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6月1日(土)

急に思いたって、ヤポネシアン・ボールズ・ファウンデーション岡山公演へ。思えばうまれてこのかた、何かを「熟考」なんてしたことがないような気がするけれど、今回は特に「直感」がピーンと走った。ヨーロッパでは「聴覚」が見直されていて、宗教でいう「啓示」や「お告げ」は声で聞こえてくるから、だそうだ。今日の私の「啓示」は耳ではなく、全身で。なんだか「引っ張られてる」感じがしたのだ。友人が主催する、ということも大きかったのだけれど。

半年ぶりに向かう岡山。新幹線でトッド・ラングレンを聞く。今から見に行くロックンロールアディクツ集団とは対照的なひたすらネジレていくポップス。脳と耳の柔軟体操、という感じ。
「新尾道駅を通過します」というアナウンスが流れた時、二度目の「啓示」がやってきた。150キロで通りすぎる視界の端に「あの風景」が飛び込んできたのだ。もう一度、全身が強い磁力にひっぱられる感じがした。まるで掃除機に吸い取られていくように。ヒューン、あ〜〜れ〜〜、みたいな。そうだ、帰りに降りてみよう。そうひらめいた。

会場で各地の友人と再会、ハグ大会。音楽を通じて、こんなにたくさんの出会いがあった。単純にそれが嬉しかった。物販を手伝いながら、静かに開演を待つ。

ライヴ。演奏、バンドとしてのまとまりは前回と比べものにならないほど良かった。特にリズム隊の成長には目が水すまし(意味不明)。山口洋のモニターが死んでいる上に位置的に音の吹きだまりになっていたらしく、その不機嫌さが音に出ていたけれど(音楽にはとことん嘘がつけない奴)、いいバンドになったなと思った。年とってアホになれるなんてね。「灯り」から流れが変わり、とんがった感じと透明感のバランスがいい音になった。ひさしぶりに渡辺圭一のベースで聞いた「Hey My Friend/ Don't Die Young」はすばらしかった。欠けていたパズルのピースはここにある。もう絶対になくさない。

夜、くんずほぐれつの宴。疲労困憊の山口Bに「俺に恨みがあるやろ?(わかってんじゃん)その恨みをこめて肩を叩いてくれ」と言われたので、(あしたのためにその1・・・)と考えながら、本気と書いてマジで200%ぐらい恨みをこめてやった。内側にえぐるように打つべし!しかし、敵はそれでどんどん元気になるのだった。へっへへへ、逆効果だったよ、おやっさんよ。
途中、なぜか山口Bリベンジのプチライヴが始まった。この人は音楽をやっている時は本当に子供みたいに楽しそうだ。しばらく「うたごえ喫茶」状態。音楽の周りに人が集まっている図はいつ見てもいいなと思う。キャンプファイアの夜のよう。炎はなくても、音楽がある。NO FEAR/NO MONEYのK氏の「ワイルドホース」は最高だった、いろんな意味で。
初対面を含むいろんな人と騒いで、気がつくと明け方の4時。お前、テンション高っ。飲んでないのに。楽しい夜だった。

6月2日(日)

悪夢にうなされて目が覚める。フォルテシモ並みの早起き。ウォウォウォウォ。急に「二日酔いの朝に昨夜の行動を反省する」酔っぱらい状態になる私。飲んでないのに。どうなってるんだ、私。

8時半にホテルを出て、尾道へ向かう。かつて、1年に一度は通った場所。気がつくと、最後に行った時から10年たっていた。それでも「あの風景」はずっと私の中で生きていた。思い出にも命があって、何かのきっかけで心の中で「ここから出して」とトビラを叩くことがある。尾道に近付いていく汽車の中で、私の中の「あの風景」がカタカタ音をたてた。
尾道駅に降り立つ。優しい海。坂道。おだやかな光。漁船の音。お寺の屋根。私の中にこの10年息づいていた「あの風景」はちっとも変わってなかった。大橋ができて、駅前に新しいビルが建っていたけれど。林芙美子が書いたように、涙があふれてくる。遠い街に住む者の単なる思い入れかもしれない。でも、やっぱりこの街には何かがある。石畳の坂を登りながら、リカクマに電話した。この日のことはいつか書きたいと思う。
夕方、疲れ果てて家に帰りつく。

6月3日(月)

今日も尾道の風景が映写機のように心の中でカタカタ音をたてる。朝に、昼に、夕暮れに「今頃の風景はどんな感じだろう」と思ってしまう。まるで恋のよう。私の中の永遠の夏がそこにある。

契約書のお仕事。頭が痛い。買っただけで聞いてなかった椎名林檎の「唄ひ手冥利」(カバーアルバム)を聞いて過ごす。この人は基本的に人をおちょくるのが好きなので、いちいち面白い。出産したからと言って「母性がにじみ出た」とか「子供を生んだ人にしかない深みがある」みたいなコメントが絶対つかないアルバムに仕上がっております。ウフ。だからといって、攻撃的とかアバンギャルド(死語)なわけではなくて。このバランスが彼女の素敵なところ。嫌いな人にはいくら説明してもわかってもらえないけれど。

6月4日(火)

陽射しがすっかり夏だ。この季節の女の子の服っていいなと思う(繰り返しますが、女です、ワタシ)。目にあざやかなシャツや、すずしげな細い二の腕や、コットンのワンピース。アーウィン・ショーの「夏服の女たち」で「なぜあなたは私と歩いているときに女の人を振り返るの」と聞かれた男性が同じようなことを答えるシーンがあった。女の私にも彼の気持ちはわかる。夏服、というのはひとつの美しい夏の風景なのだと思う。たまに、いやいやいやいやいや、君、それはどうかな?という時もあるけど。

宮内勝典のホームページ「海亀通信」を読んでいたら、ヒットラーとナチスの犯罪を『二十世紀最大の謎』だと書かかれてあった。『600万人をガス室へ送り込むという狂気がどうして発生したのか』と。これについて、私もずっと考えていたことがあって、実はとても単純なことだったんじゃないかと思ったことがある。学者からは不謹慎だと怒られそうだけれど。原稿にまとめてみよう、と思った。

6月5日(水)

晴れた窓辺。夏の陽射し。流れこんでくる風。仕事も投げ出したい(実際こんなことしてますし)ようなそんな一日。イアン・スミスのアルバムがしずかに流れる。山口洋のハーモニカ。優しい声。マーナス・ラニーのブズーキ。夏の太陽の匂い。風の匂い。草の匂い。

ビンボーくさい顔の作家(コラ)と美人なのに不幸が匂う女優の入籍のニュース。イアン・スミスの音楽とはあまりに対照的な。複数の人が「絶対長くもたない」に100万ペソ/500万リラ/100フラン賭けると宣言。それはいいけど、何でみんな外貨なの(笑)じゃあ、私はヤシの実10個で。

6月6日(木)

元上司のE氏とお昼を食べる。金髪碧眼、長身、チープトリックのロビン・ザンダーみたいな少女漫画な風貌。実際ファンも多いのだけど、内を知らない恐ろしさよ。その口から発せられる言葉はかなり辛辣で、中身は頑固親父そのものだ。茶ぶ台ひっくり返しかねないよ。そのギャップがかなり面白い。そんな彼との会話はもちろんスィートなわけはなく「ニホンの英語教育は何故ダメなのか」エトセトラに関するギロン。人間っておもろいなあ。

最近、気になっていることと言えば、去年の12月の日誌に書いたフーリガンのための「日本語で罵るガイドブック」は活用されているのか?グローバルコミュニケーション by グレイ!は実現したのか?と言うことです。どなたか球場や町中で「スシを全部食ったのはダレだ?」と罵られた方、その解答も書いてこちらまでお寄せください。

6月7日(金)

ヤポネシアンボールズファウンデーション福岡公演。物販も身についてきた私です。ほんとか。
会場で、かつての私の日本語の生徒、R氏に再会。とある酒場で山口洋と知り合いになり、ライヴを見に来ないかと招待されたらしい。世間は狭いというのか、不思議な「縁」というのがあるのを感じた。
ライヴ。素晴らしかった。去年のツアーのような、演奏のあぶなっかしさ、ギリギリ感はまるでない。その分、いろんな事がクリアに見えてきたような気がする。「踊りながら、何かを感じてほしい」というバンドの狙い通りのライヴになったと思う。山口洋のギターも音が澄んでいた。きれいな花火のようだった。今日は復活してはじめて、渡辺地獄がブチ切れるのを見た。ベースをアンプにこすりつけたり、チョップをかましたり。この人はこうでなくては。大笑いしている山口洋の顔が「アンタ、待っとったバイ」になっているのがはっきりわかった。
この日のことはいろいろ感じることがあった。またあらためて、書きたいと思う。楽しい夜だった。

真夜中、嬉しいメール。カーテンを開けなくても星が見えた。じんわりと暖かいその温度を抱えて眠った。

6月8日(土)

楽しい一日を過ごした後、ヤポネシアンのインストアライヴがあることを思い出し(忘れとったんかい!)、タワーレコードへ向かう。時すでに遅し、着いた時にはラストの「明日のために靴を磨こう」だった。人をかきわけて見ていると、渡辺圭一がアコギ持っているのが見えた。思わずココロの中で(笑)マークが。ジャンジャンってコード押さえてるし。何年ぶりに見ただろう。藤井一彦と並んで『日本一アコギが似合わないミュージシャン』というポジションもなかなか素敵だと思う。
終了後、リスペクトレコードの鬼瓦氏があの(ピカー!)な笑顔で近付いてきて下さって、その笑顔が私にも伝染してしまったよう。こんな笑顔を私も持ちたいものだ、と思う。はたから見ると、私の笑顔の横に擬音が(ピカー!)と入っていたのではないかと思う。マンガか。

6月9日(日)

ビデオで「EUREKA」を見る。長い長い時間をかけて心にしみとおっていく映画。優しい距離感。優しい視線。優しい九州の言葉。ちなみに、あれは博多弁じゃなくて筑後弁ですね、甘木だから。他県の人にはどこがどう違うの、という話だと思うけれど。微妙なイントネーションの違いを聞き分ける自分の耳に今さら驚いたりした。私の耳は九州専用にプログラムされているのかもしれない。
とある商業サイトのこの映画の紹介文を読んでいたら「北九州を舞台に」なんてあって、適当に書いているのが、ヴァレヴァレ(下唇噛んでね)。きわめつけは「ジム・オーロックの音楽が流れ」だって(ぷ、って人の事言えないよ、お前)。正解はジム・オルークです。イヤですね、こういう愛のない仕事。

Wカップの事に全くふれないのもわざとらしく、かと言ってにわか解説のようなことを私が言ったら、ジョージアのポスターの松っちゃんに「君、それはどうかな?」と言われそうなので、今日の試合は凄かったとだけ書いておこう。あと、ヘルレイザーみたいなマスクをしている人の動きが攻撃的で素敵だと思った。鼻を骨折しているんだから、普通は腰がひけてしまうと思うのだけど。でも、記者会見にダックスフンドを抱いてくるのは「君、それはどうかな?」と松っちゃんが(以下省略)。一瞬、「えっらく黒い子どもやな!」と思ってしまったではないか。

6月10日(月)

先日見た「少林サッカー」があまりに面白かったので、会う人会う人に勧めて回る。ちなみに
コバヤシサッカー

と思っていたのは私だけではない模様。トルシエ監督にも招待券が送られたと言うので、ぜひ見てほしい。真剣なアホ、私は大好きだ。

古い友人から電話。ここ数年、引っ越しが多かった(逃げてるわけではないが)私の連絡先がわからず、手を尽くしてやっと探しあてたという。初めて会ったときは北京から来た留学生で日本語もままならず、二人で英語でコミュニケーションしていたというのに。受話器から聞こえてくる流暢な日本語に流れた時間を思った。最近、旧知の人との再会が多い。時間が巡っていることを感じる一日だった。

6月11日(火)

イアン・スミスのCDに対訳をつける。シンプルで嘘のない言葉。

父親、退職した会社に電話をかけたけれど、話したい人が不在。で、受付の女の子に「ジャニーズ事務所まで電話ください」と伝言したらしい。しばらくして、相手から電話がかかってきた。「こんなことするの一人しかいませんからね!」と笑いながら。
透析を受けている病院では何かと言うとダジャレを連発するので、看護婦に「いいから黙っててください!」とキレられたそう。
64才。父よ、君の余生はそれでいいのか。

6月12日(水)

昼過ぎ、Yよりナンシー関の訃報が入る。ベタな事、感傷的な事が似合わない人なだけに、ニュースとのギャップにかなり動揺する。テレビを見ていて「何となく変だ」と思いつつ、通りすぎてしまう時は多々ある。通りすぎながらも、こわばった空気を感じる。彼女のコラムは、そのこわばった空気の謎を解いてくれることがあったし、自分では気付かなかったツボを押してくれることがあった。これから、誰がキムタクと森繁にツッコミ入れるんだろう!彼女のコラムを嫌いな人も多かったと思う。でも、節操をなくしがちで、ベタに走りがちで、「感動をありがとう」なんて恐ろしいことを言ってしまう日本のテレビをあのスタンスで眺められる人は他にいなかった。「しめやかに葬儀」とか言うワイドショーを見て、あの世でツッコミ入れているだろうなと想像した。

6月13日(木)

文春で必ずチェックしていたものの、まとめて読みたくなって近田春夫の「考えるヒット」をネットで注文。頭がいいだけでなく身軽さと運動神経の良さを感じる文章が好きで。石川三千花との対談を読んでいたら「いつまでもチープな服を着たいから体型をキープする」という発言があって、最高!と思った。ファッションとか流行とか言っても、大切なのはそういうことだと思う。
Aからの密告で、ドイツのFIFAサイトにこんなページがあるのを発見。

「すぐに使える日本語」リストらしい。でも、こんな日本語を覚えてドイツ人は一体どうするつもりなんだろう。「ボールは丸い」と人類普遍の法則を哲学チックにつぶやいて日本人ギャルをナンパするのかしらね!(違うと思う)。しかも「残念だ、ドイツ終わっちやたよ」と最悪の場合まで想定しているとはさすがドイツ帝国。フーリガンに引き続き、競技場や街中で「ごげんね」とか「サッカ ゲーム は 九十分 です よ」とささやかれた人、こちらまでご連絡ください。

6月14日(金)

キャロル・キングの新譜「Love Makes the World」(美しい!)以来、キャロル・キングマイブームふたたび。今聞いても「Music」というアルバムは名盤。みずみずしいメロディと薄いもやのかかったような声を聞くと、17才の自分が蘇る。小さな悩みと隣りあわせの日々。でも、音楽がいつもポケットにあった。変わったようで何も変わってないのかもしれない、私は。

日本VSチュニジア戦。通りは暴動に近い大歓声。一瞬、スペインの牛追い祭りか!牛はどこだ!と思った。

6月15日(土)

こまごました用事を片付けた後、某英語教材会社が主催する翻訳者のセミナーに出席するため、東京へ。東京のことを私はよく知らない。何度訪れても、いまだにこの街が好きなのか嫌いなのかわからない。TVに映る東京は東京ではないのだろうし、地方特有の「よく知らないままに東京批判」というのもどうだろう、と思う。でも、何と言ったって『読売』はキライだけどね!

今日は、Bもふくめて関東方面の友人は全員ヤポネシアンの浜松ライヴに出払っているし、私の予定もかなり流動的なので、まったくの一人行動。ここで問題!
私は電車に乗ると、アラ不思議!必ず切符をなくす。今日こそはなくさないわよ!ミテラッシャイ!と心に誓って、内ポケットにしまうのだけど、必ず改札の前でバッグをひっくり返さなくてはならなくなる。私の周囲には何かとてつもなく大きなブラックホールがあるのかも。切符を吸い込むブラックホールが。というわけで、最近は切符類は人に持ってもらうことにしているのデス。今回は『切符をなくさずに帰ってこれるか!?』これが大きな課題なのであります。小さなアドベンチャー。

セミナーの前に、神保町に寄ってみた。ここの古本屋街にずっと行ってみたくて、シッポふりふり状態だったのだ。駅を降りた瞬間、深い深い感動をおぼえる。一軒一軒、店構えも違えば、取り扱っている本も違う。なぜか店先に軍鶏を買ってる店もあるし。怪しい。古本屋の扉を開けた瞬間の匂いがたまらなくいい。明治、昭和初期の本を取り扱っている店で、ずっとさがしている小沼丹の本のことを聞くと、カーンと打てば響くような解答がかえってきた。ヒデキ感激。感激ついでに昭和26年出版のグレアム・グリーンの「事件の核心」を買う。また、これがいいんだ。殴り描きしたような表紙の絵とタイトル。深みのある活版印刷の文字。一文字一文字、ていねいに読まなくては、と思ってしまう。
仕事に使えそうな洋書を何冊か買い込んで、おもむろに駅近くの『共栄堂』にてカレーを食べる。Dancyuのカレー特集で読んでずっと行きたかった店だけれど、特に感動はなかった。憧れていたもの(カレーですが)との対面ってこんなものかも。

地下鉄を乗り継いで、池袋へ。降りる駅を間違えないか緊張していたので、たぶん目が泳いでいただろうと思う。超不審者。
バブリーな会場で、翻訳における文法を中心とするセミナーを真面目に受ける。ノートに落書きしたり、テキストに載っている人物写真にお化粧をほどこしたりなんてこともせず(小学生かよ!)。ちょっと目からウロコのこともあったり。

7時にお勉強終了。バタバタ電車を乗り継いで、ハシケンバンドを見るために吉祥寺のスターパインズカフェへ。ギリギリまで浜松のヤポネシアンと苦しい選択だったが、浜松は何と言っても東京から2時間近くかかる。着いたころには撤収後、ガラーン、シーンという図が想像できるため(また、私がまともに着くとも思えないしね!いばるなよ)断念。それに、バンドのハシケンは一度見ておきたかったのだ。
ライヴ。しばらく放心状態。ハシケンは凄い。誰が何と言っても凄い。何が凄いか今はまだうまく言えないけれど、あえて言うなら音楽がとても肉感的なのだ。 音楽に魂があって、骨があって、ちゃんと下半身もある。ニューオリンズ風「びちゃびちゃ」のシンプルで肉厚な音の感触がずっと残った。文句なく前半期のベストアクト決定。
終演後、ハシケンとややタックル気味に話をさせてもらってホテルへ帰港。この人を見ると、いつもタックルしたくなるのは何故だろう。

悪い人に騙されないかとドキドキしていたため(ウソ)、ホテルのある駅に着くころにはボロボロのクタクタだった。そこで、駅前に『尾道ラーメン』の文字を発見。深夜近く、疲れきった福岡人にとってうすぼんやりと輝く「ラーメン」の文字は、まるで誘蛾灯なんですね。ああラーメン、あなたはなぜにラーメンなの、という感じ。尾道、そしてラーメンという甘い響きに、GOサインが点灯。一人であることも忘れて迷わずに入店、ねぎラーメンを食す。頭の中で笛やらでんでん太鼓やら鳴り響く美味しさでありました。
幸せな一日のしめくくり。

6月16日(日)

7時に起床し、電車の乗り継ぎを口の中でブツブツ唱えながら、羽田へ向かう。オッ!今回はセーフだ!切符なくさなかったぞ。偉い、私!

と、思ったら、やっぱりやってました。

最後の最後になって安心したのであろうか。京急線の駅でガーン・・・切符が!確かに買った切符が!手にじんわりと汗。
結局切符は見つからず、あらたに買い直して空港に到着。切符損失保険が必要だわね!

空港で以前、清水ミチ子が美味しいと紹介していた「万かつサンド」を見つけて、即購入。ドルの東京に対して、リラの福岡から見ると目玉が飛び出る高さだけれど、噂にたがわぬ美味しさだった。
渡辺容子「左手に告げるなかれ」の犯人がわかったところで、福岡到着。上空から見た玄海灘は暖かい色をしていた。たった1日なのに「帰ってきた」という気がした。

夜、見るともなく見ていたスペインVSアイルランド戦。魂を感じる試合に、最後には不覚にも目頭に涙をためていた。サッカーのことなんて何ひとつわからないと言うのに。本当に凄いものはとてつもなくシンプルなのだと思う瞬間。まっすぐで不屈の闘志。ガッツ。それに、心から試合を楽しんでいる観客。どこのチームを応援するともなく見ていたけれど、ひっそりと大好きなチームができた。

6月17日(月)

ドイツの街角にあったというポスター。
一瞬にして生きる気力を奪う脱力感あふれる字体。外国に行くとよくこういう字体を見るけれど、これは手書きなのだろうか。それとも、こういうフォントがあるんだろうか。しかも、『ぐず共』って。誰に向かって威嚇してるんだろう。このポスター、かなり気に入った。









6月18日(火)

現上司や元上司を見ていると、アメリカ人って本当にサッカーに興味がないんだなと思う。ハリウッドボウルの話になると気色ばむくせに。私も人のこと言えないけどさ。などと言いつつ、打ち合わせに来ていたクライアントに誘われるまま、大型スクリーンのあるカフェで試合を見ることに。「行ってらっしゃい」と上司。何と言う会社だ。
クライアントはアビスパのファンクラブに入っているほどのサッカー通なので「フォーメーションが」とか「先発が」とか分析している。チンプンカンプンの私とリカクマはツルッパゲの審判に目が釘づけ。世界で4本の指に入る名ジャッジらしいけれど、ツルッパゲ評論家の観点から見ても世界で5本の指に入ると思うね。言っとくけど、ツルッパゲも人を選ぶんだからね。Xファイルで、聖痕を持つ少年を守る「大天使」を演じた人ってこの人じゃなかったんだろうか。ミッドナイトオイルのヴォーカルを思い出す、知性と愛情を感じる目である。でも、この人がいきなり薮から出てきたら腰抜かすけどね!

夜、原稿をまとめる。

6月19日(水)

私が翻訳して、リカクマがレイアウトしたライナーをイアン・スミスのCDにつけることになる。誰かに頼まれたわけじゃないから、要するに「勝手連」の勝手な仕事。彼の音楽をできるだけたくさんの人に届けたい。メールでイアン・スミスに報告すると、とても喜んでくれていた。いい人である。
夜中までかかって、翻訳のチェック、仕上げ。好きな仕事って楽しいのなー。

6月20日(木)

リカクマ君は、こういう仕事のためなら早起きもいとわない。朝5時に起きて、完璧なレイアウトを作ってくれた。やればできるじゃん。二人で切って、折って、販売元の山口洋に発送。みんなに届くといいな。

先日の韓国VSイタリア戦にまつわる話について、Kちゃん(from ソウル)、KYさん(from 敦煌)とひっそり話す。韓国チームのガッツは本当に素晴らしく、「死闘」と言うにふさわしい試合だったと思う。が、サポーターやジャッジに対する批判はかなり多い。いろんな話を聞くたびに、日本と韓国の間にある埋められない溝ばかりを感じて鬱々とした気分になっていた私。これはスポーツであると同時に限りなく戦争に近いことを肌で感じる。私の考えは甘い。
Kちゃんは狂喜乱舞する同胞と日本人の韓国批判の間に立って、かなり辛い思いをしているらしい。韓国嫌いの人からは「あのサポーターは異常」だの「何だあのナショナリズム一色のスタンドは」と批判が浴びせられていると言う。確かにあのスタンドやたれ幕は私たちの目から見ると異常だと思うけれど、一個人に言っても仕方ないのではないか?「あんまりヒドイ事を言われたらこれを渡しなさい」と黄色い紙を2枚切ってあげた。

6月21日(金)

もうだめです。鈴木ムネオの後援会の名前「やまりん」。私には「やりまん」に見えて仕方ありません。最初は友だちが読み間違えて、それ以来、ニュースのテロップを見るたびにトムとジェリーみたいに目が10cmぐらい飛び出します。誰か助けてください。せめて平仮名で書くのはカンベンしてください。

リスペクトレコードより「アイランドミュージックコレクションNo.1」というアルバムが届く。「島」をテーマに、沖縄、ジャマイカ、ハワイの音楽を集めたコンピ。素晴らしい。初めて聞く曲、ミュージシャンも多く、目からウロコが落ちた。落ちたウロコを拾う。鬼瓦氏に深い感謝。その中にあって、遜色ないソウルフラワーユニオンはさすがである。中川敬が歌謡曲と演歌のカバーをしてもおもろいことになりそうな気がする。

Kちゃん、KYさんとかなり本物の韓国料理がお昼に食べられるというお店に行く。その名も「スナックえい子」いまどき「真珠夫人」に出てくる以外ありえないネーミングだ、「スナックえい子」。今は真っ昼間。太陽の下、「スナックえい子」に行く私たちは怪しい。雑居ビルの中、中はソファのボックス席があって、カラオケのマシンがあって、水割りセットが置いてある。「あーらん、おひさしぶりねー」って、ちょっと年増のママにすりよられそうな(発想がベタですみません。これも「真珠夫人」の影響かしらね!)感じなのだけど、それはたぶん夜の話。昼は昼で韓国料理のランチを出しているのだ。素晴らしい。テンジャンチゲとプルコギ、ナッチポック(タコの煮物)を食す。ママの作る料理は本物で、Kちゃんもウッホウッホと食べている。カバ丸じゃないけど「もう食えねーってば」と言うぐらい食べて何と680円ナリ。またまた素晴らしい。ハフハフ食べながら、三人でこっそりと「日中韓サミット」を催した。今日は三国の教育の違いについて。最高に面白かった。

6月22日(土)

何だかんだで楽しい週末。朝、ポケットに手を入れてみると、先日東京でなくしたはずの電車の切符が出てきた。池袋より250円区間。失せ物、忘れたころに見つかる。と、なぜかひいてもいないおみくじの文面が頭に浮かぶ。
村上春樹のエッセイを読んでいたら、彼もすぐ切符をなくすらしく(この人のボケ加減もヒトゴトじゃないわね!)「究極の収納場所を見つけた」と書いてあった。それは、ナント耳の穴だそうだ。切符を買ったらくるくるっと丸めて、耳の穴に差し込んでおくんだそう。これで改札の前でポケットというポケットをさがさなくてすみます、だって。そうか!やってみよう!んなわけない。耳から丸めた切符が突き出ている女の人、アナタはどう思いますか。

4月からなかなか会えなくなったWさんがさみしがって、電話をかけきてくれる。お誘いに甘えて、さっそくお邪魔。人んちの冷蔵庫は勝手に開けるわ、勝手に寝るわ、ご飯は食べさせてもらうわ、親しき仲に礼儀ナシ。グターッとくつろいで過ごす、限りなく居心地のいい空間。「気がおけない」という言葉の意味を感じる日だった。

6月23日(日)

ソファの敷物になったような一日。グダーッとソファにはりついていた。ハレルヤ。

セネガルVSトルコ戦。何だかんだ言って、Wカップは面白い。AカップとかBカップじゃなくて、Wカップやで!そら凄いで!と言ってた人がいたけど。それはさておき、今日の試合はサッカーの面白さが結晶したような試合だったと思う。何度も言うけど、サッカーを知らない人が「面白い!」と思えるゲームというのは凄い。セネガルは、アイルランドとともに愛すべきチームだった。サポーターや代表チームがその国のすべてなのではない。けれど、その国の一面が表れるのも事実だ。日本の一面もしっかり表れていたと思う。

夜、ずっと見たかった「地雷を踏んだらサヨウナラ」をビデオで見る。原作よりセンチメンタル度5割り増し。夜明けのアンコールワットが映し出される冒頭のシーンはたまらなく美しかった。

「寄らば大樹の陰」ってイヤな言葉だと思った。

6月24日(月)

今日の一言=リメンバー!イアン・ソープ!

PEALOUTの新譜「WILL」をずっと聞いている。なんと言うみずみずしいアルバムを彼らは作ったのだろう。風通しが良くて透明感がある。その理由をずっと考えていた。答えは一つではないと思うけれど。「ひとかけらの宇宙」の美しさには胸が詰まる思いがした。

風走る/もどらない/まばたきの季節だった

書きたい思いはあふれるばかり。伝えたい思いはあふれるばかり。ただひとつの内なる声、たましいに耳をすませて。遠い場所にいるあなたの叫びを聞く。
同じ思いを抱えて歩く人に、長い手紙を書いた。

17日の日誌に載せたポスター、ドイツのGKのカーン氏は本当にあんな事を言いそうな人なのだそうだ。ビデオで見ていたら、ゴールを守っている時「クワッ」とか「グォーッ」という顔をする。Yは「ボールがポストをそれたら、恐れをなしてボールが自らよけたのでは?と思ってしまう」と言っていた。(韓国寄りのミスジャッジが槍玉にあげられている中で)韓国チームを「素晴らしい」と評価した上で「誤審も覚悟している」「明日はスタンドすべてが俺の敵になる。それは素敵なことだ」と言い切った姿は感動的だった。男前だぜ、カーン。ゴリラといわれようと、お蝶婦人も惚れましてよ。わたくし、いつからお蝶婦人に。
それにしても、『日本のファンがバナナあげようとした』という話はネタだと思うわ(笑)あげたくなる気持ちもわかるけど。

6月25日(火)

ドイツのGKで主将のオリバー・カーン。知れば知る程、私はこの人のことが好きになり、もっと知りたいと思うようになってきました。恋かしらね!プッ。

鬼/ゴリラ/どろろに出てくる妖怪/手塚治虫の描くゲルマン人/ターミネーター/岩のような風貌。スルどくも知性を感じる目。お好み焼きのヘラのような見事なモミアゲ。セーブした後のひと吠え。
「チャリティーゲームで子ども相手に死んでもゴールさせなかった」とか「自ら相手のエリアに入ってパンチングでゴールしてしまい退場になった」とか「動きの鈍い味方の首を絞めた」という笑っちゃうほどスバラシイエピソードの数々。どこを見てもニヤケた人が多い世の中で、どんな無骨な人でも笑いをとらなきゃ(お茶目なポーズを見せなければ)生きていけないこの時勢に、彼の「言い訳しない、笑わない、逃げない」な姿勢は激しく私の胸を打つのでした。「絶滅種」という言葉すら浮かんできます。男が男に惚れる瞬間です。私、女ですが。こんなにひとりの人間に感動したことは昨今では珍しいことでした。カーン、ザ・グレート。

他の国での評判は知らないけれど、この人が日本で愛されているのは、ゴールでの姿が弁慶を思い出させるからではないかな、と私は勝手に思っています。立ったまま全身で矢を受け止めたという「弁慶の立ち往生」ですね。死んでも中に入れねえべや!(何弁?)みたいな。死滅してしまったサムライがカーンの吠える声で目を覚ましたのです。ガオー。

そんなこんなで今日もサッカー。ドイツVS韓国戦。ずっと見ていると自分なりにパスの正確さとかサイドの動きとか言うのがわかってきて面白い。まだまだ「雰囲気で見る」域を超えられないので、野球と同じくらいわかるようになったらもっと面白く見れるのかもしれない。
そして、今日も素晴らしかったオリバー・カーン。日韓友好一色の報道と悪意と憎悪がはびこるネットの間の温度差も今日はあまり気にならない。来年の今頃は世間は「リメンバーベッカム!」状態かもしれない。でも、私はこの人のことをずっと忘れないと思う。心からそう思う。

6月26日(水)

やっと届いた世界遺産の写真集を飽きもせず眺めている。世界遺産に指定されれば、ハクがつくと言う「観光地のブランド化」みたいな赴きもある。けれど、岩と木と大地に刻まれた気の遠くなるような年月と人の力を見る時、ただただひれふしたくなる。写真を眺めるだけで体が震えてしまった。
レバノンのフェニキア都市跡。イスタンブールの遺跡群。カンボジアのアンコールワット。エチオピアの地下聖堂。ペルーの空中都市。イースター島のモアイ。モンサンミッシェルの海に浮かぶ修道院。
こういう時は音楽さえいらない。風景そのものが音楽だ。

自分がサッカーの試合を心待ちにするとは思わなかった。ブラジルVSトルコ戦。トルコの国歌って何てカッコいいんだろう。CLICK内国歌ランキングナンバー1。
ポルトガル語を専攻している友人によると、ポルトガル語ではRをHの音で発音するので、正しくはロナウドはホナウド、リバウドはヒバウド、ラモスはハモスなのだそうだ。ハヒフヘホー。というわけで、オニギリへのリスペクトを髪型にした(違)ホナウド。素人目にも彼の蹴り!走り!ドリブル!が凄いことは明らかだった。唖然。鮮やか。

この間も書いたけれど、サポーターや代表チームがその国のすべてではない。けれど、隠しきれない一面が浮き彫りにされる。と、試合を見ていてつくづく思った。今回のWカップを見ていて激しく心を揺さぶられたのは、アイルランド、セネガル、そしてトルコだった。トルコの代表チームを見ていると、『世界一親切な国』という評判ももしかしたら誇張ではないかも、と思えてくる。こんな人たちがいる国に行ってみたいと思わせる。「地獄の黙示録」のカーツ大佐みたいなハッサン、「おじゃ魔女どれみ」のオヤジーテ伯爵みたいなGKのリュシュトゥ(この人のセーブがまた素敵)、可愛い顔してゴツイことを言うイルハン。地味ながらキャラがそれぞれにあって魅力的だった。サッカーのスタイルが日本に似ているらしいけれど、チームのあり方にも共通する部分があるのかもしれない。日本は「お人好し」「どん欲さがない」「ぼっちゃん長男(こんなこと言うのは私だけどさ!)」と言われ、粘り強いガッツを見せる韓国と比較されている。「だから勝てないんだ」などと批判されもする。韓国の精神力、ガッツが私は好きだ。でも、トルコチームを見ていて「日本らしさ」を失わずに日本も強くなれるチャンスがあるんじゃないかと思った。うまく言えないけれど、そういうことだ。

閑話休題。以前知り合ったトルコの人から「ミッドナイトエクスプレス」(トルコの刑務所を舞台にしたコワイアメリカ映画)は、反トルコのプロパガンダのために作られたと聞いたことがある。実に効果的。この映画を見たら、トルコなんて行くもんじゃないと思ってしまう。そのことを監督自身が認めてトルコに謝罪したらしい。この大会にまつわる話を聞いても感じるけれど「(そこに悪意があれば)情報はいとも簡単に歪められる」のだ。

6月27日(木)

ビデオテープから聞き取り→翻訳というお仕事。楽勝と思ったら、中国人の教授による「ブロークンイングリッシュ」というより完全に破壊しつくされた英語。あわわわ。完全にサジやらお箸やらをフォークやらを投げ、アメリカンのM氏にヘルプを頼む。「僕はチャイナタウンのそばに住んでたから大丈夫だよ」と胸をドンと叩いたにも関わらず、彼もかなり苦戦。私の英語もみんなこんなに苦労して聞いてくれてるのかな、などと考える。
と、言うものの、アクセントの強い英語を聞くのが私は好きだ。英語の向こうにその人の母国語が透けて見える時がある。言葉の中に二つの文化がクロスする場所がある、と言えばいいのだろうか。言葉の奥行きを感じる。特にスペイン語圏の人が話す英語のアクセントは殺人的になまめかしい。夜中に見たインタビューのイルハン・マンスズのターキッシュアクセントの英語も、かなり「ドウォー!」(どんなんや)という感じだった。

6月28日(金)

夏のイベントのパンフレット制作が始まる。翻訳するための原稿書き。言葉と心と声がすり減っていく。

棚を整理していたら、あるフリーペーパーのコピーが見つかった。発行してから恐らく6,7年はたっているというのに、そこにあるコトバはちっとも色褪せていなかった。情報に寄りかかった文章は、燃え尽きるのが早い。「新しい」だけが命のナマモノはすぐに腐臭をたてはじめる。彼の文章には、音楽に寄りそうように彼だけの世界観が広がっていた。新しくも古くもない。優れた批評は対象(音楽)から一人歩きができるのだということ。私の文章もそうでありたい、と切に思った。

6月29日(土)

自分の中で遺跡ブーム再来。買った本では飽き足らずに、図書館にもっと詳しい世界遺産の写真集を借りに行く。文明発祥の地である西アジアの遺跡には息をのんでしまう。黄金色に輝き、かつて栄えた都のその名残り。ローマへ続いた道。トロイの木馬をこの目で見てみたい。でも、あんな巨大なものが街の真ん中に来て怪しいと思わなかったのか。気付けよ、トロイ人。

夜、トルコVS韓国戦。素晴らしい試合。美しいトルコ魂。涙、涙、また涙。

6月30日(日)

ある意味、異常だった1ヵ月も今日で終わり。この1ヵ月の自分の「覚え書き」を読み返すと、この日誌には載せてないものの、ワールドカップのことばかり書いてある。初めて外国に行った人が何でも珍しがって、ワーワー言ってるみたいでおかしい。

ドイツVSブラジル戦。試合終了。ゴールポストに立ち尽くすオリバー・カーン。「万感胸に迫る」ってこういうことなのだ。今日、身を持って体験した。今は何を言っても、安っぽくなってしまいそうな。胸につまる思い。
1年後、そして4年後、私はどんな風にサッカーを見ているだろう。オフサイドもよくわからなかったのに、来年は「あの采配はどうだろうね」とか言ってるかもしれない。我ながら楽しみで仕方ない。


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