山口洋、渡辺圭一、池畑潤二の組み合わせのライヴもあったけれど、こうして並べてみると、山口洋と浅井健一のコントラストがハッキリして面白い。どちらもグレッチを持っているけれど、音の感触も方向も切れ味もすべてがあまりにも違う。これは、どちらの組み合わせも見ないとおさまらないざます。「ユダ」はバンドとして活動するが、山口/渡辺/池畑の組み合わせはイベントでもない限り、福岡ではしばらく見れそうにない。こういう時、辺境(というほどでもないけれど)にいるのをちょっぴり恨む私なの。まずしさにまけた。いいえ、せけんにまけた。
5月8日(水)
Face the music.
英語で「状況を受けとめ、立ち向かう」という意味だそうだ。
高台にある友人の家が大雨で地すべり、家屋崩壊とさんざんな目にあった。処理が終わっていないので、壊れかけた家はそのままにしてあり、彼女と家族は別の家に住んでいる。先日ひさしぶりに行ってみると「トムとジェリーで崖に立った家がユラユラしてる」シーンみたいになってたそうだ。絶妙のバランスで立ってんのよー!だと。「もうちょっと壊れたら"岸辺のアルバム"だったのに」などと言い、状況を笑い飛ばす彼女を素晴らしいと思う。泣いていても仕方ない。こういう時、人間の底力みたいなものが試されるのだと思う。
5月9日(木)
友人の冊子で頼まれている原稿をまとめる一日。でも、まとまるわけがなかった。長編小説を短編にするような作業なのだから。削ぎ取っていく作業、というのは思うより勇気がいる。
ちょっと頭を切り替えるためにタワーへ(他に行くとこないんかい)行く。元ちとせの新曲が視聴盤オンリーで聞けることになっていたので、さんざん悩んで、分娩室の前にいる旦那のように歩き回った挙げ句、ついにヘッドフォンをセット!結果は90秒後。ウソ。
せっかくハシケンの曲だと言うのに、もったいない、ああ、もったいない。ポップに「元ちとせは和製ビヨーク」なんて書いてあったりして、一瞬目を疑った。和製アラン・ドロン=草刈正雄?和製ブルースの女王=淡谷のり子?とか、次々に「どうなんでしょう和製連」が頭をよぎる。和製XXという表現は文部省で禁止にしたら良くってよ。と、お蝶婦人も言っております。
結局、ナンバーガールの新譜を買って帰る。さあ、原稿はまとまるのだろうか。
5月10日(金)
ついに、やってしまった!野球の速報が携帯に入るようにしてしまった!でも、オヤジと呼ばないでいただきたいことよ。また、お蝶婦人が言っているようです。
夜、ドラムロゴスにてSIONのライヴ。
齢41才。この人は、35才を過ぎてからどんどんカッコよくなっている。(昔は、スージー・スーにそっくりだった)凄いことだ。老いてなお枯れず。30になるのが怖い、なんて言ってる場合じゃないのだ。久しぶりに聞いた「螢」や「俺の声」はしみたけれど、それは「過去」の歌ではなかった。「今」の歌だから、SIONは歌うのだ。この人についてずっと書きたかったことのヒントが今日、やっと見えたような気がする。
「砂の城」と「お前がいる」が終わった後、隣にいた10代とおぼしき男の子がステージに向かって、「ありがとう!」と何度も叫んだのが印象的だった。ありがとう。私もそう思った。あなたの声はピンボールなんかじゃない。みんなを踊らせることができるのだ。
5月11日(土)
朝から、父親と「山田と城島はどっちがいい男か」でギロンした。あほ、城島に決まってるじゃん。この人が野球でなく音楽を選んでいたら、絶対にベーシストだな。それも、ブンブンブイブイな。
仕事を片付けて、やっと「モンスターズインク」を見る。時間をチェックしてなかったので、吹き替えの回に入ってしまった。始まった瞬間、はしたない声が出た。「ゲッ」。ところが、これが思った以上に良かった。サリー役に石塚さん(ホンジャマカ)、マイク役に爆笑問題の田中(何でコッチは呼び捨てなんだろう)。声優の顔が見えて、なおかつそのキャラの声として聞くことができる。特にサリーの石塚さんは、ほんとはCGじゃなくて特殊メイクじゃないか?と思うほど「石塚さん自身」だった。映画はオーソドックスなストーリーだけど、好きだったな。目を泣きはらしてエレベーターに乗るのは死にそうに恥ずかしかった。
ただ、泣いた映画=心に残る映画、かと言うと、そうでもないのが不思議なところだ。オンオン泣いた映画はいくつもある。でも、それが自分にとって大切な映画かと言えば、そうとも言い切れない。「シャンドライの恋」で、ショックを受けたシャンドライが失禁してしまうシーンがあって、それを見た時「肉体の反応」も感情の一部だと思った。「泣く」という行為も、実は限りなくこれに近いと思う。(町山広美も言っていたけれど)感情表現である前に、生理(排泄)現象の一つなのだから。だから、人前でしょっちゅうお見せするものではないと思うし、どちらかと言えば、泣くというのは恥ずかしい行為だと思っている人の方が私は好きだ。自分が本を読んでしょっちゅう電車の中でゴンゴン泣いているこらえ症のない女だから、余計そう思うのかもしれない。
要するに、安住アナウンサーって嫌いなのよ、という話。最近のテレビは「涙」に対して、無法地帯になってる気がする。泣けばいいってものじゃない。
5月12日(日)
海。汐の匂い。水平線。泡立つ感情。ヤドカリ。傷だらけになった爪。波打つ心。夕陽。夕陽。夕陽。
夜、ビデオで「アデルの恋の物語」を見る。
5月13日(月)
ひさしぶりの快晴。「美しき若葉の頃」あれは誰の曲だっただろう。車を走らせながら、山を見るとそのまま緑に吸い込まれていきそうだった。私はつくづくバカだと思う。同じことを繰り返している。
レコードショップの前を通りかかったら、店の前でミスチルの新譜のキャンペーンをやっていた、ミニスカートのキャンペーンガールが・・・。ベスト盤の時は駅でコーナー積んであったりしたし。ああいう売り方ってミュージシャンの方から見たら、どうなんだろう。レコード会社が勝手にやってることなんだろうか。桜井氏が「キャンペーンは絶対、きれいなおねえちゃんに。それもミニスカートで」と指示したのなら、それはそれでいいなあと思うけど。
5月14日(火)
スジを煮る一日。
本屋の前で、「巨人の星」と「あしたのジョー」がセットになった本が出版されるという看板広告を見た。でも、広告のコピーに墨文字で
「男なら前のめりで死ね」
って書いてあったのは何故なのだ。前のめりって一体。要するに「腰をひかすな、現役時代の原辰徳みたいなポップフライを打つな」って言うことだろうか(拡大解釈)。皆さん、これからは前のめりですよ、前のめり。
5月15日(水)
ズッキーニの花が咲いた。これが野菜になるなんて思えないほど、美しい黄色い大輪の花。水と太陽と土で命が育つ。花が咲いて、実がなる。単純なことを大切にしようと思う。
5月16日(木)
ヤポネシアンボールズファウンデーションのキャンペーンで福岡に帰ってきた山口Bとダディーズにて会合。渡辺地獄氏、ブレインズのYさんとともに。
同行していたリスペクトレコードのTさん、通称「鬼瓦」氏とお会いする。リスペクトレコードのお仕事は前々から素敵だと思っていたけれど、Tさんとお会いして納得した。こんなに愛情を持ってレコードを売ろうとしている人に会ったことがない。音楽について語りはじめる時のTさんの目を思い出すとちょっと泣きそうになるくらいだ。
私が沖縄の音楽をとても好きで、平安さんのライヴを福岡でやりたがっていることを山口Bが事前に話していてくれたらしい。いつもながら、その優しい気配りに感謝。いろいろと話を聞かせてもらえて、何だか面白い展開になりそうな予感がする。
今回のキャンペーンは、山口Bがプロになって以来、最高の量だ。私でもわかるぐらいの。あれほど自分の作品のPRが嫌いな男が、いろんな場所に行き倒し、メディアに露出し倒し、しゃべり倒している。ここまで頑張っているヒロシを見たことない、と某所の友人も言っていた。この頑張りはひとえにTさんの熱意によるところなのではないか、そんな気がした。
疲れた一日ではあったけれど、Tさんにお会いできて本当に良かった。
5月17日(金)
いつもそこで必ず狂うレコードの瑕のごとくを身に持てりけり。
誰の言葉だったか、ずっと考えているけれど、思い出せない。
何という痛々しい言葉。でも、他人と思えない。音楽が頭の中を駆け巡っている。
ずっと感情をコントロールできる人になりたい、と思っていた。今頃になってやっとわかった。感情を抑えるのではなく、上手に「出す」ことができてこそコントロールできていると言えるのだと。喜びも悲しみも怒りも全部そうだ。私は抑えることしかできない。「怒り」を上手に伝えられるようになったら、人間として上等だなと思う。まだまだまだまだまだ、だ。
5月18日(土)
ヴァン・モリソンの声が日々のすきまにしみこんでくる。アサリを買って、スパゲティを作った。オリーブオイルで炒めたニンニクとワインの香り。
いろんな思いの断片が浮かんでは消える。
5月19日(日)
CBGBにて、ダディーズファーム6周年記念イベント「農閑期謝肉祭」。ダディーズの農場主とワールドパーティのN君が目論んだ企画。N君はリアムのライヴの時に「手伝わせて下さい!」と電話をしてきてくれた好青年だ。農場主とはシャロン・シャノンのライヴのお手伝いの時に会って以来、いつの間にか親友状態に。はたで見ていて笑えるほど気が合っている。この二人を見ると、まったく縁とは「異」なものだと思う。
終わってみると、本当に濃いライヴだった。換気の悪さと煙草の煙で視界が白くなって、目が梅干しみたいになったりしたけど。熱が出そうなくらい楽しい夜だった。一瞬でステージの空気を塗りかえてしまうトミー&アジ、声の伸びが素晴らしいツヨシ君(ダディーズバイト生)、混沌と静寂が整合していたヤパーナスコープ。でも、煙りに耐え切れず外に出てしまってごめんなさい。
クロウマ。彼らの歌はどんどん飾りをとっていくと最後に「風」が残る。南さんの声は風に似ている。"あいまいの中/心は通じ合ってる/そう信じていくよ"−今日も忘れられない「コトバ」を聞いた。
N君率いるホットグラウンド。意外に骨太で、荒削りな感じが良かった。アチチなニール・ヤングという感じ。またじっくり音を聞いてみたい。
ラストを飾った無礼者達は、大狂乱の観客に見守られてマッハゴーゴーゴー(意味不明)。農場主のゴーマンキャラも最高潮で、バンドのいい部分が爆発したライヴだったと思う。終演後、Tシャツが売れに売れたのがその証拠だ。カキーンと打ち上げたボールが場外に消えた、という感じ。
そして、今日はBig Mama(宅嶋淳)が見れたことが嬉しかった。歌もコトバもバンドも身体が震えるほど素晴らしかった。ベースの松本さんとキーボードの吉田さんの笑顔−心をひっかくように美しい「1%」で。ステージを見ていると、涙が止まらなくなった。一度は、バラバラになった点をまた音楽が結んでいく。けして美しいところばかりではないけれど、音楽にはこんな瞬間があるのだ。
終演後の打ち上げで、出演者がみんないい顔をしていたのが印象的だった。
素晴らしきかな、人生。
5月20日(月)
母親が中津江村の騒ぎをテレビで見て一言。「カルメンって誰?」誰がフラメンコやねん。
それにしても、振り回されてるなあ。大体カメルーンって国はどこにあるのだ。エムボマと聞いて、一瞬「爆弾犯」(それはユナボマー)を思い浮かべてしまった私って一体。
昨日のライヴに岡山から来ていたNを昼食に連れていく。地獄がゆ(と言っても、渡辺圭一が入っているわけではない)をはふはふ言って食べていると、仕事で呼び戻される。彼女が来るのは平日が多いゆえにゆっくりつきあってあげられないのが残念。雪辱戦を約束して別れる。
仕事に戻ると、急に納期が短くなった原稿がそこに。「聞いてねえよ!」とダチョウ倶楽部化して、仕事を片付けた。
5月21日(火)
タワーにてヤポネシアンボールズファウンデーションの新譜「アザディ!?」購入。特設コーナーはなかった・・・。このジャケットを見て「この人、ホントは男?」と言ってしまったために、Bから「おれたちのまりあちゃんに何を言う!!!」とヘッドロックを食らわされた。フン、だっているじゃん、こういうオカマちゃん(まだ言ってる)。
シングルでPEALOUT「旅人の歌」も入手。近藤君の「やっと納得いく日本語の詩が書けた」という言葉がずっと頭にあった。美しい。言葉にならない思いで何度もリピートして聞く。遠く離れていても、同じ思いを叫ぶ人へ短い手紙を書いた。
出会うことさえないけど/同じ瞬間の歌、感じるだけで。
5月22日(水)
Mと「夏に聞きたい曲」を編集して交換しようと言う、中学生のような企画をたてる。半ばわたしが強制的にもぐりこんだ感じ。選曲していると「夏に聞きたい曲〜いやがらせ編」の方がスイスイ思い浮かんだので、ここで勝手にご紹介。
1. 燃えろいい女
2. め組のひと
3. チューブの曲(何でも可)
4. ふたりのアイランド
5. ゴールドフィンガー
6. チャコの海岸物語
7. 君の瞳は一万ボルト
でも、ホントに存在する気がしてきたぞ、こういうCD。
家に帰ると、岡山発ロックな小冊子「Pieces」が届いていた。誠実なお仕事を一気に読む。自分が動かされるものを作る友人がいるというのは素敵なことだ。毎回思うけれど、本当に仕事が丁寧だ。Mは誤字脱字校正のテン菜、否、天才である。それでいて、神経質でもなくおおらかという不思議な人物である。彼らがこれだけ長く冊子作りを続けてきたのはこんなバランスがあるからかな、と思う。
さあ、そろそろまた飛んでみようか。
5月23日(木)
納品の帰りに「わしたショップ」に寄り道。仕事しろ、私。
CLICK6号に書いた海人(八重山民謡を歌う若者のユニット)のCDがついに発売されていた!!!
CDショップで思いもかけない喜びを見つけた時って、「人間にシッポがなくて良かった!」と思ってしまう。何気ない風を装っても、嬉しいのバレちゃうよ!みたいな。たぶん後ろから見たら、ものすごい勢いで見えないシッポが動いていたと思う。ああ、恥ずかし。でも、すばらしい。さっそく買って帰り、いろんな人に喜びの報告をする。
彼らを見たのは一度きり、それも3年も前の話だけれど、あの時受けた感じはやっぱり間違ってなかったと思う。オーソドックスに演奏される八重山民謡。でも、選曲とリズム感がロック。三線に津軽三味線の音色を取り入れた「ちるばんち」はロックファンにこそ聞いてほしいと思う出来だった。一日中、「ハイヤ」「カリユシカリユシ」とお囃子をしていた。頭がちるばんち〜。
5月24日(金)
「アモーレス・ペロス」というスペイン映画が公開されている。「犬のような愛」という意味だそうだ。スペイン語の響きは美しい。爆竹が次々と爆発していくみたいだ。それでいて、ちょっと湿り気があって。
この映画とは直接関係ないのだけれど、「犬のような愛」って理想なんじゃないかと思う。犬を飼いはじめてからわかったのだけど、その愛情のまっすぐさ加減ときたら、人間なんか足下にも及ばない。全身で「うれしい!大好き!そばにいてくれて幸せ!」なオーラをまき散らしてダーッと走ってくる姿には目が眩んでしまう。プレゼント買ってくれない、とか、優しくしてくれない、なんて言わない。ただそばにいるのが嬉しい!というまっさらで何の混じりけもない愛情。ほんとうに美しい。
いつか人間に恋する犬の話を書きたいと思っていて、友人に話したら「それ、獣姦やん」と言われた。ま、確かに。
ダイエー/近鉄戦のチケットをいただいたので、仕事を終えてドームへ。しかし、何が悲しくて父親と行かなあかんねん。
初回で2失点の寺原、「お前はもう2軍落ちじゃ」と思っていたら(何であんたが監督やの!という疑問はさておき)2回からみるみる良くなって結局7回までおさえてしまった。こういう時に「もうアカン〜」とますますダメになるか、「イマニミテロ〜」と息を吹き返すか、というのはピッチャー人生をわける一つの「才能」だとあたいなんかは思うわね!
今日はドームに花火があがった。
5月25日(土)
医療器具の資料のお仕事。見たこともない漢字が並んでいて、頭がクラクラして椅子から転げ落ちてしまいそうになる。友人のお医者様の助けを借りるけれど闇の中を手探りしているよう。まさに暗中模索、aren't you mosaku?
O氏曰く「精神科の医者の透析の知識なんて、アメリカ人の握る寿司みたいなもんですよ」とのこと。そうか、うまい!座布団一枚。となると、私が翻訳した資料はインド人が作る手打ちうどんみたいなものかしら!!?(わーやだ、それ)と、心配になってチェックにチェックを重ねた。しおしおのパー。
仕事を中断して、熊本から福岡にきていたK君と会合。紀文でまぐろ丼を食べた後、何となく公園に座って長いこと話した。この「何となく」ができる相手は少ない。お互いに寄り掛からずにがんばっていける。そのことを確認した。何となく楽しい午後。
夜、Kちゃんからお誘いを受けた大工哲弘さんとアダチ宣伝社のライヴに行くつもりが仕事が終わらず、アワワのワ。静かなるご乱心。
5月27日(月)
Kさんよりメール。私がCLICKで紹介した「遠い空の向こうに」をビデオで見たと書いてあった。遠く離れた場所にいて、同じシーンで同じことを感じていた。距離を越えて温度を届けてくれるのは、電話でもなくて、手紙でもなくて、メール。そういう時ってあると思う。パソコンの電源を切っても「温度」が残った。
5月28日(火)
ブライアン・セッツァーライヴ。奇跡的にとれたチケット。満員のZEPP福岡。笑顔。世界一リーゼントが似合う40代。最高に楽しいライヴだった。
帰りにチャレンジャーN君が新しく開店した「軸」に寄らせてもらい、美味しい地鶏料理にうほうほ。ハツの刺身をプレゼントしてくれたから言うわけじゃないんですけど、この人のセンスと直感はすばらしい!と思う。楽しい夜。
5月29日(水)
とある駐車場に「閉門、日没から日の出まで」と書いてあった。えー、いわゆるひとつのフロムダスクティルドーンですね。なんてブンガク的な。
蓮見圭一の「水曜の朝、午前三時」を読む。主人公の女性が「古い時代を奔放に生きた」翻訳家。それだけで、「あ、もうダメ」と思ってしまう。職業に貴賎はなくても、職業は人格を決定する。「奔放な人」は、翻訳家からもっとも遠い場所にいる。説明すると長くなるけれど。
小説のほうはところどころ光る部分があったけれど、結局何を描きたいのかわからないままだった。何なんだろう。いろんな人が帯で絶賛しているけれど。大きなクエスチョンマーク。
先日、気が強いことを言った私に友人が「君もなかなかウーマンリブだね」と言ったギャグが私の中ではかなりヒットで、テレビで田島センセイや福島瑞穂がしゃべっているのを見ると「あ、ウーマンリブ」とひそかに思うように。永瀬清子の散文にも「ウーマンリブ」という言葉が出てきて、当時の運動には切実なものがあったと思うけれど、微妙な感じの死語になってしまったんですねー、としみじみ。
5月30日(木)
会社から「今月末までで期限が切れるB電器の商品券があるから、使ってもいいよ」と言われたので、下見と称してB電器へ。そして、帰ってきた私の手にはなぜかiMacが・・・。なぜ。いったいなぜ。ダイエーに野菜買いにいったのとちがうで。「ちょっと車でも見てくる」と言って、帰りに新しい車を買ってきた父親と同じ血が流れている、ような気がする。男前な家系と言うてください。
最初の頃のジェリービーンズみたいなカラフルの色のはもう作っていないとかで、シンプルなグラファイトのを選んだ。マックの熱烈な信奉者!とか、ビルゲイツの私腹肥やすな!とか、思っているわけではなくて、今さらOSが変わるのが面倒でマックを使っているのだけど、このデザインの発想はやっぱり凄いと思う。やってしまえばコロンブスの卵なんですけどね。
ただ、今のAppleは「マイクロソフトが独占禁止法にひっかからないための」当て馬として生き長らえさせてもらっているようなもので。ちょうど私がいる時に「ウィンドウズとマックで悩んでいるんですけど・・・」というお客が来たら、店員、迷わずウィンドウズ機をすすめてやんの。心の中で(お前もか!)となぜかムッとした。