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8月5日(火)−日記のまとめ書きはやめましょう!−

最後に書いたのはいつかとさかのぼってみると、がーん。去年の11月ではないですか!(今始めて気付いたワ!という演技をしてみるの図)
でも、そのうち2ヵ月ぐらいは買ったばかり、人間で言ったらラブラブ、新婚ホヤホヤのマックが壊れていたのでございます。
というわけで、この9ヵ月余りの間の事をランダムに。

■ その間にライヴ3本の主催をしました。

2月2日 at Daddie's Farm
月のピアノ、夜のギター(コンドウトモヒロ+Big Mama)


6月21日 at Live House CB
小りす(山口洋+細海魚)の新曲ツアー


この2本については、ちかぢかメモをアップする予定。

8月2日 at 博多百年蔵
ハシケン完全アコースティックライヴ


まだ、実は記憶が生々しい。魂のすべてを賭けた・・・去年の11月のライヴ。私は、矢吹ジョーのように燃え尽きたのだった。あの時はリングサイドでうっすら笑っていたわ!髪も白くなったしね!(うそ)

あれから、9ヵ月。あのライヴに足を運んでくれた方のご縁で、またハシケンのライヴができることになったというこの喜び。しかも、その方はライヴに来るまでハシケンを知らなかったということ。そして、ハシケンの歌をまた誰かに聞かせたい、と思ったということ。そして、それが今回のライヴにつながったということ。いろんな事がめぐって、つながっていると思わずにいられなかった。
そして、これを私は「カスピ海ヨーグルト現象」と呼ぶことにした。誰かがヨーグルトのタネをもらって、それを大切に増やして、人に株分けして・・・そうやって、少しずつ広がっていく。でも、ネズミ講じゃないわよ! それって音楽の理想の広がり方じゃないだろうか。そして、ハシケンの歌にはそうするだけの生命力があるのだ。

念願の酒蔵でのライヴ。ずっと前からハシケンの歌を聞きたいと思っていた場所だ。しんとした空気、木の匂い、日本酒がしみついた土間の匂い、土の壁、埃・・・その中で響くハシケンの歌。それは予想通り、素晴らしかった。彼の歌は、木や土と呼応する。彼は、その場所の「気」のようなものを瞬時にすくいとって、音楽に投げ返すことができる。それをはっきりと感じた。
舞台袖で見ていると、ハシケンの歌が観客にしみこんでいくのが手に取るようにわかった。あの笑顔、あの空気、あの手拍子。この1ヵ月間の事がすーーっと消えていくようだった。

すべての人に多大なる感謝を。

■ これだけ空けるとさすがに書きたい事がたくさん溢れてしまう。映画はビデオを含めると集中して見たけれど、記憶に残っているものをいくつか。

「戦場のピアニスト」(2002年 ポーランド・フランス合作)
ナチ占領下のポーランド、ワルシャワを生き延びたユダヤ人ピアニストの物語。
感動、震撼、涙、大作、名作。この映画の事を考える時、どれもあてはまらない気がしてしまう。不思議な映画だった。極力「泣かせる」ことから遠ざかろうとしているような、そんな感じだった。泣ける感動作!を期待するときっと肩すかしを食らう。けれど、私は多分この映画をずっと抱えて生きていくのだと思う。それぐらい心に刺さった映画だった。

「主人公が逃げ回ってばかりで、共感できない」とか「何故闘おうとしないんだ」という感想も聞くけれど、ワルシャワ解放後に市内にいたユダヤ人の数はたった20人だったのだ。50万人が20人。もちろん統計学的な数字の正確さには異論もあるかもしれない。けれど、あの破壊しつくされた街並の前では数字なんてどうでも良くなる。ナチ将校が引き金をひくためらいのなさを見た時、そんな状況で何ができたのかと考えてしまう。あ、でも、スタローンなら何とかするかもしれない!
この映画をスタローン主演でリメイク−を考えてみる。シルベなら丸腰でズンガズンガ敵を倒して行き、ワルシャワ蜂起も一人で活躍していつの間にか歴史が変わり、収容所に単身乗り込んで家族を助け、囚人を解放するのだ。「戦場のピアニスト〜怒りのワルシャワ〜」どう?(どう、って言われても)

「シカゴ」(2002年 アメリカ)
自粛ムードもあって、ひたすら地味な空気を醸していた昨年のアカデミー賞。この作品は、唯一華やかさのある「アカデミーらしい」作品だったかもしれない。でも、何と言ってもこの映画の華は、キャサリン・ゼダ・ジョーンズ。

踊りも歌も太もも(!)も堂に入っていたのは、舞台出身というだけではない気がする。凡人とは生きてきた年月の濃さが完全に違うのだ。この人の1年が凡人の7年、みたいな(犬と人間かよっ)。ギラギラした強欲、計算高さ、上昇欲、美に対する執念。イマドキ、こんなにハリウッドを体現している人も珍しいかも。でも、私は好きだ。美を与えられた人=女優というのは、そういう職業だと思うのだ。
肝心の映画があまり残らなかったのが残念。

「8マイル」(2002年 アメリカ)
予想を裏切ってオーソドックスな作りで良かった。ラップをボクシングに置き換えると、わかりやすいサクセスストーリーだ。そう、これは現代版「ロッキー」なのだ。ホワイトトラッシュの悲惨さは「ロッキー」の時代の非ではないけれど。あと、試合に勝って「エビドリアー!」もなかった(当たり前)。
しかし、エミネムが一度も笑わないのが気になった。すんごいスキっ歯か、すんごい出っ歯なのでは?という疑問がフト浮かぶ。失礼な。歯並びフェチの私としては気になるところ。
黒人優位の世界にいる白人、という図式もそれはそれで興味深い。ラップという黒人が作り上げた黒人の文化に白人が入り込もうとする−その二重のコンプレックス。ラップバトルでも、白人と言う事実だけで憎悪と侮蔑が一斉に向けられる。これを一緒に行った人は「阪神ファンが集まった居酒屋に巨人ファンがユニフォーム着て入るようなもの」と解説した。何となく納得した私も私である。

「ドニー・ダーコ」(2001年 アメリカ)
十代とは何と不安定な生き物なのだろう。「遠い空の向こうに」で主人公を演じたジェイク・ギレンホール。この人はサイコキラーの役なんかしたら良いのでは?と思っていたが、つまり「純粋」を体現できる数少ない俳優なのだと思う。純粋をつきつめれば狂気になる。十代のザラザラした感じが痛かった。

今後の注目株はもちろんこの映画。

ああ、素敵。

■ 最近、ビックリしたことと言えばパンクしたことだ。土砂降りの日、右折した瞬間にパシッと音がした。改めて言うことでもないけれど、パンクした車って本当に走りにくい。当たり前。しかも、タイヤがペッチャンコ!マンガかよっ!とツッコミたくなるほど。タイヤ一つで、「トムとジェリー」みたいに車がヨボヨボ〜〜ヘナヘナ〜〜と困り果てて見えるから不思議。親切な友人が来て、雨の中をスペアタイヤと交換してくれた。感謝。スペアタイヤがあることすら知らなかった私。大丈夫なんだろうか、、、
そろそろ、車に乗って10年。これでガス欠、パンク、検問、接触、エンスト、と、車にまつわる事はほとんどは経験した。カーチェイスだけは遠慮したい。あと、走っているうちに屋根とか壁とか飛んでいって、運転席だけになる、っていうのも(ないない)。

■ それにしても、「癒し系」ほどウサン臭いものはないわね。と、肩にとまったオウムが言っております。

■ こうして人はドラマと現実をゴッチャにする
牛乳しか飲めないような恐ろしい落ち込み期もあって、そういう時に救ってくれたのは、アメリカのコメディドラマ「フレンズ」だった。もう10年、放送開始から欠かさず見ているので、私の中ではもう切り替えができない。映画と違って、テレビドラマは日常と地続きの場所にある。彼らは観客の「日常」に入り込んでしまう。だから、テレビドラマでヒットした俳優はその後なかなかイメージチェンジできないのだと思う。その役がハマリ役であればあるほど。モルダーなんか何に出ても「モルダー」になってしまう。赤影もそうだったらしい。たったひとつ、人々の記憶に刻まれる「この1本」があること。ミュージシャンで言うと「一発屋」ということになるのかも。役者として不幸なことなのだろうか?役者と言えども「何にでもなれる」って、実はすごく難しいことなのかもしれない。
私の場合も「フレンズ」の6人はもう役名でしか見れなくなってしまった。しかも、モニカの彼氏は絶対チャンドラーじゃないとダメ!なのだ。たまにプライベートなパーティの写真で他の人を連れていると「おにょにょにょ〜〜おーぬーしー!」となってしまう。心の中で「ドラマやし!」と声がする。
ドラマの見過ぎで(警察に負われている、という 役柄)の俳優を町中で見かけて、警察に電話をかけてくる人がいる(「あの人、いましたよ!**町に!」とか)と聞くけれど、笑えない。

■ 最近の言葉の脱線事故。
お客さんと世間話をしていた時のこと。「**部長って最近めまいがするらしいんですよ。まっすぐ歩けないって言うし、耳鳴りも・・・。きっとアレですよ!エマニュエル病」って。えーと、背がのびない病気とか?

■ 某所で知ったことだけど、寝付きの悪い幼児の耳もとで「スタンドバイミー」のイントロのベースの音(♪ボン、ボ、ボ、ボ、ボン、ボン)を歌うと、コトンッと寝てしまうそうだ。あのベースの低い音、というのが幼児の無意識に作用するのだろうか。心臓の音に似ているからかもしれない。色んな人がやってみると、90%の確率で寝るのだという。アナタ(って誰)も是非、スタンドバイミーで寝かしつけを!ベンEキングも自分の曲がこんな所で使われているとは・・・。でも、効果的なのはイントロだけで♪ウェンザナイッ まで歌うと起きてしまうそうだ。興に乗って歌わないように。

■ 携帯メールの着信音を「You've got a mail!」という声に設定してみた。母親が「携帯が何か喋っている、、、あんたんとこの社長(アメリカ人)では?」という意味のことをふるえながら言いに来た。
同じ着信音にしている友人の子どもは「携帯が『良かったね!』って言ってるよ」と言いに来たそうだ。ユーガッタメール→ヨカッタネ 妙に納得。わりと人騒がせな着信音かもしれない。
そういえば、J-PHONEの「こちらはJ-PHONEです」って「こちらはジェイソンです」って聞こえるのよねー。私は、あれを聞くたびにホッケーのマスクかぶってチェーンソー持ったオペレータが浮かんでしまうのだ。それなのに、にこやかなソプラノボイス。結構怖い。
それにしても、最近は着信音も何でもアリ、になってきたなあと思う。随分前に渋滞中のバスの中で「キューピー3分間クッキング」の着メロが流れだして、車内の空気が「そんなんもアリか!」になっていた事を思い出した。ちなみに、そんなことをするのは私ではない。

■ 絶対に忘れないし、なくさない。そういう出来事に出会った。胸を切り裂かれる感じ。食欲も睡眠欲もなくて、歩く死体のような。それを「治す」のは病院じゃないということ。人間の身体の不思議さを思った。

■ 世の中には色んな占いがあるのに、自分を形容する時は血液型を使うんですねー。「私ってO型だからさ」とか。そう言われても全くピンと来ないので困ってしまう時がある。目の前にハテナマークが乱舞する。「ほら、私って画数が22だからさ」とか「私って八白土星じゃん?」とか言う人には会ったことがない。不思議だ。

■ 某パンフレットの原稿書きのため、今年はあちこち取材に行った。私は人見知りなのだけど、人から話を聞くのが好きなようだ。アジア映画の取材先では3時間近く喋っていた。それはもうすでに取材ではない。でも、楽しかったな。相手の話したいこととこちらの聞きたいことには微妙にズレがあるけれど、それがカチっと重なる瞬間がある。何かがほどけるような瞬間、目の前にパーっと光が差す。光のライン。その瞬間をつかまえるのが好きだ。
取引先から「取材って初めてのはずですよね?上手ですね」と言われて、「いえいえ、めっそうもない」などと後ずさりしながら、「みなさーん、今の聞こえましたかー??」と心の中でメガホンで。相変わらず調子に乗りやすい。

■ 今年は日照不足で野菜の生育が悪いのですが、そんな中、真っ赤な実をつけたトマトの愛おしいこと。私はスーパーで見つけた真っ赤なトマトを命がけで好きだった−そんな一文を思い出したりするのです。

■ 一番書きたかったのは、実はパティ・スミスのライヴのこと。言葉さえ見つからず、打たれたようにステージを見つめていた。57才。何よりも「女」。コトバや光や闇や−色んなものが降りそそぐような夜だった。

pAst dAys of CLICK(2002.11)
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