7月1日(月)
クレイジーな1ヵ月が終わってしまった。
本屋に行くと、どこもかしこもベッカム、ベッカム、ベッカム、あら、ここにもベッカム!状態で驚いた。サッカー選手として並外れているだけでなく、アカデミー賞の受賞式にいても違和感のない外見。でも、あの高い声は
具志堅用高だ。 間違いない。「you know, you know」連発のトークも「チョッチュネー」に近いかも。つまりは、大物ってことですね。チョッチュネー。
市民会館にてエルビス・コステロのライヴ。50代になろうかとするオジさんは、驚くほど進化していた。相変わらず下手なギター。ギターの代わりに空気を震えさせるその声。途中、何度も鳥肌が立った。完全に「終わってない」人がそこにいた。ラストの「I Want You」の震えはしばらく忘れられそうにない。
終演後、宅嶋氏、農場主、柳腰氏、好青年とともに、大名の「一宝軒」へ。念願の岩塩ラーメンを食し、しばし忘我の境地へ。楽しい夜だった。
7月2日(火)
暑くなるとともに、犬の抜け毛の季節到来。長い毛の固まりが庭にフワフワ落ちている。それを朝一番にスズメが拾っていく。巣を作るんだろうなー。フワフワで気持ちいいだろうなー。と、何だかニコニコしてしまった。自然界のリサイクル。スズメ界でも大流行かもしれないね!
7月3日(水)
今日のニュース。これを読んでこの人はカーンに違いないと思ったのは私だけではないはずだ。て言うか、この人どこに行ったのだろう。すごく気になる。
7月5日(金)
朝、テレビのニュースを見ていると、母親が画面のテロップを読んだ。「パチンコ伊東って誰?」
ちなみに正解は「パンチョ伊東」。私のあれやこれやな性格は、この人の遺伝もあるのだなとしみじみ。
釜山から仕事で来てくれたKちゃんを囲む会、ダディーズにて。会社のKちゃんも来て、ダブルKちゃんの会。韓国の名前はほとんどKなのだが。釜山のKちゃん、本当に控えめでおとなしい。彼女やもうひとりのKちゃんを見ていると、「generize(すべてをひとくくりにすること)」という恐さを思う。韓国人=激しい、すぐ頭に血がのぼる、というイメージ。それぞれの国にも国民性にもついてまわるイメージがある。アメリカでは「ethnic joke」と言って、民族性のイメージだけでコントができたりもする。それはそれで面白いけれど、それを全体だと思ってしまうのは本当に危険だと思う。モノゴトは一面だけでは語れないということ。誰が言っていたか忘れたけれど。
7月6日(土)
大阪からやってきたK君とMちゃんカップルに会う。リカクマ、N、T君とダディーズにて。心洗われるような可愛いカップルである。楽しい夜。
7月7日(日)
K君とMちゃんを連れて、リカクマとT君とマリンワールドへ。私が吉本ばななだったら「私がこの世で一番好きな場所は水族館だと思う」と書くと思う。私がネロ少年(フランダースの犬)だったら、教会ではなくて水族館に行って「パトラッシュ、もう疲れたよ・・」と言うと思う。私が山口百恵だったら・・・もういいか。水族館は最高だ。巨大水槽の中を泳ぐウミガメやハリセンボンを見ていると、自分がフワフワ海の中を漂っているような気分になる。水面に向かって立ち上っていく泡、揺れる光、優雅なフォーム。時々どうしようもなく海を見たいと思うのは、細胞が海に帰りたがっているからなのだろうか。イルカの流線形の美しい姿を何度も何度も目に焼きつけた。
なんて言いつつ、アジやカニを見て「美味しそう・・・」などとつぶやいたりもする。だめじゃん。
リカクマと「これは神様の粘土が足りなかった失敗作」とか「これは実はコンピュータ制御」とか「この魚は"もうだめぼ・・"と言っている」などと、妄想の限りを尽くして見て回る。楽しかった。
帰りに和白でこじんまりと営業されているロシア料理の店へ。相変わらず美味なるピロシキ、ボルシチ、キノコのつぼ焼き。ハフハフ言って、みんなでジンジンと幸せになりながら帰った。夕暮れにいわし雲、キャロル・キングの声。最高の一日だった。
7月8日(月)
大阪へ帰る前にK君たちと噂の「スナックえい子」でお昼を食べる。ちょうどK君の就職も決まったので、定食でささやかにお祝い。再会を約束してお別れ。彼らといた3日間が楽しかっただけに、何だか別れが辛かった。
それにしても、スナックえい子は最高である。
帰りにひさしぶりにタワーレコードにて、CD三昧。トルコ代表チームの凱旋パレードで流れていたタルカンを入手。アルバムタイトル=「Chu!Chu!は恋の合言葉」。このタイトルの70年代風センス、最高と思いませんか?と、道行く人にアンケートをとりたい気分。中味も最高でした。
7月9日(火)
惚けてばかりいたので、仕事が凄い勢いでたまっていた。パンフレットのための原稿書き、電話、電話、電話、電話。ギョエー。
夜、ビデオに撮っていたWカップのビデオを見る。最初に見た時とは、明らかに見ているところが違う。パズルが解けるようにわかるようになるんだろうか。面白い。
7月10日(水)
意味わからないけど、この写真
がおかしい。「鬼太郎!あやつの弱点は目の間じゃ!」とか言ってそうだ。
シネテリエ天神にて「ノーマンズランド」を見る。太陽の下で繰り広げられる、悲劇と言い切れない滑稽な「戦い」。メディアという暴力。この戦争のことをここまで達観した視線で描いた映画は今までなかったと思う。乾いたユーモアがあって人間の滑稽さが身にしみる。最後の最後で、完全に打ちのめされてしまった。しばらく思考がループして止まらなかった。
7月12日(金)
夏のイベントのパンフレット制作について、クライアントと打ち合わせ。日程キビシーッ!なんて言ったりなんかしちゃったりして、広川太一郎風。毎年毎年「もっと効率良くならないものか?」と話し合うけれど、幾重にも折り重なった人の思惑がからんでいるので、そう簡単にはいかないのだ。致し方なかろう、うむ。ご乱心しないように、私。
タワーにて、PEALOUTのインストアライヴ。いつも思うのだけれど、PEALOUTのようなバンドがアコースティックライヴをすると、その曲の本当の良さが見えてくる。「ひとかけらの宇宙」の透き通った感じがさらに美しく、身体がジンジンした。ヴォーカルに徹していた近藤智洋、ハンドマイクを持つ手に力入りすぎて酸欠状態に。指が曲がらなくなって、オカマちゃんマイクになっていた。音楽については、絶対に手を抜かないし、逃げない人なのだ。ラストに「旅人の歌」。あの時、あの場所にいて、他のCDを見ていた人にもこの曲が届いたならいいなと思う。
夜、ダディーズにて近藤君と会合。純粋さとオヤジ性のバランスが絶妙な人なのである(ほめてる、ということにする)。ディープな話とバカな話を交互にしたような気がする。人との出会いって不思議である。
しばらくして、タワーレコードのH君たちが合流。タワーのH君、ピュアでまっすぐないい青年だ。PEALOUTのことが心から好きで、いつも熱いコメントでプッシュしている。こういう一生懸命な人に支えられているバンドというのは強いと思う。魂のないプロモーターなんかいらないのだ、本気で。
7月13日(土)
春からサントラをずっと聞き続けていた「I am Sam」を見に行く。周囲の評判は「うまいんだけど何かね」という煮え切らないものが多かった。確かに、ツッコミどころは多い。だけど、すべては「本当に大切なことはシンプルだ」ということを伝えるための舞台装置なのだから、それでいいのだ。スターバックスとピザハットが協賛なのか?とか、ルーシー役の子が将来安達祐美になるのでは?なんてことも、気にならない。本当は気になるけど。映画の中でルーシーが言ったように、All You Need is Love−それだけが伝わればいいと思う。そのための映画なのだから。
それにしても、ショーン・ペンは凄い俳優になったと思う。アメリカの狂気とわずかに残った良心の両方を演じられる。彼の監督作品「プレッジ」が待ちどおしい。
楽しい一日の後、東京に帰る近藤君を見送りに空港へ行った。結局、最終便までえんえん喋っていたような。何を喋っていたか思い出せないけれど、楽しかった。
7月14日(日)
スジを煮る一日。
元ちとせの初のフルアルバム「ハイヌミカゼ」を聞く。ああ、もったいない、もったいない、もったいない。アレンジはチープだし、こぶし回りばかりを強調して終わり、の曲作りには(以下無言)。インタビューで感じた、音楽に対する彼女自身の「自我」のなさ(「歌えれば幸せ」というスタンス)が悪い形で音になってしまったような気がする。このままでは、「珍しい声の出る楽器」扱いで終わってしまいそうで不安だ。ああ、もったいない、もったいない、もったいない。売れるんだろうけど、ああ、もったいない。で、あんたは何様、という問いはこの際置いておいて。ラストのディープフォレストとのコンピだけが素晴らしくて、ちょっと救われた。ハシケンが作曲した「三八月」が素晴らしかったのは、彼女自身の中から湧き出てきた言葉をハシケンがすくいとってあげられたからだと思う。
ワルグチばかり書いてしまったけれど、ひさしぶりに「女に寄りかかっていない」シンガーに出会えただけに、残念で仕方ないのです。ワタスなりに彼女の声を愛しているのでそう思うのです。
7月15日(月)
朝から緊張していた。
池畑潤ニ、渡辺圭一をリズム隊に迎えた
浅井健一のプロジェクト=JUDEのライヴ。
ほぼ満員のドラムロゴス。
地鳴り!耳鳴り!怒号!咆哮!
凄かった。
ずっと口が開いていた。
おっと、鼻呼吸、鼻呼吸。
でも、やっぱり唖然としてしまう。
今見ているものが信じられなくて。
一人でブラジル代表みたいな池畑潤ニのドラム。
どこまでも歪んだ渡辺圭一のベース。
何と言う武器を浅井健一は手に入れたのだろう。
「地獄からの贈り物」?
ホリーポッターの魔法?
浅井健一は間違いなく天才である。
彼の作品は常に前作を打ち消す(上書き状態)で良くなっている。
そんな彼も
この二人に救われた部分があったのではないかと
そう思った。
この二人がいたからこその
「ロメオ」で「スカンク」だったような気がした。
相変わらず暴れたがりの観客の中で
私はこの人の才能を愛しているのだなと
つくづく思ったりした。
忘れられない夜になった。
7月16日(火)
昨日の余韻で頭がボーッとしている。身も心も奪っていく音に久しく出会ってなかったのかもしれない。何もなくなってしまった身体の中でカラカラと音がする。
どんなに凄いライヴを見た後でも、日常はやってくる。パンフレット制作のため、映画祭のプレスリリースへ。去年は日付けを間違えて(向こうが!と言うことに)会場についてみると、シーン、ガラーンだったので、今回は入念に日時をチェック。定刻の15分前に到着したわよ!とちょっと自慢気。
仕事がからんでいるから言うのではないけれど、この映画祭では本当にアジア映画の面白さを教えてもらった。ハリウッド映画のごてごてきらきらぴかぴかに慣れた目には新鮮だし、何より映画として質が高いものが多い。行ったことのない国の「生活」が見えるのもたまらなく魅力的だ。
試写でイラン映画の「ふたりのミナ」を見る。これが衝撃的に面白かった。ストーリーは単純な「雨降って地固まる」式のドタバタコメディなのだけれど、主人公の女性はわたしのイランに対する先入観を軽く裏切ってくれた。ジーンズにサングラス、4WDをガンガン乗りこなし、携帯も持ってるし、旦那は殴るし。イスラム社会の女性と言えば、顔を隠し、男に従う、というイメージがあったけれど、世界は私の知らぬ間に回っていた事を思い知らされた。
教科書や本は一部分でしかなくて、ましてやニュースや新聞なんて作りもの。もちろん、映画だって作りものだ。作りものだとわかっているからこそ、一瞬の「真実」が見えるのかもしれない。
7月17日(水)
岡山からロックな小冊子「Pieces」が届く。今回は満を持しての渡辺圭一インタビュー。すこぶる面白い。
本当の意味で頭がいい人というのはこういう人のことだと思う。野性の知性。頭じゃなくて身体に「智恵」がある。
ひたすら未練たらしかった(抑えていたけれど)あの6年間にはもう戻れない。
いつまでたっても、渡辺圭一は私のアイドルでヒーローである。
7月18日(木)
毎日使っている立体駐車場から、遠くに海と荒戸大橋が見える。夕暮れの空の色は毎日違う。その色を毎日、立ち止まってかみしめている。私は怪しい。
清水ミチ子の日記を読んでいると、夢にナンシー関が出てきたという話が書いてあった。夢だと思いながら、ごく自然に会話ができたと言う。「タクシーの中で苦しくてさ、死ぬんじゃないかって思ったもん、あたし。って実際、死んでんだけど」というくだりは、あまりのナンシー関らしさに笑ってしまったと同時に胸を突かれるものがあった。死者が話しかける声を聞きとる−と言うとオカルトみたいだけれど、違うよね!と思う。私は、英語を教えていた男の子が「俺、幽霊でもいいからじいちゃんにもう一回会いたいな」と言ったのが今でも忘れられない。死を境にして、親しい人と一緒にいることはもうできない。けれど、人と人とのつながりは時空を超えるのだと思う。だから、きっとまた会える。私はそう信じていたい。
7月19日(金)
パンフレットの原稿書きピーク。朝から各方面に電話をかけまくってノドが涸れた。
翻訳について話していると、M氏から「どうも君は英語でモノを考えているようだ」と言われて、何だ!だから日本語でモノ言えば必ず間違っているのか!そうか!と膝を叩いたり・・・はしなかったけれど、自分の頭のフタを開けてみたくなった。きっと頭の中には、母国語と外国語をつなぐか細いワイヤのようなものがあるのだろう。時々、翻訳していると細胞が沸騰するような感じがするのは、そのワイヤの中をもの凄いスピードで情報が往来して「熱」が生まれるからだろうか。人間の頭の中は宇宙的である。
7月20日(土)
ポストに嬉しいMDの贈り物。人間の心は不思議だ。心だけはあっと言う間に距離を越えていく。
Nと「ラッキーブレイク」を見るためにシネリーブル博多駅へ。最高の最高の最高!この映画のことは、また改めて書きたいと思う。見終わった時の「爽やか」な気持ちは昨今味わったことのないものだった。
夕方からダイエーVSオリックス戦を見に、福岡ドームへ。何と言っても、前日の試合が酷すぎた。一体何の試合ですか?(サウジアラビアVSドイツアゲイン)、ここは、バッティングセンターかね!?よく打ってるね〜?みたいな・・・ちがー!断じてちがー!オセロゲーム(勝ち星白黒白黒)なんて言ってる場合じゃない。
今日は美しい試合だった。田之上、堂々としたピッチング。じゃりん子チエ、もっと働け。城島、we miss you。柴原、ほっぺたのシリコンをとろう。松中、きっちりー。応援団の派閥とか、ヤル気なしのオリックス応援団(チャンスになっても点が入っても応援が変わらない。コンピュータ制御にして寝てるんとちゃう!?)とか、面白いものがいろいろ見れた。Nとバカ話もして楽しく一日が終わった。
7月21日(日)
友人から聞いて、この何週間かかみしめていた話。
スピードスケートの清水宏保という選手がいる。彼は、身体を鍛え、感覚を研ぎすませることによって、ある精神の領域(ZONE)に入ることができると言う。その領域に入った時の彼には「滑るべき光のライン」が見えるらしい。どんなに数値的な結果が良くても、光のラインが見えなければ、それは彼にとって納得行く結果ではないという。
友人はこの話を聞いて「カーンにも守るべき光のライン(ボールが飛んでくるライン)が見えてるんじゃないか?」と言った。
そうかもしれない。と思ったことがあった。決勝戦の1点目。カーンが取りこぼしたボールをオニギリ君が押し込んだ。その時のカーンの動きを見ると、オニギリ君が走りだした瞬間にボールのコースが見えてたんじゃないか?なんて思えてしまったのだ。素人考えながら。
何て言うのは神格化しすぎだろうか、ジミーちゃんを。本能や感覚というより気合いで止めているような気もするが。

しかも、こんな写真じゃ説得力ないし→
「カーンにも浮き輪」(どんな人にも不得意なものがあると言うたとえ)
ドイツの諺です。ウソです。
という話を長崎でのライヴ帰りの山口洋にしてみた。彼もギターを弾いている時に「指から光が出ている気がする」事があると言った。光のラインに導かれるようにギターを弾いていると。「瞬間」を追う人には共通する何かがあるのかもしれない、と思った。
そんなこんなで山口洋の髪がうっとおしかったので、夜中に断髪式開始。なかなかいい出来であったのに、殿は気にいられなかった模様。こんな髪にしやがって!坊主にする!とイキまいていた。ちょっと楽しみにしていたりして、坊主。
7月22日(月)
山口洋、結局は坊主にしなかった模様。なーんだ、ちぇ。
以前、日本語を教えていたR氏と会合。R氏とはしばらく連絡が途絶えていたのだけれど、R氏、飲み屋で山口洋と知り合いになる→ヤポネシアンのライヴに招待される→私、ヤポネシアンの会場で物販する→CDを見に来たR氏と再会。と縁があって、また連絡をとるようになった。人生って不思議だ。
北の果てのコジャレたカフェで、9月11日以降のアメリカの狂信的なナショナリズムについて話した。「今のアメリカはヒットラー時代のドイツと同じくらいヒドイ」とR氏は言う。誰もが憎しみに駆り立てられて、耳なし芳一状態だと。こういう真っ当な感覚を持った人の発言はアメリカでは封殺されているのかもしれない。永遠に続く憎しみの輪はどうやって断ち切ればいいのだろう。正しい者と邪悪なる者。そんな線引きはないはずで、考えているうちに私の心は均衡を失う。何だかとても自分が無力に思えた。
フレミングリップスの新譜「ヨシミバトルズピンクロボッツ」を聞く。衝撃。もともと好きなバンドだったけれど、こんなに凄くなっているなんて思わなかった。ジョー・ジャクソンがやろうとした事の進化形、と私には思えた。ピンクフロイドという人もいるかもしれないけれど。音楽がドラマも映画も小説もすべてを見せてくれる。新しいクロスオーバー。文字の代わりに旋律とリズムと歪みの中を泳いで、答えを探す。本、しばらく読まなくてもいいかも。なんて思ってしまった。
7月23日(火)
今日、書きたいのはこれだけ。
1ヵ月半ぶりに城島復活!
あんな場面であんなヒット。素晴らしい、素晴らしすぎる。自分で呼び込む運の強さ、身体の「賢さ」、ジョージマ!としか表現しようのないスタイル(コツンとバットに当てたりしないのさ)、生まれついての野球センス。渡辺圭一に限りなく近似値。ヨいですかーギミたち、キャッチャーとは・・・と思わず語ろうとしたりして。誰だよ、私は。
今日、何故か自分を虐めるようにイヤな事を想像してみた。もし、FAで城島が読売を選んだりしたら・・・その瞬間、私は白血病を宣告され、実の母親はパリにいるおばさまで、父親は知り合いのおじさまで、好きになった人が実は腹違いの兄だと知ったかのように目の前が真っ暗になったのであった。
というわけで、7月23日は今年の城島記念日にいたします。イタシマース。とタラちゃんも言ってます。
7月24日(水)
イベントの原稿整理と翻訳のコーディネイト。雑務に追いまくられて一日が終わる。忙しさって本当に人を殺すと思う。過労死というのは肉体ではなく心が緩慢に死んでいった結果なんじゃないか、と思った。
某フリーペーパーに島田雅彦の対談発見。島田雅彦には興味はない。ないけれど「好きな人の耳をかじってみたいという欲望は多くの人が持っていると思いますが、それをやると逮捕されますので、かわりに豚耳を・・・」って発言はどうでしょう。いやいやいやいや、君、ちょっと待て。今、かじりたいとおっしゃいました?ものすごく当たり前みたいに言わはったんですけど、そうなんですか?「はい、かじりたいです」と言う方、こちらまでお知らせ下さい。
それに対して「食って性的なところとつながっている気がします」なんて返しをする枝元なほみ(料理研究家)が川島なおみに見えてきた。
7月25日(木)
最初の衝撃はグラッという感じ。ちょうどカメラがナナメになっていくような。
人を待たせていたので、走っていたのだ。
宙をつかむ手。身体がちょっと浮いた。次の衝撃は身体がアスファルトに叩きつけられる感じ。
と、小説風にまとめてみましたが(どこが)要するにコケました。小学生みたいに膝にバンドエイドを貼った。今ここで白血球とバイキンの壮絶なる闘いが!と想像して傷口を見ていると、自分の身体が戦場なのだと思えてきた。
最近、なぜか本が読めない。買っただけで開いてもいない本が山積みになっている。フレミングリップスと仕事のせいばかりでもなさそうな。本の世界よりも現実の方が面白いって事も多々ある。
7月26日(金)
入稿までのピークの波がやってきた。忙しい時こそいかにくだらない事を考えて笑えるか、これが最近の私たちのテーマである。
日本語勉強中のM氏が最近読んでいるという「日本語の学び方」という本を見せてくれた。ハッとするような事がいろいろ書いてあって、目からウロコが落ちた(ウロコは素早く拾おう)。言語の発見やヒラメキは、別の文化とクロスするところにあるのかもしれないなあと思う。一つの文化に閉じこもっていては見えないものって絶対ある。私自身まだまだ勉強不足だし、何か言うと必ず間違っているという状況なので、アレしてアレなんですが、日本語を教える仕事をまたやってみたいと思う。
夕方とんでもない問題が発生したので、気分転換のためにリカクマと焼肉へ。焼肉にしても鍋にしてもキャンプファイアーにしても「火を囲む」って何かいい感じだなーと思う。食べているうちに心がワサワサして楽しくなってくるのは、そこに火があるからかもしれない。とりとめもなくバカな話をして解散。
7月27日(土)
楽しい楽しい一日。
夜は近所のお祭りへ出かける。エイサー隊が呼ばれていたので、遠くから島唄のお囃子と太鼓の音が聞こえた。それを聞くと、もういてもたってもいられず、早く早く!と気持ちがあせってしまった。あのリズムを聞くと、心臓の奥の方で何かに呼ばれているような気がするのは何故なんだろう。
元ちとせが初めて奄美から大阪へ出る時「泣いて柱にしがみつき、飛行機になかなか乗れなかった」という話を何故か思い出した。
7月28日(日)
見のがしていた「非・バランス」をビデオで見る。可愛くて、暖かい映画。好きだったなー。中学生の女の子の贅肉のない身体は(辻・加護はこのジャンルには入らない)それだけで、あの時代特有の「よけいなものがない」感じを表現できる。他に何にもいらない。
グラタンを作って、友人に送るケーキを焼いた。邪悪な暑さを感じる一日だった。「むふふふふふふ〜」と笑いながら、熱風が吹いてくる。今日も風と太陽はどっちが旅人の服を脱がせられるか競争していたようだ。どっちが勝ったか知らないけど。
7月28日(日)
Hさんから、嬉しいメールが届いた。自分の書いたことが誰かを静かに動かしたこと。人が人に出会うってことはこういうことを言うのだと思う。
出会うことさえないけどいいさ/同じ瞬間の歌、感じるだけで
ひとりで静かに掘っていた井戸がある日、一瞬だけ誰かとつながることってある。その日、のために、ひとりで、掘っていく。たったひとりで、自分の中に、潜っていく。
7月29日(月)
光と影をあなたは抱く
私を
譜面を
命にかえて
短く永い終日を駆けて
あなたのいない不思議の底で
まもなく蒼い黎明を越えて
あなたの声が響く場所へ
あなたの声が響く場所へ
7月30日(火)
夏の恒例、テンテコ舞いの襲名披露。何をやっているかわからないうちに、気がつくと陽が暮れている。モーレツ父さんみたいである。たった3日前の事が思い出せないというのは重症だ。加藤茶のズッコケをダメだこりゃ度1とすると、ダメだこりゃ度68ぐらい。がんばれ、私。
週刊ベースボール常連ライターのS氏のサイトで「野球選手には笑える要素が必要である」というコラムで読む。多いに共感。「笑える」というのは、別に高津のような選手のことではなくて、身体の動きは超人的で凄いのだけど、どこかが世間とズレているという意味。キャラが立っている選手と言い換えてもいいと思う。わたしから見たら最大限の賛辞だ。こういう事を言うとバカにしていると思われてしまいそうだけど、こんなホメ言葉ってないと思うわ!と、ずどうと身を乗り出す私である。
巨人の松井、ダイエーにいたカズ山本、近鉄の中村ノリ、日ハムの小笠原など(もちろん長島茂雄は元祖)<凄い×笑える>選手は年々減ってきて、最近は<凄い×笑えない>選手が増えている。<凄い×笑えない>というのは地味だったり没個性だったりするわけではない。むしろ、オシャレで言動にソツがない。
イチローは<凄い×笑えない>選手の筆頭で、打てて守れて走れる本当に素晴らしい選手なのに、あまりにも破綻がないように思える。天才に向かって何を言うか、と怒られそうだけど。
この<凄い×笑える>というカテゴリは、野球に限らないと思う。カーンは問答無用で<凄い×笑える>だし(くり返すけど最大級の賛辞)。かつては、ミュージシャンの中にもこのカテゴリにあたる人が多かった。ミュージシャンの場合、売れる=凄いではないのが悲しいところだけれど、プリンス、フレディ・マーキュリー、リッチー・ブラックモア、ジミヘン、etc。モノマネ心をくすぐる人、その人がいる業界を越えて知られる人、キャラそのものが愛される人。最近はあまりお目にかかれない。世界がだんだん「平均化」されているのかもしれないな、なんて事を思った。
<凄い×笑える>代表選手の主将。
ひとりだけ火がつけられず「ウホッ??」

やっと火がついて満足。他の人、みんな終わってるんですけど・・・。