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8月31日(土)

慌ただしく過ごしていたので、すっかり日誌が滞っていた。少しずつ書いていた覚え書きからこの半月に感じたことをランダムに。

* 秋山ついに引退。繊細で技術がある選手だけど、たまに大振りするところが好きだった。ホームランか三振かどっちか、というのが潔い。
40才で現役と聞いても必死にしがみついている、とか、若いモンに負けられへん、みたいなところがなくて、ごく自然にスタメンにいて飄々としているところもすごく好きだった。野球選手の引退がこんなにさみしいなんて、山本カズ以来だ。
しかし、引退すると同時に調子良くなるこのチームもどうかと思うのであった・・・。花持たせてやれよう。

* この夏は「おたま豆腐」と「トカタマ」という寄せ豆腐に夢中になった。一番安い58円の豆腐にくらべると3倍ぐらいの値段なのだけど、両者の味の差には心底驚かされる。甘味があって、変な舌触りがなくて、ちゃんと「大豆」の匂いがする。
というわけで、もうスーパーで売っている豆腐が食べられないカラダになってしまいました。いやン。どうしてくれよう。

* 少し前の清水ミチ子の日記を読んでいて。

「しかし、このコドモが笑ってるナマの声くらい、親にとって心地いい音楽はない。これはきっと、世界中の国の親の耳がかたむく、最高の音なのだ」

こういうことを大仰じゃなく、サラっと書けるこの人が好き。子育てをきれいな言葉で「語ろう」とする人は信用できない。自信がないことを飾ってみせようという時ほど、人は言葉が多くなるものだ。けれど、こうやってふともらした言葉は独特の輝きを持つのだなあと思う。ちょっと暖かい涙が出た。

* ベッカムの第2子の名前が週刊誌でもテレビでも大騒ぎ。長男と同じく地名にちなんで付けるので、「パリ」だ、いや「ミラノ」だってうるさいったら。 そんなん、Wカップのキャンプ地にちなんで「アワジ」でいいって。友人がミドルネームも地名でどーよ?と「モヘンジョダロ」を提案。

淡路・モヘンジョ太郎・ベッカム

いいと思う。ついでに、ベッカムの妻のビクトリアは最近、私と友人に「勝子」と呼ばれている。「勝子」以外ありえない、絶対。

* ひさびさに「木更津キャッツアイ」をビデオで見る。「一番新しい」と感じたものは古くなるのも早いけれど、クドカンの斬新さが無駄に消費されていかないことを願う。
ところで、V6の岡田君の眉毛はどうでしょう。あの整いすぎの眉毛は。あんまりにも整えてあるので、見ているとムショーにマジックで落書きしたくなる。

*  先月、枝元なほみ(料理研究家)がどうも川島なおみに見えてきた、という話を書いたら、そのスジに詳しい友人から坂井典夫というさらにツワモノの料理研究家がいることを知る。自分のことを「マロン」と言うらしい。これは立派なネタ!ネタとしか思えない!ニットの貴公子に続いて、またやったのか、NHK!試しにサイトをのぞいてみたら、ビックリして首がもげそうになった。うぉー、これは凄い。

http://www.marons.net/

世の中いろんな人がいるものだ。

* 最近のCDプレイヤーの常駐組。ヴァーセン、タマリン、ブルース・ホーンズビー、アルタン、友人編集のマーシーのベスト、ブルース・スプリングスティーンの新譜。
ヴァーセンはジャケットを見て、電気が走った。物置き小屋みたいな散らかったスタジオを撮った一枚。この写真にこのバンドの不敵さが現われている。トラッドがメインでありながら、こういうアンチヒーリングでパンクな若いミュージシャンが出てくるところがケルトの凄いところだと思う。

* 巨人ファンと話していて「お金と勝利とブランド、それ以外に人間が何を求めるって言うんですか。だからみんな巨人に来たいんですよ」と言われた。正論、まったく正論。セーロンです。昔のスリランカかっ!というツッコミも入れつつ、それだけじゃないということを私は信じていたいのだ。たとえ、わずかな抵抗でも。神様、どうか中村ノリがFAで読売に行きませんように。最後は神頼みかい。

* ブルース・ホーンズビーの音にかなり惚れた。

* 山口洋が読め読めと言っていた「クルシュナムルティの日記」を読みはじめる。翻訳は宮内勝典。村上春樹並の翻訳を期待していたけれど、意外にガサツな訳が多かった。原文のせいかもしれないけれど。某掲示板風に言うとガサツな訳ハケーン。ガカーリ。
シンプルだけれど、深遠な内容なので、噛みしめながら読む。言葉を自分の中に変換していく作業を最近していなかったなあ。いつもとは違う脳細胞が沸騰しているのがわかった。

* ショーン・ペン×ジャック・ニコルソン「プレッジ」を見る。つらい、本当につらい。息をのむのもためらうような映画だった。自分を蝕んでいく狂気の中で正気にしがみつく男。今も胸が痛い。「好き」な映画ではない。けれど、間違いなく今年一番残った映画。

* 増島みどり「ゴールキーパー論」を読む。自分が最近考えていたことが明確な言葉になって書かれている、そんな感じだった。大仰でもなく、こむずかしくもなく、センチメンタルでもなく、という彼女のスタンスも好きだ。「彼らは守っているのではない。攻撃しているのだ」−すべてはその一言のために。読みながら、何度も身体が震えた。

* 元ちとせ。あんな売れ方をしてしまったので、知ったふうな批判が多いのが悲しい。というか、いちいちプンプンしている私。凄いのは彼女の声や歌のうまさじゃないのだ。しかし、あのアルバムは(以下しつこいので略)。ディープフォレストとのコンピは何度聞いてもすばらしい。

* ゴーヤ、一度作ってみたらやみつきになって、今年は何度も食べた。豚肉といためて、ガーリックパウダーで味付けするシンプルな炒め物だ。ふつう感じる味覚というのは、甘い、辛い、酸っぱいぐらいで、「苦味」をここまで感じることってほとんどない。て言うかふつうはここまで苦いと「失敗」だ。が、このいつもはない味覚を刺激される、というのがいいのかもしれない。「うわーにがっ」とか言いながら。ちょっとマゾっぽい料理だな。

* 恐ろしいことが起こった。妹が乾燥きくらげをポケットに入れたまま洗濯してしまった。
まだ暖かい風呂の残り水を使ったものだから、いい具合にもどっているではないか、きくらげがっ!しかも、20倍ぐらいに増えているではないか、きくらげがっ!洗いあがった洗濯物の中から出てくる出てくる茶色の物体。洗濯機のゴミネットがどっさり重い、きくらげだっ!とにかく全部きくらげだっ!お札を洗った人とか紙オムツを洗った人とか眼鏡を洗った人とか(はーい、私です)いるけれど、きくらげに勝つ人はこの先出てこないだろう。また、伝説ができた。

* 人に対する第六感は後々考えてみると間違ってなかった、と思うことが多い。

* 今さらながら、ブルース・ホーンズビーのライヴ盤「Here Comes the Noise Maker」が大ブーム。とにかく音がすばらしくいい。会場のクリアな空気が伝わってくるようだ。ピアノをメインにフィーチャーして、音がうねり、カタチを変え、流れ、沈み、浮かび、またうねっていく。計算しつくされているのに、限りなく柔らかな弾力のある音。ダイアーストレイツの「アルケミスト」やビリー・ジョエルの「ソングスインジアティック」を思い出す。しばらくこの音だけがあれば他に何もいらない。という気がしている。

* ネットに現われる人格は濃縮されているのか、希釈されているのか、そのままなのか、いまだによくわからない。

* ブンデスリーガ開始。主将、余裕のお仕事。バイエルン・ミュンヘンってどうも「読売」ぽい気がしてきた、何となく。

* レバークーゼン対ドルトムント観戦。ドイツの阪神タイガース、ドルトムントのロシュツキ(日本名:露出器。もちろん、うそ)がちっこくて、すばしこっくて凄く良い。最近、ノイビルとかトルコのエムレとかちびっこが気になる。1860のヘスラーも。背が低い、というのは形而上学的問題である。背の低さは隠せない。お金で解決できない。整形できない(身長よしだやのシークレットブーツでもはかない限り、無理だ)。コンプレックスを形成するだろうし、サッカーみたいな競技ではかなり不利だと思う。そこから来る負けん気の強さとハンデを武器に変える姿には胸を打たれる。

* 少しずつ、雲の色も夕焼けの空の色も風の匂いも変わっていく。トンボが飛んでいる。毎年毎年、さみしい夏の終わり。

* アルタン福岡公演、プランクトンのIさんに頼まれて、CD販売のお手伝いに行く。満員のスカラエスパシオ。ゆるやかにからまりあう音は、リズム隊がいなくても狂うことがない。マレードさんの声の美しさと言ったら、まるで10才の少女のようだ。アルタンのクラスのミュージシャンになるとすでに「大物」と呼ばれる領域にあるのに、いつまでもみずみずしい。みなさん馬鹿になることもなく椅子に座っておとなしく見ていたのが残念だった。 終演後、メンバーが大好きなテント、こと屋台で食べて飲む。楽しかった。

* この夏のハイライトは船で行ったマリンワールドと納涼船。夜の海ですれちがった船がライトアップされていて、「千と千尋の神隠し」の船みたいだった。風と海の匂いと夕暮れと波と遠くのライト。甥っ子たちの目がキラキラ輝いていたことを私は絵日記に書きとめようと思う。



8月1日(木)

日本料理店の企画書の英訳。
オクラのすり流し。湯葉の三色巻き。寄せ豆腐。
こういう風流な食べ物を英語に訳すとそのまんま!って感じになってしまって面白くない。それが仕事なんだけれど。湯葉なんかは「beans curd(大豆の絞った液を凝固させたもの)」みたいになってしまうので、最初はわかりにくくても、何が何でもYubaで通した方がいいのにな。チーズだって『動物の乳を発酵させた食べ物』なんて書かないのだし。ベジタリアンのM氏は英語の校正をしながら「おいしそ〜」とつぶやいていた。私も豆腐は大好きだけれど、人の嗜好はいろいろだと思った。

仕事を無理やり片付けて、花火見物のためYさんのお宅へ伺う。Y夫妻のお宅は大濠公園を見下ろすバブリーなマンションで、引っ越した時から「花火大会の時の宴会はココで」という運命が決まっていた。因果よのう。
ベランダに20人ぐらいがひしめきあって、至近距離で夜空に浮かぶ光の輪を見つめた。はかない光。まぶしい残像。花火が消えた後の漆黒の空。
花火を近くで見ると「音」と「絵」が同時だと言うことも発見した。遠くで見ていた時は、絵が先で音が後だったのだ。ナント。ネットで言うと、今年はダイアルアップからADSLに変えたような感じ?(最近ADSLに変えたもんだから・・・>ぷーくくく)
会った事はないけど、花火師といえば玄さんである。何だか知らないけど、玄さんに決まっているのである。推定65才。ひと仕事終えた後の焼酎が楽しみで、好きな歌は「風雪ながれ旅」。きっと、クシャミをした後は「え〜い、チキショウめ」と言うだろう。そう、あれはすべて玄さんのお仕事なのだ。仕掛け花火の下でボンジョビが歌っていても、玄さんなのだ。全員で「玄さん、ダンケシェーン」とそのお仕事を堪能した。
途中、上空を飛行機が通過した。一度、飛行機から花火を見下ろしてみたい。やっぱり機長が「えーただ今、眼下で大濠花火大会が行われております。皆様、窓のほうをご覧ください」とアナウンスしたりするんだろうか。見上げる花火、見下ろす花火。どちらが美しいのだろう。

しばし、浮き世を忘れた夜。

8月3日(土)

忙中閑有。リカクマの仕事待ちなので、朝からシネテリエ天神に「ピンポン」を見に行く。
松本大洋の原作は文学賞をあげるべき素晴らしい作品で、漫画というより詩で音楽なのだ。ガガガガッ、ギギギギッとひっかかりのある線と白黒の中の静けさ。コマの間に音楽が鳴っている。一時期あちこちで松本大洋のパチもんみたいな絵を見たけれど、あの「線」と「音」は誰にも出せない。ましてや映像なんて。正直言って、映画化と聞いて小姑になっていた私である。あの世界を映像にするには、ある種類の「意識」と「覚醒」が必要なのだ。
それに、窪塚洋介、竹中直人というキャスティング。何と陥りやすい罠。一見演技派。ネームバリューもある。華もある。でも、顔の筋肉の動き、セリフ回し、エキセントリックなイントネーション、すべてがtoo muchな感じがする。私は心の中で「先生、これが演技と言うものなの?」とつぶやく。すると、月影先生が顔半分隠しながら現れて「マヤ、それはあなたが紅天女を演じる時わかるわ」と答えるのだった(ウソもほどほどにしろ)。

で、映画。結論から言うと、そんな色んな思惑を全部差し引いても、素晴らしかった。胸がすく、胸がしめつけられる、胸が高まる、胸がときめく、胸を打つ、胸にせまる。心臓がある場所に関わるイディオムを並べてみる。嫌いな人がいてもいいし、マンガちっくだと思う人がいてもいいと思う。この夏に、この映画を見た。そして、こんなにも感情が沸き立った。そのことに意味がある。涙、そして涙。

8月5日(月)

Seize the day.
Seize the moment.

お前も運動したほうがいい。
最近、会うたびに山口洋がこう言う理由はよくわかっている。
「泳ぐ」事を通じて彼が見ようとしたもの、つかまえたもの、水の中で感じたこと。それは、確実に彼の音楽の中に残っていっている。それはココロと身体のバランスだ。
頭でっかちなロック。運動神経の悪い文章。下半身のない詩。「精神」と「肉体」のバランスが崩れた作品は魅力がない。
瞬間をつかまえたい。光のラインを見たい。

書きたいことがたくさんある。頭に断片が浮かんで浮かんで浮かんで、そして消える。

誰かに紡いだ言葉を送りたかった。膝をつきあわせて話すように、じっくりメールを書いた。大阪のライヴから帰ってきたばかりの友人は「今メール見た」と電話をくれた。結局、バカ話ばかりで。そんな事もあるさ、な一日の終わり。

8月6日(火)

「饒舌のゆくえ/森田浩司」

あいにく夏は直ぐ/性急ぐ景色の中に/あいにく夏は直ぐ/永く/短い/頽廃の季節到来/識りつくしたい/一億の不快極まる腋の臭いを

消えちまえ、ダーリン


この人は、何と言う歌詞を書くんだろうか。よく伸びる声と美しいメロディとちょっと偏執狂ぎみのアレンジ。で、よりによって「腋の臭い」とくる。買ったのは4年前になるけれど、時々無性に聞きたくなる不思議なアルバムだ。最近聞いていて気付いたけれど、椎名林檎をオトコにしたような人だ。
ジミヘンの「星条旗よ永遠なれ」のパロディの「君が代」は、しかし鼻血が出そうなぐらいカッコいい。これなら、Wカップの国歌斉唱に流しても良かったんではないか?と真剣に思う。

外に出ると、邪悪な太陽が。さしずめ、フライパンで焼かれるちりめんじゃこ。チリチリチリチリと熱で身体が曲がり、跳ね、焦げていきそうだ。完全に思考が止まる。

8月7日(水)

あ〜〜れ〜〜〜仕事の渦の中。この間「やしがに」で見た「武富士ジャパニーズスタイル」(和服のオババが武富士のCMの音楽にあわせて日本舞踊を舞い踊る)が頭の中をグルグル回っている。何してんだ、私。

夜10時半、いよいよパンフレットの入稿。終わったね〜とリカクマと大好きな韓国料理の店でプチ打ち上げ。しかし、よく食べる二人である。

8月8日(木)

昨日確か「終わったね〜〜」とリカクマと打ち上げしたはずなのに、ミスが次々と見つかって元の木阿弥。一昨日と同じような事をして、一昨日と同じような忙しさで、一昨日と全く変わらない空気。リカクマと「私たち、もしかして時をかけるオババ?」ちゃんとオババと言うところが我ながらいじましい。

家に帰ると、Mが編集してくれたCD-Rが届いていた。

夏がうずくまっている/洋服を着た犬は好きになれない

マーシーはいつも夏のまん中にいる。永遠に14才の夏にいる。この人の歌の中には、夏の風景が息をひそめている。水まき/自転車/冷やしうどん/汗のすっぱい匂い/小さな虫/女の子/ガソリンの匂い
マーシーはキスでも、チューでも、口づけでもなく、「キッス」と言うのがよく似合う。
キッスである。

人間の脳や身体は、物理的には夜眠っている間に育つのだそうだ。だけど、男の子の心と身体は夏と夏の太陽に「作られる」ような気がする。マーシーの歌を聞いていると、そんな気がした。

8月9日(木)

頭がどんどん製作モードになってくる。仕事はまだまだ終わらないけれど、作りたいものが山ほどある。人と話すのも億劫になってしまうので、こういう時はじっとしていないといけない。感情が通りすぎていくのをじっと見つめる。流されて、流されて、流されるまで。

紀伊国屋でミステリと小池昌代の詩集を何冊か買う。小池昌代の言葉はひさびさに神経に電気が流れるような感じがした。読んでいると、誘蛾灯に誘われる蛾のように彼女の言葉に吸い込まれていく。好きな文章を書く人、特に詩の場合はパっとページを開いた瞬間に、わかる。リズム感、漢字とひらがなの割合、語尾。活字に姿を変えたそういう「音符」が、ページを開けた瞬間に音楽を奏でる。小池昌代のページから流れた音楽を私はとても好き、だった。
「意外性と小さな暴力はエロティックな関係に味方している」という一文は、自分がいつか書いた詩とのシンクロニシティを感じたりもした。
ひさびさの良き出会い哉。

8月10日(土)

ようやく仕事が一段落したので、合間をぬって「タイムマシン」を見に行く。CGの必然性がある映画、というのは良い。すごく良い。「CGを見に行った」感じが残らないのが良い。それにしても、ガイ・ピアーズの鼻から下のサル具合は凄い。学者という役柄から、裸になれないねー、残念でしたねーと思っていたら、ちゃんと自慢のセミ腹を披露して面白かった(←そんな感想かい!)
楽しい一日。


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